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月刊メディカルサロン「診断」

死に際の形態・・・手術でとりきれないガンが発覚した月刊メディカルサロン2013年5月号

はじめに-「死」をめぐる背景

元気で長生きするために、予防医学をどんなに活用しても、結局は死が訪れます。どんな人でも最後には死ぬ。それだけは絶対の真実です。

この「死」をめぐって、宗教が跳梁跋扈した時代がありました。日本の戦国時代の一向宗のように、「宗派を守るために戦って死ねば極楽浄土にいける」などというとんでもない洗脳を施された一群もいました。「天皇陛下万歳!!」と叫んで、特攻で散った太平洋戦争末期の時代もありました。現代にもイスラムの自爆テロが存在します。その人々の心理は測りかねますが、「この死は有意義な死である」という絶対的な信念を持っていたのは間違いないと思います。「あるいは、どうせ間もなく死ぬのだ」という破れかぶれな思いもあったのかもしれません。ふと、「兵を用うるの究極は、兵をして喜んで死なしむるにあり」などの兵法談義も思い浮かびます。

日本人には、「何か不吉なことを想像すると、それが実現してしまう」という観念が存在します。砂漠と瓦礫の地帯とは異なり、水や緑が豊かな日本には、ネガティブな話を嫌う本能が宿ります。この観念が、危機管理上の甘さとなりがちです。「原子力発電所が大異常をきたしたときのことなんて考えたくない。うかつに考えると、そんな日がやって来てしまう。だから考えないでおこう」というような発想です。同時に、「北朝鮮が攻めてくるなんて考えたくもない。うかつに考えると、攻めてくるかもしれないじゃないか。だから考えないでおこう」という思いを抱いている人もいることと思います。
そのような日本ですから、死の話をするのは嫌われます。「死ぬことの話をしたりすると、本当に死んでしまうかもしれないじゃないか」という本能が宿りがちだからです。その結果、「死に際の姿」をあやふやにしか論じないことが、最後にその人の尊厳を奪ってしまうことがしばしばです。

ガンに冒されたとき 3つの選択

ガンに冒されたときに、どうあるべきかを論じてみましょう。手術でとりきれるようなガンなら助かることがほとんどです。だから、早期発見、早期治療の必要性が叫ばれているのです。それはその通りだと思います。問題は、手術でとりきれないようなガンが発覚した場合です。抗ガン剤投与や放射線療法に取り組みますが、ごく一部の放射線感受性の強いガンを除いて、結局は、数ヶ月から7~8年で死んでいきます。その間は血みどろの闘病生活です。厳しい闘病生活を送りますが、完全なる生還が困難なのは周知の通りです。この場合、ガンが発覚した日から、死ぬまでが「死に際の姿」ということになります。その死に際には3つの選択があります。

ガンが発覚!!第1の選択-ガンと闘う

第1の選択は、明確な意志を持って「徹底的にガンと戦う」と宣言することです。

徹底的に治療に取り組むなら、治療する医師側は患者に対して、その死に際まで常に夢と希望を与え続けなければいけません。しかし、「うかつに夢と希望を与え続けると、逆恨みされるかもしれない」という心理がよぎるのが厄介です。徹底的に治療に取り組むのは、患者の病魔克服の闘争心を高め、死への恐怖を忘れさせますから、それは重要な意義ある選択です。また、医療・医学の進歩の源泉となりますから、「徹底的に治療に取り組む」と患者が宣言してくれることは、医師側にとっては大歓迎です。抗ガン剤などの治療を行うのなら、なんとなく治療を遂行するのではなく、「徹底的に戦う」という意志を鮮明にしてほしいものです。

ガンが発覚!!第2の選択-あいまいに過ごす

第2の選択は、あいまいな心で過ごすことです。

ガンが発覚したときに「死ぬのはイヤだ。何とかしてほしい」と医師に懇願しながら、心理的に取り乱す人も大勢います。そんな人の中には、なぜか日本の医療を信用せず、海外の治療方法なら助かるのではないか、という思いを巡らせ始める人がでてきます。「日本で承認されていない薬にこそ秘薬がある」という思いに駆られます。全財産を投げ出してもいいからその秘薬がほしいと切望し始めます。
TPP問題が議論されていますが、医療部門におけるアメリカの狙いは、そのガン発覚後の心理への一点集中へと収束していくのは明らかです。国民皆保険の範囲では解決できない秘薬があるというほのめかしを盛んに行い、「その治療費は高額である。だから、事前にガン治療のための民間保険に加入しなさい」というふうに話は展開していきます。そして、欧米系の生命保険会社が跳梁跋扈します。「跳梁跋扈」(ちょうりょうばっこ)という語をあえて、本原稿の中に2度使わせていただきました。冒頭にこの語を使ったのは、何に対してであったかを重ね合わせて考えてみてください。

しかし、実は、この民間保険の導入が現役世代を救うことになります。手術でとりきれないガンの治療に対しては、国民皆保険が適応される治療対象から除外するという展開をもたらすからです。つまり、現役世代から強制徴収される掛け金が減額されるのです。その代わり、「ガンが発覚したときにはさまざまな治療を行ってほしい」と思っている人は、あらかじめ民間の任意保険に加入しておくことになります。高齢者もガンの発覚後にさまざまな治療を行ってほしいと願うなら、あらかじめ任意保険に入らなければいけなくなります。自己の意思による選択で保険に加入する分には何の問題も生じません。

ガンが発覚!!第3の選択-治療の放棄

では、資力的に余力がなく、任意保険の掛け金を払えない場合はどうするのか?心配はありません。ガンが発覚した後には、第3の選択があるのですから。
しかし、この展開に医師会が猛反発するのは言うまでもなく、その大義名分として、「民間保険の掛け金を支払えない人を見殺しにするのか」という錦の御旗が掲げられます。治療しても死んでいくのに、「見殺し」という単語をやがて使い始めるのは目に見えています。ちなみに、秘薬があると思い込んでもらえる欧米においても、奇跡の生還を成し遂げるガン患者はいません。

第3の選択とは、「治療を放棄する、拒否する」という選択です。
「手術でとりきれないようなガンが発覚したときは、覚悟を決めるとき」と割り切ってしまうことです。ガンと共存しながら、じわりじわりとガンが広がっていくことを唯々諾々と受け入れていくのです。案外、何事もなく生活していけます。そして、あるとき、いよいよという土壇場を迎えます。そこで、本来なら尊厳を重視して、切腹したいところですが、そんなわけにはいきません。しかし、その場において、切腹代わりに安楽な死に方を選択できる日は遠からず来るかもしれません。
かつての日本の思想に宿っていた「城を枕に討ち死にする」「わが艦と運命をともに」「殿をいさめて切腹する」と同様の気持ちを持つことになるのです。
「第3の選択の覚悟を決めて生きている人からも、他人のガン治療費を健康保険の掛け金として強制徴収している現状はおかしい」と語ることに大義名分がありますので、いずれは、TPPとも重なって健康保険制度の改革の日が来ることでしょう。

おわりに-予防医学のすすめ

ガンの一つひとつに対して、「このガンにかかりうる」「このガンにはかかりやすい」「このガンにはかかりようがない」を判断していくのが、予想医学の手法です。この手法で可能な限り高確率でガンを未然に防いでほしいと思います。やはり、死ぬときのことを考えるより、長生きすることを考えるほうが楽しいですからね。

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