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月刊メディカルサロン「診断」

健康保険でカバーできない医療、カバーするべきでない医療月刊メディカルサロン2012年6.7月

医師は人体をよく知っており、その中でも病的状態というものを深く学び、病気に悩む人を治療するという技術を持っています。「病気を治療する」というのが、医師の役割であるのは言うまでもありません。私は平成元年に医師になって以来、大学病院で病気を治療するという毎日を送っていました。平成3年には大学院に入学し、医学研究にも取り組むという日々になりました。

平成4年には大学病院の外来を担当するようになり、1日に100人以上の患者を診察することもありました。と、そのころから、患者に対して、「本意ではないがやむをえない」という現象を多く経験するようになったのです。

  • こちらの患者は、体重を5~6kg落とすだけで、これらの薬(コレステロール薬など)は不要になる。しかし、この忙しい診療現場でダイエット指導をしている時間はないから、薬を出しておこう。
  • 自律神経、ホルモン、免疫力などの人体のメカニズムを丁寧に教えてあげるとこの患者は、それだけで薬が不要になり、元気に生きていくだろうなあ。しかし、この診察室にそれを教える時間はない。精神安定剤だけ出しておこう。
  • ああ、この患者、脳梗塞だ。社会的な立場が重い人なのに、なんてことだ。脳梗塞を予防する方法なんていくらでもあったのに・・・。医師というのは、病気になるまで手を加えてあげることができない立場であるのがつらい。まあ、とりあえず治療に全力を尽くそう。
  • この患者へのこの治療は、明らかに研究目的、あるいは医師にとっての興味目的だ。でも功を奏する可能性があるから、患者にとって悪いことではない。しかし、その治療費用を本人と健康保険が負担しているのは、正しい形式なのだろうか?
  • クリニックのオーナーからお触れが回ってきた。「今日は、放射線技師が来ている日だから、レントゲンを撮るようにしてください」と。一目でわかるただの風邪の患者でも、「肺炎の疑い」ということにしてレントゲン室に回してくれということか・・・。オーナーの顔をつぶすわけにはいかないし、まあ、そうするか・・・。(あるパート先のクリニックにて)
  • この状態は、病気というより加齢に伴って生じる必然の現象だ。治療を進めるのはワケないことだけど、治療費は健康保険を通じて、現役世代に負担させていることになる。なぜか、気がひける。

今思えば、それらこそが国民皆保険下の健康保険制度の矛盾であり、限界であり、足かせであったのです。私の本能は「本意ではないがやむをえない」という部分に対して、馴化することを避けました。そして、その部分を拒否する道を歩む決断をしたのです。それが健康保険を扱わない、いわゆる自由診療の四谷メディカルサロンの創業に他なりません。

健康保険でカバーできない医療があります。予想医学に基づく健康管理指導、ダイエット指導、気力・体力・容姿を回復させる医療、勉強会の実施によって治せる病気、子供の成長に関する医療(体格づくり、頭脳づくりなど)、治療を拒否したガン患者を見守る医療などです。
日本の皆保険下の健康保険でカバーするべきでない医療があります。つまり、現役世代から強制徴収した費用で実施するべきではない医療です。一般的な予防医学の分野や高齢になって必然的に生じる身体状態への治療などです。それらに対しては、完全自己負担か、別財源の創出が必要です。

私は高齢者に対する診療体制を不要と思っているのではなく、むしろもっと充実したものにするべきだと思っています。加齢に伴う衰えそのものをなくせるような医療を展開していきたいと願っています。しかし、医療社会の現状における次の想像を働かせてみてください。

