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月刊メディカルサロン「診断」

老後の定義に関して、提言あり月刊メディカルサロン2013年10.11月号

二人の高齢者を通して

先日、ある地方都市でゴルフ仲間に紹介された高齢者と夕食をともにしました。その人は82歳で、途切れることなく延々としゃべり続けます。よほど頭がさえているのでしょう。
「私は、20歳過ぎに戦後焼け野原からそれほど回復していない東京に行き、丁稚奉公から始め、7年かけて衣服の仕立て技術を身に付けた。その後、この故郷に戻り、テーラーを開業した。多くのお客さんに可愛がってもらい、仕事は繁盛し、10人以上の弟子を育て上げた。もう、私の店はたたんだが、弟子たちは、皆それぞれ独立開業している」
裸一貫からスタートした典型的な成功人生です。一つの技術を身に付け、その技術で自己の人生を成し遂げ、後進も育成したのです。
ふと、脳裏に潜んでいた思い出と重なりました。私が30歳のときに、アメリカ西海岸を訪れて、あるおじいちゃん家長とその子ども、その孫へと連なる大家族と夕食をとったときのことのことです。その家長である75歳前後のおじいちゃんは語りました。
「私は若いころ、日本からアメリカへと渡りました。必死に勉強してパイロットになり、その後、自家用機のパイロットとして人生を送りました。まじめに仕事をしたので、いいボスに雇ってもらえた。よい妻とも出会えた。そして、見てのとおり、単身渡米した私が一族をなすことができ、幸せな成功人生を営むことができた。今は、ときどき集まって食事会を行える家族に囲まれて、悠々自適の引退後生活を送ることができている」。

『老後』とはいつからなのか

話は戻ります。頭に衰えを見せない、しゃべり続けの82歳の高齢者が突然、話題を変えて語りました。
「私は、老後は沖縄で生活したいと思っている」
「えっ」
疑問の叫び声があがりました。
「老後は、沖縄って・・・。それ、いつのこと?今でしょ」
その82歳の高齢者の意識の中で、今はまだ老後ではなかったのです。

「老後の設計」「老後の不安」「老後の夢」「バラ色の老後」「老後の楽しみ」など、『老後』という語はよく使われますが、これは一体いつ以後のことなのでしょうか?高齢化社会を迎えて、「老後」の意味が曖昧になりすぎ、不安を煽るために用いられているように思えます。
前述の二人はそれなりに高齢であり、「社会で仕事するという現役生活を退いた後」であることは間違いないですが、「すでに老後である」とは決して思っていませんでした。
二人とも体力的には、若いころとは違いがあることを認識しています。しかし、だからと言って、老後であるとは思っていません。高齢になって体力が衰えたという観点で、老後を定義してはいけないようです。

『現役引退後』=『老後』ではない

私が大学病院にいたときに、65歳のすい臓ガンの患者を迎えたことがあります。つい2ヶ月前に地方銀行を定年退職したばかりです。手術は不可能な大きなすい臓ガンでした。
「家族のために馬車馬のように働いてきて・・・。ストレスだらけ、プレッシャーだらけの職場で、必死の思いで生きてきて・・・。やっと自分の時間を得られるようになったと思ったら、このざまだ・・・」
数ヶ月後、66歳になった直後にお亡くなりになりました。

老後を辞書などで調べると、反対語に『現役』と出てきます。この人は現役ではありませんので、老後に亡くなったことになるのでしょうか?
引退後に「自分の時間を自由に使える」というのは間違いないようです。だからといって、引退後=老後というのには無理があります。この66歳の人は、「引退後(定年退職後)に死んだ」のは間違いないですが、「老後に死んだ」というのには無理があるのです。ですから、辞書などに出てくる「老後とは、仕事で収入を獲得する日々である現役時代を終了させた後のことである」という定義には、矛盾を感じるのです。

正に『老後』を定義する

『現役引退後』という語には、積極的な収入が無くなるというネガティブなイメージがありますが、同時に時間を自由に使えるというポジティブなイメージもあるのです。しかし、老後という後にポジティブなイメージはあまりありません。
「現役引退後に死んだ」といえば、惜しまれるイメージ、同情性のイメージも同伴しますが、「老後に死んだ」では、そのイメージに直結しません。

老後とは一体いつ以後のことなのか。私は健康管理学という学問を自ら創設しているという自負を持っています。したがって、「老後」の定義は、私が作らなければいけないのです。老後を定義していく上では、人の一生の終末の姿を連想する必要があります。

死に際の5形態

私は、健康管理学を支える予想医学の観点から「死に際には5形態が存在する」ことを説示してきました。

  1. 急死(ある時、突然死ぬ)
  2. 身体が不自由になって介護が必要になり、やがて寝たきりになり、そして肺炎を起こして、間もなく死んでいく
  3. 身体機能、知的機能が衰えて家に閉じこもるようになり、食べなくなり、死んでいく
  4. 手術で取り切れないガンが発覚し、闘病の末に死んでいく
  5. 気づかないうちに全身にガンが広がっており、発覚後すぐに死んでしまう

