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月刊メディカルサロン「診断」

比例配分制国家へと変貌すれば、国民の心が一つになって、日本は再繁栄する月刊メディカルサロン2012年2.3月

社会保障云々、増税云々が盛んに議論され、「社会保障と税の一体改革」などのもっともらしい名分を備えた掛け声が聞かれます。その中でも、国民にとっての支出部門である消費税、収入部門である年金へと関心の焦点が向かっています。消費税を何%に引き上げるか、年金はいくらもらえるかが各個人の関心の的です。
消費税を増やせば税収が増えると思い込んでいる姿も滑稽ですが、貨幣価値が変動するこの世の中において、固定された金額である7万円を最低保障にしようという議論が真面目になされていることも滑稽です。将来の年金の最低保障額7万円を維持するには、消費税を何%にしなければいけないなどは、経済変動、貨幣価値の変化の問題でもあり、的外れな議論に思えます。そんなことよりも、税と社会保障というテーマを掲げながら、「その税と社会保障を利用して、経済の繁栄を目論む」という観点が、どの政治家の脳内からも消し飛んでいることが不思議です。

老後最低保証年金月額7万円という議論は意味をなしていません。もともと、リタイア後の生活は、年金所得だけで生活することを前提としていませんし、生活できない人には生活保護法があるのです。今の日本の貨幣価値において、月額7万円は生活保護法対象者にとっては不足する金額であるのは言うまでもなく、一方、年金受給の対象者は、過去の資産的蓄積を持っており、その蓄積資金による生活が、まず前提となっているのです。
リタイア後は、現役時代の蓄積にいくらかの年金を足し算して生活します。蓄積が多い人、少ない人、無い人に別れているのは言うまでもありません。無い人は自動的に生活保護法の対象になります。少ない人はいくらかの年金を受給しながらも、残金が尽きた時に生活保護法の対象になります。蓄積が多い人は、年金がなくても死ぬまで生活していけます。そのように考えると年金の必要性とは何だったのかが疑問になってきます。蓄積が少なかった人が、わずかの年金を受給することにより死ぬまでの生活がかろうじて成立するという、ある意味のプライドを保つためにしか役立っていません。

では、年金制度とは一体何だったのでしょうか?

もともとは、国家を作り上げていくための資金を欲していた政治家、官僚達が、現役世代から金銭を徴収し運用原資としたかっただけで、「将来の年金として国民に配られる」というのは、運用資金徴収のための大義名分の程度に過ぎなかったのではないでしょうか。本心は、国づくりのための資金を集めたかっただけに過ぎません。だから、本当に配分しなければいけない日が来ることには、真意の想定がなされておらず、その結果、ここ近年の慌てふためいているかのごとき論議の元になっているのです。(私は、第二次大戦後の日本復活のために、この名分による資金徴収システムを設けたことを否定しているわけではありません。)
「消えた年金問題」などが平然と見過ごされてきたのは、「配分する」ということを真面目に考えていなかったからに他なりません。
結局は、年金制度とは何かを論じていくと、国家が国づくりのために必要となる資金を集めるための大義名分に過ぎなかった、という結論にしてもかまわないように思います。

年金受給額をいくらにするという議論よりも、引退後に生活資金が尽きた人に対する生活保護のシステムを充実させることのほうが大事に思えます。この制度の充実に際しては、「生活保護法を利用して、国民のライフスタイルに対してプラスの変化を与えること」を企図しなければいけません。