80歳以上のある高齢者に、医療費として年間で70万円かかっていたとします。医師の指示通りに通院するごとに費用が発生し、年間で70万円になったということです。その金銭の大半は、本人負担ではありません。そこで、年間70万円使っていたその高齢者に、あらかじめ70万円を現金で与え、その70万円で診療を受けるようにしてください、使い切れないで残ったお金は自由にしていいです、というシステムに変更します。その高齢者は70万円を使い切るでしょうか?
今の現役世代は貧しく、毎月必死の思いで健康保険料を支払っています(強制徴収されています)。貧しい現役世代から強制徴収し、富の70%を所有する高齢者に配分されているのが現実だ、などと考えると悲しくなってきます。高齢者に生じる加齢に伴う必然現象の治療に対しては、現役世代から強制徴収した金銭をあてるべきではなく、別財源を検討しなければいけません。私は加齢に伴う身体の衰えの必然現象から生じる健康問題に高齢症候群と名づけることを提案しています。

では、次のようなケースを考えてみてください。

ある患者にガンが見つかりました。すでにある程度広がっていて、手術でとりきれないと判定されました。医師は、抗ガン剤を投与して治療しましょうと奨めます。医師は、患者の意向に関係なく、治療を進めるのが仕事だからです。何かの治療を行い、その治療の成果を見ていくという職業本能を持っています。
患者が「抗がん剤投与をしたくありません。このままの状態にしてください」と語ったときに、その後のその患者は医師にとって望ましい存在ではなくなるのです。医師の心の中には、治療をすれば売上にもなる、治療をしなければ煩わしさ気分が大きいだけで売上にもならない、という潜在心理も働きます。「治療する」「治療しない」のどちらの選択でも同じ売上にならないのは、健康保険制度の矛盾です。

患者はそのような医師の心理を心底に悟ります。でも、今の身体の状態なら、ガンが広がっているとはいえ、何の症状もなく、仕事もできるし、ゴルフもできるし、セックスもできます。抗ガン剤などで治療したら、どれもできなくなると患者は悟っています。医師の奨めを拒否するべきだと思っています。

あくまで治療を拒否して、結局、治療をせずに外来で経過を見守ることになりました。そうなると今度は、医師の心の中でその後のガンの広がり具合を調べたいと思います。一方、患者はそんなこと知りたくもありません。しかし、医師はCTなどの画像検査をしようとします。誰のための検査かといえば、医師の関心を満たすための検査です。その目的で検査するのは構いません。けれども、現役世代から広く徴収した金銭を使用して、その検査を行うというのは筋違いなのです。この検査の費用に関しては、現役世代から強制徴収した費用を使ってはいけません。
手術で取りきれないガン患者に関するこれらの一連の過程には、研究という重要任務も含まれています。患者を救いたいという本能よりも、何かの治療を加えて、どのような結果になるかを知りたいという研究心のほうが強くなります。医師の人間性によっては、「この治療を通じて最大の売上を上げるには?」や「やっとノルマを達成できるかな?」などの邪悪な気持ちが働くこともなくはありません。大学の研究室では、堂々と、いや、表向きは密かに、室員の医師にノルマを与えているところもあります。
結局、手術でとりきれないガンに対する治療費は、これまた別財源でなければいけないのです。私は、各個人が自分の意思で加入できる民間保険を導入するべきだと思っています。

健康保険でカバーできない医療は広範囲に存在します。そして、健康保険でカバーするべきでない医療もあります。それらを実施する医療機関が全国にできれば、ひとつの健康事象に対して、「これは健康保険適応です」「これは健康保険適応外です」を行政が主導して峻別することができ、どちらであっても、患者は行き場所があることになります。しかし、医療社会の現状においては、健康保険適応外の身体状況に関して、行くべき場所がありません。だから、行政上はすべてを国民皆保険の中に取り入れていかざるを得ないという展開になってしまうのです。その結果、現役世代はますます疲弊します。

私は日本国家の医療社会の未来のためを考えて、全国にメディカルサロンを展開し、健康保険でカバーできない医療、健康保険でカバーするべきでない医療の受け皿となる診療組織を築いていきました。諸事情あって、今は四谷メディカルサロン一つを運営していますが、私の胸の中には、その医療機関の構築、運営ほかすべてに関するノウハウが収められており、必要とあればいつでも引き出し、再稼動することが可能です。

まさに改革が関与しますから、さまざまな抵抗があることでしょうが、私は、世界最高峰の医療社会の構築に向かってまい進する人生を突き進んでいきたいと思っています。

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