HOME > エッセイ集 > 健康保険制度のひずみと、失われない志

月刊メディカルサロン「診断」

健康保険制度のひずみと、失われない志月刊メディカルサロン2014年6月号

健康に対する知的欲求向上の背景

「健康をすり減らしてでも、働きぬくことが男の美学である」とされた高度経済成長を通り抜け、平成に入る頃には、社会の底辺に健康ブームが芽生えていました。怪しげな健康食品を売り歩く人も目立ち始めました。
そして、バブルがはじけた平成3年、4年の頃。経済情勢に対するストレスと社会底辺に広がっていた健康ブームが妙な合体をして、健康、人体、医療に対する知的欲求がより一層高まりを見せます。健康に関して正確なことを知りたいという欲求の高まりです。「バブル期を乗り越えて社会資本が充実した。それらを楽しむためには、健康でなければいけない」という当たり前の本能が強烈に前面へ出てきたのです。

変化する社会環境 問われる医療のあり方

その高まりは、同時に「医師に対する不満」という形式で顕在化しました。新聞紙上には「検査漬け、薬漬け、3時間待ちの3分診療」などが見出しが躍り、「医師不信つのる」と声高に叫ばれるようになりました。
医師としては、何かを変えたわけではありません。従来どおりの診療に取り組んでいます。しかし、社会が新たな期待を寄せるようになり、医師側も対応を迫られるようになったのです。もはや、昔のように「この薬を飲めといったのだから、飲めばいいのだ」「肝臓が悪いといっているのだから、肝臓が悪い。それ以上聞くな。黙って、この薬を飲んでおきなさい」などの高飛車な物言いは通用しなくなりました。

「医師側も対応を迫られるようになりました」と一口で言うのは簡単ですが、事はそんなに容易ではありません。医師が提供する医療は、健康保険制度に縛られているのです。

健康保険制度のひずみ あれこれ

健康保険制度というのは、「病気になった人を治療する」ための制度だと思われていますが、厳密にはそうではありません。「病気を治療する」ための制度なのです。
ターゲットは人格を持たない「病気」であり、その病気を治すことだけを考える制度であって、その病気を持つ人の知的欲求の高まりには対応できる制度ではないのです。しかし、要求されれば応えざるを得ません。そこに健康保険制度のひずみが生まれます。

「説明と同意」=「インフォームドコンセント」の重要性が叫ばれるようになりました。「実行しようとしている治療に関して十分な説明を行い、患者側の同意を得た上で治療を進める」という意図ですが、日本の医療ではこれが成立していません。なぜなら、治療費の問題が俎上に上がらないからです。国民皆保険制度の中で、費用の大半は本人の負担ではなくなります。だから、治療費を「十分な説明」の中に入れる必要がないのです。もし、治療費が自己負担であったなら、医師側は「その治療にはいくらかかるのですか」「別の治療なら、どれくらいの費用になるのですか」という質問攻めにあうことでしょう。
この観点に気がつくと、インフォームドコンセントのやり取りが滑稽なものに見えてきます。患者側の知識不足と費用負担の無さを救いとして、医師が思い通りに事を運んでいるだけなのです。日本の健康保険制度下においては、「インフォームドコンセント」は、ただの大義名分に過ぎません。それも健康保険制度のひずみです。

国民皆保険制度の限界が来た

せっかく診察室に入ったのだから、できるだけたくさんのサービスをしてほしいと患者が思うのは当然です。その望みにこたえるのは医師の責務です。しかし、そこで滑稽な事態が生じます。
診察にまつわるサービスというのは、たっぷりと時間を費やして、病気に悩む患者の心の苦痛をやわらげるための努力のことです。しかし、健康保険制度下では、そのサービスが「たくさんの検査を申し込ませてあげる」「たくさんの薬を出してあげる」といういびつな方向へとすすみます。本当に滑稽です。それを大真面目にやっているから、ますます滑稽になるのです。

国民皆保険制度の限界が来た、と思うのが妥当でした。しかし、日本は国民皆保険制度一色ですから、患者の要求をその制度の中で解決していかざるをえません。以後は、制度をいじりながら、厚労省、医師会の必死の努力が続きます。

そんなとき、私は
「結局、健康保険でカバーできない医療があるのだ。健康保険でカバーしてはいけない医療もある。それなのに、それらすべてを健康保険の中に盛り込もうとするから、いけないのだ」
と悟りました。明確な言葉にできたのは後のことですが、当時からそのように考えていたのは間違いありません。

進むべき道、失われない志

しかし、運命のいたずらというのでしょうか。そんなことを考えている最中に、私は大学病院の外来担当医を任じられていました。そこで私は究極の選択を迫られたのです。健康保険制度のひずみに対しては知らんフリを装い、通常の医師としての裕福な人生を進む道。その対極をなす、健康保険制度を捨てて「健康保険でカバーできない医療」「健康保険でカバーするべきでない医療」を突き進む波乱万丈の道。
後者なら、まずは「患者の知識を高めてあげることにより、心の苦痛を解決していく医療」「まだ病気ではない人に対する予防医学的観点の医療」に取り組むことになります。

広い視野で見れば、後者は日本の医療を健康保険医療と非保険医療の二本立てにする道です。平成4年に後者の選択をした私は、巨大な抵抗勢力に阻まれながらも、支援してくださる皆様の心をいただき、波乱の中を今に至っています。志を失っていないのも、支援してくださる皆様のおかげと感謝している次第であります。

エッセイ一覧に戻る