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月刊メディカルサロン「診断」

中学、高校のエピソードと人格形成月刊メディカルサロン2010年7月号

低身長の治療を始めてから、子供達に接する機会が頻繁にあります。診療した子供達は1,770人に到達しました。子供達を一つの立派な人格体と認めて会話をするうちに、自分の中学生、高校生時代のことをふと思い出します。私には、思い出として残っている強烈な3つのエピソードがあります。

1つは、中学1年生のときの家業の手伝いです。料理店を経営していましたが、その店の食器洗いをやらされたのです。苦しい経営の中、人材不足を補うための手伝いだったので、学校が終われば、かばんを家に置いて店に直行する毎日でした。食器を洗いながら働く人の現場をみて、経営者である父と母がいるときといないときで従業員の態度、姿がまるっきり変わることを知りました。職場に存在する陰湿ないじめの現場も知りました。
その現場と接するうちに、「まずい。このままでは、将来私は板前にされてしまう。その道だけはいやだ」と痛切に思うようになりました。しかし、家業であり、家族が食べていくためにやめるわけにいきません。脱出するためにはどうしたらいいだろうと一生懸命に考えました。その結果、悟ったのは、「学校の成績を上げるしかない」というものでした。中学2年生の3学期に成績が急伸し、学業の道に進ませてもらうことができました。
学業の道で成功しなければ板前にならざるを得なくなる、という切迫観念が常にあるなかで、一心不乱に勉学に取り組むことを余儀なくされました。
「このままいくと板前への一本道」という境遇を与えられ、「自分の人生、どうあるべきか」を考えた結果、自らの意志として学業勝負を選択したのです。その選択は、世間によくある「目的意識不明だけど、周囲から言われるので、成績を上げるために学業に取り組む」ではなく、「将来の夢、志を実現するための手段にすぎないものとしての学業」でした。

次は、高校1年生のときです。ソフトボール部に勧誘されて入部しました。当時、高橋先輩という超高校級の投手がいたのですが、彼の投げる球は速すぎて、キャッチャーを務めることさえ困難でした。しっかりとした守備さえ固めれば、1試合で1点取られるか取られないかという試合ばかりで、高校総体大阪予選で見事に優勝しました(全国大会では1回戦で秋田県代表相手に1対0で負けました)。たった1人のスーパーエースがいたとき、その人を中心として、全員が心を一つにして向上に励めば、とてつもなく強い集団力を築けるのだということを悟りました。「たった1人の力の強力さとその活かし方」を学ばせてもらいました。

次は高校2年生から3年生にかけてのときです。受験に向かう心構えが高まるこの時期、周囲を驚かせたことに私は極真空手に入門しました。「空手バカ一代」に憧れた少年時代があり、「理不尽な暴漢が現れたときに、自分の身ぐらいは自分で守れなければいけない」という意識は常に脳内にありましたが、直接のきっかけは、ある書物です。「史記」だったような気がしますが、よく覚えていません。内容は次のようなものです。

「ある小国に、隣の大国が軍勢を出して攻めてきました。その小国は、別の隣の国に援軍を求めるために使者を送りました。しかし、その国の王は使者達を軽視して援軍を出すことに乗り気になってくれません。そのとき、使者の1人が王のもとに近づいて、剣に手をかけて叫びました。王がそのような横柄な態度をとるのは、王がもつ10万の兵を恃んでのことでしょう。私とあなたの距離はたったの数メートル。この距離の間に、その10万の兵がなんの役に立つと言うのですか、と。その使者は当然、その場で殺されることを覚悟していました。しかし、その使者の姿を見た王は態度を改め、このような気概のある男達が大勢いる国なら、今救っておけば恩に感じて、将来何かの役に立つだろうと悟り、援軍を出すことにしました」

この内容に接して、私がどう思ったのかは皆さんの想像にお任せします。とにかく、この一節を読んで、急遽極真空手に入門したのです。約半年の期間でしたが、「極真空手に入門したからといって、強くなるための秘伝や極意があるものではない。ひたすら努力して流す汗の中から、自分が主体者として何かを見出していくものなのだ」ということを悟りました。

子供達と接していると、それぞれに何かのエピソードがあり、それが人格形成につながっていくのだなあと何度も意識させられます。低身長治療を通じて、子供の将来のためになる何かを伝えていけたらなあ、子どもに伝えるべき教訓の体系を築けたらなぁ、と願う日々です。

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