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月刊メディカルサロン「診断」

年金制度をめぐって月刊メディカルサロン2012年11.12月号

国民年金の掛け金(保険料)を支払っている人が、平成24年7月の時点で54.6%にまで低下したようです。給料から天引きされる厚生年金とは異なり、国民年金は掛け金を支払おうという意思がなければ支払いません。理由はいろいろありますが、約半数の人が支払う意思を持っていないということをこのデータは意味しています。

  • リタイア後、財産があれば生きていける。財産がなければ年金より多くもらえる生活保護がある
  • 生活が苦しくて、年金の掛け金を支払うお金がない
  • 掛け捨てになってしまうであろうという予感がある
  • 掛けなくても将来に年金はもらえるであろうという予感がある

などの思いが関与しているのは間違いなさそうです。
いずれにしても、「政府に預けるより、自分で貯めたほうがずっとましだ」という気分か、「将来のことを考える余裕などない」という現実が底辺に流れています。

年金制度をめぐって安心できる制度設計へと見直そうとする政治的な動きがあるようです。しかし、もともと年金制度は互助制度の一種ですから、掛け金を支払う人が大勢いて、受給する人がごく少数でないと成り立たない制度です。つまり、莫大な数の現役世代に対して、引退世代がごく少数である時に成り立つのです。その人口構成である場合にのみ、国民は安心することができます。その人口構成でなければ、どんな制度を作っても国民が安心することはあり得ません。刑罰を設けて強制徴収するところまで行き着かざるを得なくなります。そんな未来くらいは、普通の国民は見えているのですが、中央政界、中央官僚には見えていないのかもしれません。

すでに制度が崩壊していることは間違いありません。崩壊しているのだから、過去に払った掛け金分だけはきっちりと各人に返し、年金制度を廃止するという選択があり、現役世代はその選択を渇望しています。しかし、それでは困る一部の人たちがいます。
その一部の人たちとは、年金を受給している人たちではありません。年金がもらえなくなっても、生活できるだけの蓄積資産がある人はその資産で生活し、資産蓄積がなく生活できなくなった人には生活保護費があります。本当に困るのは、年金制度があるおかげで職につけている旧社会保険庁関連の職員と、徴収した資金を配分する権限を持っていた人たち(政治家や官僚たち)だけです。徴収した資金を消滅させてしまい、掛け金分をきっちりと返金するだけの資金さえなくなった責任を問われるのが怖いのでしょう。

かつては、「お上は絶対」という思想がありました。「お上は間違えない」「お上は嘘つかない」ということを土台としています。しかし、消えた年金問題だけでなく、復興予算の悪乗り流用まで発覚し、その信頼はもはや消失しています。今や「お上は絶対」というのは、「強制徴収の強権発動ができる」という程度の意味しかなさなくなっています。

「ねんきん定期便」というものがあります。「あなたが支払った年金額はいくらです」と記し、そして「○歳まで受給し続けたら、いくらになる」などが表現されています。しかし、今やその表現は、「税金が○○円還付されますよ。だから今、△△円支払ってください」という振込み詐欺と同じような手口にしか思えなくなっているのが実情でしょう。もちろん、政府は建前としては将来に支給するつもりでいますから詐欺にはなりませんが、結果的には同じことです。後に、文面どおり支給できなくて、「詐欺同然ではないか」と指摘されても、すでに責任者不明になっていて、責任追及されないのが政府の特徴です。にもかかわらず「2年間さかのぼって支払うことができますよ」という、もはや通用しない「お上意識丸出し」の表現がいまだに見られています。これらの積み重ねが信用失墜を起こし、国民年金の暗黙の不払い運動になっているのです。

高齢者、というより「加齢のために仕事の現場から引退して非生産世代になった人たち」の生活を支える制度が崩壊した責任を、戦後から今までの中央政界と中央官僚に押し付け、中央政界と中央官僚組織を解体することでその責任を果たさせる。そうやって国民感情を慰めた上で、過去に定められた年金制度をチャラにし、新たなる制度を築くことができる政権の出現を待ち望む人々が多数出現しているといっても過言ではありません。

原点に立ち返って考えてみましょう。高齢化に伴い年金の支給総額がどんどん増える一方で、少子化に伴い現役世代から徴収できる総額がどんどん減るから、掛け金の徴収による年金制度は成立しなくなっているのです。
年金というものの本来の役割は、「引退して仕事できなくなった世代への資金援助である」という原点をよく考え、過去をチャラにした上で、次のような制度を検討するべきなのです。

引退した世代のライフスタイルを分析引退した世代のライフスタイルを分析すると、前期高齢者といえる「自由な時間を獲得して、まだまだ活動意欲が高い75歳までの世代」(1500万人強)と、後期高齢者といえる「まさに死を覚悟して余生を送るという心構えになる75歳以後の世代」(1500万人弱)の2つに分けることができます。そして、前者は立派な消費者として社会に君臨してくれますが、後者は消費意欲が低いため給付金が社会に還流されにくいというのが、経済繁栄上のひとつの問題になっています。
前者は現役世代から徴収した掛け金を現金で給付する対象とし、後者は国家直轄下で、税収を原資とする1人当たりに固定された米券、肉券、魚券、野菜券などの配給制度とします。後者には各個人の資産状況を勘案し、いくらかの現金給付を付け加えてもかまいません。米券、肉券、野菜券などにすると、給付資金はタンスの中で眠ることはなく確実に社会に還流されていきます。

高齢者の消費をあおるビジネスには本質的な無理が潜んでいますが、前期高齢者の消費意欲はまだまだそれなりにあるので、現金給付が資金還流を呼び起こし、経済再興上は合理的ということになります。現役世代から徴収した現金を給付する相手の年齢上限(この場合、75歳)が設けられますので、「掛け金を支払う人が大勢いて、受給する人が少数であってこそ成り立つ」の原則に適い、信用を取りもどすことができます。75歳までのリタイア組は、仕事一筋で生きてきたそれまでの人生から開放され、この制度下で自分の時間を楽しみ、大いに自由を謳歌して、人生を楽しんでいただきたいと思います。
後期高齢者は、蓄積資産がある人は、その資産を使って自由に生活してくださればいいのです。蓄積資産がない人も「食」は保障されますので、究極の不安はなくなります。
また、後期高齢者に配給した米券、肉券、野菜券、魚件などは、国産品の入手に限定します。すると、国内の農業生産品に対する需要は維持できるので、どんな国際情勢に取り囲まれても(TPP加入など)、国内農業が荒廃する不安はなくなります。衰退、荒廃の不安がなくなると農業に従事しようとする若者が自然に増えてきます。さらに、流通制度を工夫し、配給券の引き換え価格を調整することにより、農家への個別補償制度は不要になり、国民が納得しやすい農家の保護が可能になります。農家には、日本の高齢者のために安全で美味しい農産品作りに精を出してもらうことができるのです。
特に野菜券は、その時期ごとに引き換えられる野菜を限定すると、豊作や不作時の需要調整にも利用できます。この券は子や孫に譲渡することも可能です。有償で譲渡しても、やや安い値段で譲渡するでしょうから、親子の絆は深まるのです。この75歳以上の高齢者への配給制度の実施母体は、住民の近くに位置する地方政権にゆだねることになりますので、地方の自治権を強めなければいけません。

天下万民のためにこのような大改革がすぐにでも必要ですが、今の中央政界の仕組みと環境では不可能と思われます。日本社会に革命的改革を成し遂げられる英雄の出現を誰もが待ち望んでいることでしょう。

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