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月刊メディカルサロン「診断」

ひとつの町が巨大な病院施設になること月刊メディカルサロン2008年8月号

全国に存在していたメディカルサロンが、今は四谷だけになりました。日本中を飛び回っていた私に大いに時間ができました。私に時間ができると不思議なもので、プライベートドクターシステムの会員で80歳を超えている方が体調不良で入院し始めます。私が忙しかったときは、病気になるのを控えてくれていたのではないかと思うぐらいのペースです。

入院した会員を治療状況のチェックを兼ねてお見舞いに行くケースが増えました。会員が入院している病院に向かいながら、私は次世代における医療の在り方をイメージします。入院している会員は決して、絶対に入院が必要という状態ではないこともあります。高齢なので、「心配だから念のため入院する」という処置をとっているのです。あるいは、ちょっとした点滴治療を2~3日行えば回復するというような内容もしばしばです。医師や看護師が自宅に訪ねて行ける体制を作り、24時間電話連絡が取れるようにするなら、決して入院する必要があるほどではありません。

「心配だから念のために入院しておきたい」というケースがここ20年で急に増えたように思います。核家族化が進み、高齢の夫婦ふたりだけという世帯が増えたからでしょう。しかしながら、その思いは「入院していると何かと便利だから入院しておきたい」という思いへと墜落しがちです。この思いを生み出してしまう原因は医師側にもあります。医師が診察室に閉じこもり、患者との接点を診察室の中だけに限局したことにより「その場限りの繰り返し」という医療スタイルが定着し、そこから脱却できなくなっているのです。

なぜ入院を欲するかというと、手を伸ばせば医療スタッフがいるからです。その医療スタッフはいろいろな甘えを許容してくれるという安心感があるのです。この安心感を求めるのは、当然の権利なのか贅沢な要求なのかは私にはわかりません。安心感がそこにあるのは確かです。そして、その安心感こそがほぼすべての国民が欲しているものなのでしょう。この「安心感を獲得するために入院が必要だ」という発想を変えられる世の中を作ることが、医療社会ひいては高齢化社会の改革のひとつになります。政府の取り組みは、「入院施設をなくしてしまえ」という方向に向かっているように思えますが(私の勘違いかもしれません)、それは最終に実施する手法論であって目標論ではないはずです。国民を勘違いさせているかもしれません。

医師の出不精を改善すればこのような問題は解決されます。ひとつのクリニックが、ひとつの町に対するナースステーションの機能を発揮すればいいのです。そのクリニックを拠点として、常時患者と電話連絡をとることができ、医療スタッフが街中を動き回る体制を作ればことは解決します。町全体が一つの大病院であると思ってしまえばいいのです。その構想下では、各家はひとつの病室に当たると定義することも可能です。それができないのは、医師がそういう仕事を受け入れてくれないからでしょう。

全国にあったメディカルサロンが一つになり私に時間ができたので、この分野に焦点をあてて活動していこうと思っています。私自ら動いて、突破口を作ってご覧に入れましょう。しかしながら、またしても保険医療制度が足かせになりそうな予感がします。また、私が突き進もうと構想している中には、法が想定していない分野も多々ありますので何が起こるかわかりません。再び行政機関に横槍を入れられないよう、皆さんが見張っていてくださると助かります。よろしくお願いいたします。

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