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月刊メディカルサロン「診断」

君君たらずといえども、臣臣たり月刊メディカルサロン2011年3月号

私の心の奥深くに残っている言葉に、

「君君たらずといえども、臣臣たり」

というのがあります。

吉川英治の文学の一節だったと思いますが、どこにあったのかはよく覚えていません。おそらく中国の春秋戦国時代に生まれた言葉だと思います。その意味するところは

「領主(主君)が領主らしくない、とんでもない人間であっても、その臣下として仕える自分は、良臣としての道をまっとうします」
というものです。

領民のためにならない不徳な行為を行っている領主に対して、斬首されることを覚悟して諌めようとする臣下が叫んだりする言葉です。
あるいは、領主は領民のためにならない悪徳領主であるけれど、家臣たちが必至に努力して領民を慰撫し、領土を保持しようとしている姿も連想されます。当事は、領主は血統で定まっていましたから、先祖代々その家臣として仕えてきた者たちには、領主を見限って他国に出奔するという選択はなかったのでしょう。

孔子は、どのようにすれば国をうまく統治できるかと尋ねられたとき、「君主が君主であり、家臣が家臣であること。親が親であり、子が子であること」的に答えていたようです。論語の一節だったと思いますが、これもどこにあったかよく覚えていません。
自分を優遇してくれるならどうする、自分が冷遇されるならどうする、というのではなく、他がどうあっても、自分の進むべき道、自分が果たすべき役割はこれである、と思い定めて、その道をまい進して行く生き方に感動する何かがあるから、一つのエピソードとして歴史の記録に残されているのでしょう。

周辺環境がどうあろうとも、自分のなすべき役割を淡々と成し遂げていくことの美学の話しとしてまとめることができるでしょう。

やがて時代がすすむと、「良禽(りょうきん)は木を選ぶ」という言葉が生まれてきます。これも吉川英治の文学のどこかで接した言葉です。その意味するところは

「よい鳥は自分の棲家となる木を上手に選んで棲む」ということであり、「優れた人物は、優れた君主を探して仕える」
というものです。

実際に、中国の戦国時代から秦始皇帝の時代、楚漢の戦い、前漢、後漢から三国時代に至るまで、一度主君を変えた者にも歴史に残る良臣が多いように思えます。ただし、二度、三度と主君を変えた者には良臣はあまりみかけません。

さらに、時代は下って織田信長の時代。主君のために命を投げ出す武士に対して、状況に応じて仕える主君をころころ変える者は、足軽と言われていたようです。名の通り「足が軽い」のです。当事は、生まれながらにして、土地に根付いていた者と、土地に根付かない浮浪者的な者とに別れていましたから、足軽本人には不本意な表現かもしれません。しかし、「足軽」の名の由来は、おそらく「アッチの水は甘いぞ。コッチの水は辛いぞ」的に、そのときどきの待遇に応じて仕える主君をころころ変えるから、「足軽」と言われていた、と考えて間違いないように思います。足軽は志操的に卑しいものと思われていたようですが、それを見事に編成して、365日戦える起動軍団を作り上げたのが織田信長です。足軽に鉄砲を持たせて天下取りの道を歩む原動力にしたのでした。

一般社会人にとっては就職難、経営者にとっては人材難(=人財難)、婚姻生活者にとっては離婚過多と言われている時代ですから、このような話を聞くと新しい視野を得るきっかけになるかもしれません。

話しは翻って、私事になります。

私は、健康保険を使わないままに、健康管理学の創設、健康管理指導の体系作りを経て、医療構造改革の実現を生涯テーマとし、それにむかってひたすら駒を進めています。

仮に、日本という国が既得権益分野で充満し、その保守のために国家権力的妨害を盛んに行い、その腐敗が叫ばれる国であったとしても、その国で生まれ育った私は、たとえ、私の活動にどれほどの妨害があったとしても、少なくとも医療社会という一分野においては、「臣、臣たり」の気概で、天下万民のための改革行動にまい進していこうと思っています。

ふと、高校卒業時の文集の一言に「わが魂の信ずるところへ」と書いていたのを思い出しました。私はやはり、高校時代によく読んだ書物の影響を強く受けていたのだなあと改めて認識いたしました。

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