家族の絆日本人の生活は、基本構成的に核家族化が進行し、両親と子供が同居していないケースが増えています。リタイアした後に高齢になった上で、生活資金が尽き果て、なおかつ、同居していないわが子に見捨てられた場合に、生活保護法の対象者となります。つまり、引退後の高齢者が生活できなくなる背景には、子が親を見捨てたという現実があるのです。
一方では、裕福ではないのに、親の生活を一生懸命に支えている現役生活者もいます。その心情を考えると、「自分を育ててくれた親を生活保護法に委ねています」という者に対しては、破産後などの禁治産者と同等の差別化をする必要があるようにも思います(もちろん、わが子を義務教育終了まで適切に養育していなかった親の場合は、この規定からはずします。また、「息子の世話になりたくない」などのわがままは認められません)。
そうすると自分を育ててくれたのに、その親を見捨てた子は、ある程度の社会的制約を受けることになりますので、ちょっとやそっとでは親を生活保護法の対象者にするわけにいかず、社会人になった当初の頃から、親に対しては協力し合って人生を築き上げていかなければいけないと思う本能が芽生えます。この本能が家族の協力体制を醸成し、巡り巡って、子育て問題を解決してくれるのは言うまでもありません。ただし、この仕組みを全うする上では、相続の仕組みを変えなければいけません。
このような社会制度をつくると「家族の絆」というものが強く意識されるので、社会も良い方向への変貌を遂げるように思います。「生活保護法を利用して国民のライフスタイルにプラスの変化を与える」というのはこういうことを言うのです。

さて、議論を「税と社会保障を利用して、経済の繁栄を目論む」に戻しましょう。

世界全体の経済発展の中で、日本経済は埋没傾向にあるのは確かです。当然、右肩上がりを再創出することが困難であることは間違いなく、現役世代の収入も増えることは想定されませんので、現役世代から多くの金銭を徴収しようとするのは論外であると断じてかまいません。
そこで、現役者の生活を決して苦しめない範囲、つまり、現役者に意欲と夢を与えることができる範囲内で、税や社会保障費などの資金徴収を限定します。そして、徴収した金銭(歳入)は、まず生活保護法適応者に配分し、次に公務員の最低保障給与に配分し、その上で残った金銭に対して、歳出が必要となる各部門(年金、医療、政党助成金、公務員優待)への配分割合を定めるのです。割合が定められる部門の一つである年金支出は、割合通りの配分をさらに、各個人には、年金受給資格者に過去の掛け金総額に連動させて配分するようにします。徴収した金銭の残額を比例配分するのですから、歳入≒歳出となり、一般会計は赤字になることは決してありません。過去の国債の償還だけが問題になります。
徴収に関する固定された率(年金のかけ率や消費税率)を永年的に継続することとし、税率の操作による国庫収入の増加は企図できないようにしてしまいます。そうすると、国家の経済成長のみによって、徴収額(歳入)は増えるという仕組みになります。増えた徴収額は元の通り比例配分されてしまいます。
リタイア組にとっては自己の年金額を増やすためには、「徴収額(歳入)が増えること=経済が繁栄すること」のみを願うことになります。政治家にとっては、政党助成金を増やすためには、「徴収額が増えること=経済が繁栄すること」のみを願うことになります。公務員にとっては、自己の権限拡大、収入の増加のためには、「徴収額が増えること=経済が繁栄すること」のみを願うことになります。現役世代は、自己の給与報酬を増やすためにもともと経済の繁栄を願っています。

現役世代者から徴収割合を低負担のもとで永年的に定めてしまい、徴収できた金銭の比例配分制、それこそ公務員賞与、政党助成金、年金額、医療費、公共工事のすべてを総徴収額からの比例配分制にしてしまうのです。そうすると、高齢者も公務員も政治家も自己の身入りを増やすためには、経済繁栄を目論むしかなくなります。この状況を作ることを「上下、心を一つにする」と言って、成功を目指す出発点になるのです。そうした時に、全国民が一丸となって、青少年の教育問題が見直され、家族制度の在り方が再考され、働く者の心得が改まり、日本を成長させるための素地をつくることができるのです。
「税と社会保障を利用して、経済の繁栄を目論む」というのは、こういうことを言うのです。上下、心を一つにする

上下、心を一つにした上で、TPPでも原発問題でも何でも議論してほしいものです。

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