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月刊メディカルサロン「診断」

深層心理に潜んでいたもの月刊メディカルサロン2014年9月号

「何かが違う」

一人の子供が医師になっていく道は大きく分けて2つのパターンに分かれます。

1つは高校生までのどこかで、自分の強い意志が働いて学業に必死の努力をした場合です。小・中学校と良好な学業成績を残し、高校生になり進路の選択の幅が広くなった成績優秀な子供が医学部を志す場合や、小・中学校の頃から医学部を志して、頑張って勉強した場合などがこのケースになります。
もう1つが、親が子供を医者にするために道筋を作った場合。この場合は、医学部を有する大学までの一貫教育を施している中学・高校に入学させ、在学中に寄付金を繰り返すケースがスタンダードになっているようです。大学までの一貫教育ですから、医学部に入学させやすくなります。
とはいえ、最後に国家試験が控えていますから、成績はやはり優秀でなければいけません。私の場合は、前者のパターンになるのですが、同級生たちと比較すると「何かが違うぞ」というのを感じます。つまり、どこか異質性を感じるのです。その実態に、最近ふと気づきましたので語ってみようと思います。

少年時代を振り返る

小学校時代は、成績は中の上くらいを確保する真面目な少年でした。ちょっと変わっていたなと思うのは、5年生のときに、ポケットに1000円札1枚を詰め込んで、うち500円で餌(ゴカイ、青イソメなど)を買い、釣り道具を持って隣の県(和歌山県)まで一人で海釣りに出かけていたことです。「ええ?こんな少年のときに一人で危ない海際に出かけていたの?」と驚きますが、自分の行為に驚いているのではなく、出かけさせた親の勇気に驚いています。親がその気になれば、5年生はそれほどのことができるのです。

中学生になったときに天変地異が発生しました。両親が料理店を営むことになったのです。私は食器洗いの一員として駆り出され、学校から帰るとすぐ、家にかばんを置いて店へ向かいました。
仕込みを手伝い、開店したら食器を洗い続けます。中学1年生ながら、ときには、お客さんの注文をとりにもいきました。「ずいぶんと若い子が働いていると聞いた」と警察官が乗り込んできたこともありました。母が、「うちの息子です」と答えていたのが耳に残っています。

頭を使って生きるか、身体を使って生きるか

私は店の手伝いをしながら、ずっと立ちっぱなしで仕事している人の姿をみて、「学業で生きていきたい」と思うようになりました。親から、「人の生きていく道は二つに一つだ。頭を使って生きていくか、身体を使って生きていくかだ」といわれたことも耳に残っています。中1、中2は背がよく伸びます。水道の蛇口がだんだんと低くなり、腰をかがめて食器を洗うため、腰痛を感じ出したのを覚えています。立ちっぱなしで腰をかがめて食器を洗い続けるという荒行をさせながら、「頭を使って生きていくか、身体を使って生きていくか」というようなことを親が説いたのだから、「頭を使って生きていきたい」と思うようになったのも、当たり前かもしれません。
なにはともあれ、それがきっかけで、中2の3学期から猛勉強を始めました。「勉強して大学を卒業して社会人になった」という一般的なルートではなく、「社会人にされ、勉学の重要性を知って、社会人生活の一環として勉強した」というルートになります。
だからかどうかはわかりませんが、高校時代は学業だけでなく、「株式会社の作り方」や「税務の知識」などの本を読んでいた思い出があります。変わっているのは、「三国志」や「新書太閤記」などの吉川英治文学から始まり、「孫子の兵法」や「六韜三略」を熟読していたことです。大学生のときに、同級生の前で「孫子の兵法」を自慢げに暗誦してみせた記憶があるので、相当熟読していたのでしょう。

潜んでいたのは、見続けたサラリーマンの姿

私は自分の異質性について、「まず肉体労働となる稼業の手伝いから始まったことにある」「勉強のために勉強をしたのではなく、社会人生活の一環として勉強したことにある」と思っていました。しかし、最近になって、もっと重大なものが、自分の中に潜んでいたことに気づいたのです。

それは、店に来て飲食しているサラリーマンの姿でした。冬はふぐ料理を扱っていましたから、富裕層らしい顧客もいました。しかし、メニューのメインは、焼き鳥や揚げ物、お刺身などといった一品料理で居酒屋メニューでしたから、店の近所にあった大手家電メーカーのサラリーマンが大勢来店していたのです。
同僚同士、あるいは上司部下だったのか、中学生の私にはよくわかりません。小声でぼそぼそ話し合うこともあれば、多少大きな声で心地よく話していることもあります。話の内容もよくわかりません。明確に分かったのは「10円の価格に敏感である」ということでした。
あれもこれも食べたいだろうに、値段を見てグっと我慢します。同伴者同士で一生懸命に話し合いながら、何を注文するか決めています。富裕層らしい顧客は決してそんなことをしません。
「ああ、サラリーマンというのは、家族を抱えて、死ぬまでの人生を成し遂げるために、必死の苦労をしているのだなあ」という強烈な印象が残ります。痛々しいまでの苦労の中で、日々の生活を営んでいるのです。そんな中のささやかなストレス発散現場さえもお金に縛られているという現実。私はこの現場を見続けました。

「異質性」の大元は感謝の心

私は他の医師とは何かが違う。その大元がふとわかりました。私は世間の人が生活を成立させて、生き抜くためにどれほどの苦労をしているかを知っているのです。私以外の医師たちは、お金に苦労している人たちが社会の大半であることを知りません。というよりも、お金に苦労するということがどういうことかも知りません。
医師達は国民皆保険の健康保険制度という強力な利権構造の中で、実にいい思いをしています。その利権構造は、大変な苦労を強いられながら生活しているサラリーマンから強制徴収した金銭で成り立っているのです。

私も本来ならその利権構造の中でいい思いをする権利を持っている立場なのに、健康保険制度を憎んでしまうのは、涙ぐましい努力で生活しているサラリーマンの姿が眼前に浮かんでいるからだったのです。その姿を知っているから「三方、皆それでいいじゃないか」という健康保険制度下の甘い診療現場が許せないのです。

私は、私の活動が何に義理立てしているのかよくわかりませんでした。しかし、サラリーマンのみなさんが支払ってくれたお金のおかげで、私の実家が生活できたことを感謝し、医師としての今があるのもその人たちのおかげだと思い、何とかしてサラリーマンの生活を救ってあげたいという義侠心のようなものが私の中に潜んでいたのです。最近、そんな深層心理に気づいてしまいました。

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