の5つです。人はこの5つのパターン以外で死ぬことはめったにありません。

この5つの中に生活の最終像が凝縮しています。1.4.5の急死やガンは、あらゆる年齢層にリスクとして存在しますので、発症時の日常生活の状態とは無関係です。日常生活の身体の状態として関与するのは2か3です。

つまり、日常生活における身体の状態としては、
「五体満足でピンピン元気にしている」
「五体不満足で介護が必要であるが、積極的に外出している」
「五体不満足、あるいは五体満足でも家に閉じこもっている」
のいずれかなのです。

五体不満足で介護が必要となる生活を、老後生活といえるのでしょうか?若くして発症することもあるので、「病後」であることは確かですが、「老後」と単純直結することには矛盾を感じます。これは闘病生活、病床生活、リハビリ生活、要介護生活などの名称が適しています。
身体が不自由になるのは、脳血管障害や脳神経系の病気や事故などですから、これらを防止できればとりあえずは3の道を歩みます。その3の過程で、急死、ガンが発生するのです。急死すればそれで終わりなので老後を論ずる必要はなくなります。4は闘病生活となり、老後の概念とは異なる生活になっています。5は発覚直前まで元気にしていますが、発覚後は1~2ヶ月以内で死んでしまいますので、老後の概念は不要です。

『老後』の健康管理学的定義

したがって、健康管理学的に欲を失い家に閉じこもっている状態のことになります。つまり、外で活動する意欲を持っているうちは老後ではないということになりますから、介護が必要であっても外出する意欲があれば老後の要介護生活とは言わず、単なる要介護生活です。高齢になっても外出する意欲があるうちは、まだまだ老後ではなく、単なる「引退後」に過ぎません。
健康管理学的には、「高齢になって、外で活動する意欲がなくなったら老後である」と定義することができそうです。「老後とは、高齢になったうえで外出するなどの意欲を失った状態」ということになります。
その老後の心理状態は、まだ元気に出歩いている人には決して想像することはできません。「孤独」や「死」を恐れる風潮がありますが、それはあくまで元気な頃の心理であり、高齢になって外出意欲がなくなった後=老後の心理では、孤独や死が怖いかどうかは不明です。自殺する人の心理が理解できないのと同じと思えばいいです。つまり、老後の心理は、外出意欲がなくなり家に閉じこもるようにならないとわからないのです。

『老後』を恐れる必要はない

さて、そのように考えると、老後になれば家に閉じこもっているわけですから「老後設計」は不要、出歩かないのですから「老後資金」は極小で済み、不安に思う心理がなくなっているのですから「老後不安」もなく、家に閉じこもっている単一の生活形態ですから「バラ色老後」「どん底老後」というものも存在せず、「老後の楽しみ」はテレビ1台とパソコン1台、書物があれば十分に満たされるということになるのです。
「老後の対策は万全ですか?」などの掛け声が飛び交っていますが、老後を何ら恐れることはありません。単に脳梗塞や事故で身体が不自由になることだけを警戒し、それに陥らないように万全の予防態勢を考えればいいのです。

「老」という後にはネガティブなイメージが付きまといます。「老、病、死」の3つへの恐怖を利用して、そのネガティブなイメージを増税や制度作り、施設作りに利用したいと思っている政府独特の用語と思ってしまうのがいいようです。
今後は、老後という語を頻繁に用いるのではなく、老後と現役引退後を峻別し、厳格な使い分けを意識して欲しいものです。なお、定年退職した現役引退後を、「老前」「老中」「老後」に分類する新提案は健康管理学的に有用です。
冒頭に記した、老後は沖縄で生活したいという82歳の高齢者と詳細に話しつめると、「妻が行きたがらないから、今は沖縄に行けない」とのことでした。この場合は、「老後は沖縄で生活したい」ではなく、「妻が死んで独り身になってしまったら、沖縄で生活したい」と表現しなければいけません。「老後」は外出する意欲がなくなった状態なのですから、沖縄で生活することはありません。
外出して遊んだり、仕事をしている人に対しては「老人」という言葉を使わず、単なる「高齢者」というべきなのでしょう。
「老後の生活不安」などの語も不適切で、「現役引退後の生活不安」というべきでしょう。繰り返しますが、脳梗塞や事故さえ防止すれば、老後には何の不安も無いのです。

現役引退後の生活設計について

もちろん、引退後の生活資金を社会の仕組みの中できちんと確保できるようにしておくことは、各個人が責任を持つすべての前提問題です。
引退後を年金だけで悠々自適に生活できない人は、やはり何か仕事をするしかありません。この分野を解決する着想原点は、
「現役引退後は、同じ仕事をしていても収入が激減するのが当たり前。収入レベルが根本的に異なるものなのだ。子育てと財の形成を必要とする現役生活中は、不相応な高収入状態にして当事者を保護することに社会は責任を持つが、定年退職以後は高収入の保障に関して社会は責任をもたない。それが社会というものである」
という認識を常識として成人に周知させた上で、各個人がいかなる涯生活を設計するのかという問題に帰結しますが、それは別の機会で話します。

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