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月刊メディカルサロン「診断」

メディカルサロンの歩み(1)月刊メディカルサロン2007年3月号

1992年、東京四谷にて、初めてのメディカルサロンが開設されました。94年に大阪、97年には名古屋メディカルサロンが続いて開設され、現在では国内外にたくさんのサロンを有するまでになりました。

家庭教師スタイルから会員制サロンに

開設創業時は、院長の風本真吾ドクターによる、無償の家庭教師スタイルでした。

慶応大学病院やその他の診療現場では対応できなかった、患者さんたちの様々な疑問や悩みに対して、カラー写真やイラスト図解などを示しながら、一つ一つ徹底的に教えていくという方法でした。サロンを訪ねてきた人たちはそれにより、治療のポイント、病気の元がどこにあるかを自ら理解するようになったのです。
すると、それまでは病に悩んでいた人たちが、薬が不要になったり、通院さえも不要になるケースが続出しました。薬に頼るしかなかった患者さんに対して、丁寧に説明していくことが不安を解消し、薬漬け、検査漬けから解放させることができたのです。あるべき医療の姿が浮かび上がってきました。
病院の医師が教えていなかった、病気や健康についての知識を、サロンの患者さんたちが吸収していたのです。それにより自然と、病気にならないための知識や生活習慣が身についていったのでしょう。

サロンを訪ねてきた人の中に、ある業界新聞のK社長がいました。社長は風本院長にこうアドバイスしました。

「先生、そのようなことは無料のボランティアで行ってはいきません。無料と言うのは良いようで、実はいけない。料金を決めて正々堂々と行っていきなさい。そうすれば私も、多くの人にこのサロンのことを紹介することができる。そうすれば喜ぶ人がたくさんいるのですよ」

その言葉を聞いた院長は、入会金、年会費をいただく会員制システムにすることを決意しました。そしてそのシステムを「プライベート・ドクター・システム(PDS)」と名づけました。このとき、メディカルサロンは生まれ変わりました。現在のメディカルサロンの基礎はこのとき築かれたといっていいかもしれません。

健康管理がメインテーマとなる

四谷メディカルサロンが創業されたとき、風本院長は、慶応大学付属病院で診療に携わるかたわら、企業の診療室に赴くこともしばしばでした。赴いた企業内では健康管理センターの設備が充実し、多数の医師を雇っていたのですが、不思議な現象に気づきました。その証券会社の社員の平均寿命が67歳と短命だったのです。人間ドックを実施して社員の健康管理に努めている企業が、じつは平均寿命を上すことに役立っていないという事実に唖然としたのです。

それがきっかけで、メディカルサロンの健康管理は新しい面を志向することになりました。「真の健康管理とは何か?」とうことが、メインのテーマとなっていたのです。当時は、「予防医学」が注目され、企業はこぞって人間ドックを実施していまいしたが、実効性ははなはだ曖昧なものでした。

健康管理を指導するプロの医師がいなかったこと。そして、真の健康管理が育っていないことから、健康管理学が重要なテーマとして浮かび上がってきていたのかもしれません。その当時から、医師は病気の治療に関してはプロですが、これから元気で健康に暮らしていくためのノウハウを、残念ながら持ち得ていないことに気づいたのです。

その後、風本院長は健康管理における臨床的ノウハウを発展充実させるとともに、その間に培ったノウハウを元にして『一億人の新健康管理バイブル』(講談社刊)という著書を上梓しました。現在メディカルサロンで実施されている健康管理指導の基本が、まさにこの1冊に凝縮されていました。新しい医療を切り開いて、自由診療の将来をも見据えた著書として、記念すべき橋頭堡を築いたのです。

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