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月刊メディカルサロン「診断」

「社会に向かう心得」と「誰が教えるの?」月刊メディカルサロン2014年5月号

ちょっと叱っただけで・・・

私は、経営者の健康管理を司るプライベートドクターシステムを20年以上も運営しています。当然、経営者の皆さんとは、日ごろから多くのコミュニケーションをとっています。
最近、こんなぼやき(?)をよく耳にするようになりました。

「近頃の新卒は本当にダメだ。ちょっと叱ったらすぐに退職しようとする。競争心がない。自ら学ぼうともしない。今年の新卒は全滅だった。心構えができていない」

私はここ5~6年、採用面接さえ行っていませんので、働く人の心得の動向に直面する機会がありませんでした。ですから、そのような話を聞いても実感がわきません。
そんな矢先、健康教育事業に本格的に取り組むことになり、事業の遂行の核となる人材を得るために、かなりの待遇を用意し募集を始めました。

採用活動から見えてきたもの

まずは、ハローワーク。もちろん正社員の募集です。まだ若いのに転職を繰り返している人が応募してきます。冒頭で述べた「ちょっと叱ったら・・・」の話が思い浮かびます。久しぶりに自ら面接しました。そして、愕然としたのです。

私は応募者に尋ねました。
「正社員と、派遣社員・契約社員などとは、どこが違うと思いますか?」
正社員の募集ですから、雇う側の私は、「正社員として就業するとはどういうことであるか?」に関して、応募者がどのような見識を持っているかを知りたいのは当然です。面接したすべての人は、しばらく考え込んで、次のように答えました。
「正社員は期限の定めがなく、その他は期限の定めがあります。そこが違いです」
「他に、何かありませんか?」
「・・・」

だんだんと「今、私が行っているのは面接ではない。社会の底辺の調査活動である」という気分になってきました。頭の中には、生活保護法受給者が200万人を超えているなどというデータがよぎります。
日本はますます二極分化がすすむだろうな、と直感しました。社会構造が主たる原因で二極分化が進むのではなく、働く人の心が退廃して進んでいくのであろうと思いました。この退廃を推し進めたのは一体誰なのかという疑問も湧いてきました。政治か、教育か、親か、本人そのものが悪いのか・・・。

安住の民、流浪の民

社会で仕事をして生きていく、という人生の当り前に関して、歴史経過が思い起こされます。
江戸時代以前、人の身分は血筋、家格で決まっていました。明治維新、そして太平洋戦争後の民主化路線を経て、現在は幼少時からの心構えと努力で身分が定まる時代になっています。まず、それが一番の原点です。
戦国時代、武士と足軽という2つの階級が存在しました。この二つはどう違うのでしょうか?
生まれながらにして、「足軽の子は、足軽」というイメージがありますが、よく調べてみると、そうではないことがわかってきます。織田信長は足軽に鉄砲を持たせ、足軽の戦力度を高めましたが、織田信長の以前は、足軽というのは支配階級に雇われた「流浪の民」を意味していました。「あっちの水は甘いぞ。こっちの水は苦いぞ」で、働く場所を次々と変えていくから、「足が軽い」=「足軽」となったのです。
武士は、多かれ少なかれ自分の土地を持ち、土地に密着していました。だから、「その土地を守る」という筋の通った心得で生きていました。土地を守るために武装が必要となり、武士階級が誕生したのだから当然です。
土地に密着しているか、流浪の民であるか。この二点が、武士と足軽の決定的な違いです。では、今の時代、正社員と「派遣社員、契約社員」を分ける決定的要因は何でしょうか?武士が持っていた「土地」に変わるのは何でしょうか?

それは、「志」です。「自分が思い定めた業界で、その業界独自のノウハウを身につけ、自分の実力を高め、その業界と所属組織の発展のために尽くしながら、自分の身を立てて行く」という心の奥の強い思いです。

志持たずに正社員を目指すな

話を元に戻します。今回のケースでは、健康産業という業界の正社員募集なのですから、まずは「健康産業の中で奥深いノウハウを身につけいきたい。そして、この業界で身を立てた自分を築き上げたい」という志がなければいけません。
正社員とその他の違いについては、「正社員とは、業務命令に従いながら、自らの技量・人間性を高め、よりレベルアップした業務命令をこなせるものへと成長し、身を立てるという立場を目指していくもの」ということになります。それ以外を望むのなら、派遣社員、契約社員で十分です。

とはいえ、すべての人に「志を持て」というのには無理があります。自己の信条に応じて、自分の生きていく道を選べばいいのです。しかし、少なくとも「正社員募集」に応募する限りは、最低でも、正社員とその他の雇用形態との根本的な違いをよく心得ておく必要があると思うのです。待遇の違いではなく、希望する心構えの違い。その心得を誰も教えてくれないから、単に「期限の定めがない=辞めたいというまでは雇い続けてくれる」という願いで、正社員募集に応じているだけなのです。

いつ、誰が教えるか?

面接を続けながら、さらに思考は深まります。正社員とその他の雇用形態の違いを、社会人になる前から教育されていれば、その人の人生は違うものになったのではないか、という点です。この教育があったなら、絶対に生活保護法予備軍のような人生にはなっていません。

では、その教育を誰が施すべきなのでしょうか。
「人の生きる道は、親に仕えることから始まり、君に仕えることを中程(なかほど)し、身を立てるに終わる」
つまり、社会人になる前のことは、親がわが子に教育しておくべきことなのだと思います。

「○○ちゃん。仕事をする人は、二つに別れているのよ。一つの業界で一人前になろうと努力を続け、上司の命令に従いながら学び続け、その業界のシステムを深く身につけ、自立できる立場になっていく人。そして、まだ自立できていないのに、あっちの水は甘いぞ、こっちの水は苦いぞと思いながら、ラクに見えるほうへと鞍替えしていくことを繰り返している人。あなたはどちらの人生を歩みたいの?」

と、機会あるごとに語りかけ、社会にはどんな業界があるのかを教えてあげることは、親の使命ではないかと思のです。

 

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