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月刊メディカルサロン「診断」

夫婦、親子、いっそのこと月刊メディカルサロン2014年10月号

父子関係 最高判決から思うこと

最高裁は今年7月、「入籍している夫婦に子供が生まれた場合、その夫婦の子であるとみなし、生物学的な親子関係を持つ男が夫以外にいたとしても、生まれた子と夫以外の男との親子関係は認めない」という判決を示しました。
この件について、マスコミでは深い議論がなされませんでした。「生活の単位となる家族の在り方、どうあるべきか」という奥深い問題に言及することになり、「あちらを立てればこちらが立たない」「何を言っても誰かに批判される」という煩わしさが底辺にあったからでしょう。
豊臣秀頼が、豊臣秀吉の子であるかどうかに関心を持ってはいけないという風潮とも連動しているかもしれず、また、天皇の万世一系の問題に議論が及ぶのも警戒されたのかもしれません。

現実的に、男性の精子壊死症などが原因の夫婦不妊の際に、ドナーから精子をもらって出産しているケースが少なからずありますので、最高裁が下した判決は妥当なのかもしれません。
遺伝子を引き継ぐかどうかで親子関係を確定させるなら、ドナーとして手伝った経験のある医学部卒業生にはたくさんの子がいることになってしまいます。後に、「あなたの子です。遺伝子で証明できます」などと追及され、親子関係を迫られることは想定外です。
しかし、今回のケースを通じて、女のくそ度胸といいますか、見事に割り切れる倫理観といいますか、世の男性はそれを目の当たりにし、不安をよぎらせたかもしれません。

「うちの娘に子どもを作って」

たとえば、この判決を逆手に取って、「あの人の子供がほしいが、事情があり、そういうわけにいかない」などの場合に、他の男と結婚しておいて・・・というケースが生まれるかもしれません。あるいは「この人との間では子供ができない。いっそのことこっそりと・・・」というケースもあり得ます。そんな馬鹿なことがあるはずはない、と断定しきれる人はいないことでしょう。

私が30歳のころ、ある50歳代の女性から相談を受けました。

「私には一人娘しかいません。出戻りで28歳、二度と結婚したくないと言っています。しかし、名のある家業があり、後継ぎがいないと困るのです。娘は“先生ならいい”と言っています。先生!決してご迷惑はかけませんから、うちの娘に子供を作ってくれませんか?」

その女性はまっすぐに私の目を見つめ、堂々と語るのです。鬼気迫る表情に、聞いている私は背中が汗でびっしょり。子(孫)の獲得に関して、腹を据えた女の度胸のすごさを感じました。こういったくそ度胸に、世の男性は潜在的におびえているのかもしれません。

キーワードは 母にとっては“私の子”

ただ、どんなケースであれ「誰の子?」という疑問があったとしても、確実なのは「母にとっては私の子」であるということです。父が誰であろうと、母にとっては「私の子」。そして、子にとって「母は母」なのです。
そういえば、子供が脳死状態になった時、臓器提供に関して決断するのは母親です。父親には決断権がないのが実情です。やはり、「夫の子」であっても、それは極めて薄く、「母の子」であるのです。この「母にとっては私の子」が、あらゆるケースにおけるキーワードとなるのです。
男性は、妻以外の女性に子供ができたら、後ろめたい気分でおどおどしますが、女性は夫以外の子供ができても、びくともせず堂々としています。「隠し子」事件が発覚するとマスコミは喜び勇んで報道し、隠し子を持った男は倫理的な追及を受け、小さくなっていきます。一方、妻が夫以外の子供を身ごもっても、マスコミは追及しません。女性からの反撃を恐れているだけではなく、「家族の単位は、母子だから」と本能的に悟っているからでしょう。

「母子」を単位とする社会にしてみたら・・・

「いっそのこと」という仮定話、空想話を誕生させてみましょう。日本の社会は、家族の構成に関して「夫婦」を基本単位としていますが、これを「母子」にしてみるのです。
まず、「母子」を単位にすると、昨今の「子育てに父が大きく関与しなければいけない」という風潮はいったん消滅。母がもっぱら子育てを実行し、責任を持つことになります。母子が住む家に、子の父が同居する必要はありません。
「母と子」の生活資金は、「子の父」が捻出します。もちろん、母の実家からでも、母自身の仕事による収入でもいいでしょう。子育てをしながら仕事で収入を確保するのは大変ですが、できないわけではありません。場合によっては、政府が生活を完全保障するという選択もあります。
「夫婦」を単位とする現社会では、女性は夫である男の収入を将来にわたってあてにして、将来のゆとり、安泰を計画しています。女性の社会進出が進みましたが、その風潮は変わりません。また、母は「自分の子供に迷惑をかけたくない」という思いからか、子供に生活保障を強く要求することはありません。
しかし、「母子」を単位とすると、母の立場では「将来の安定、ゆとりを我が子の未来に求める」という考え方になります。自然と子育てへの思い入れが変わってきます。
現社会においては、子は社会人になったら、「一人前になって結婚する」を念頭に置き、親のことは無視しがちです。母の生活は父が保証していると思っています。
しかし、「母子」を単位としたなら、子は「一人前になって、母に安定、ゆとり、安泰を与える」を最初の目標にします。産み育ててくれたことへの恩返しから社会人生活を始めるのです。「母にゆとりと安定を与えられていない子は、まだ半人前」というレッテルとの戦いになります。
こうして、「マザコン」「子離れできない」とは、別次元の母子セットが誕生することになるのです。

では、その過程における「子の父」の役割は何なのでしょうか?
当然、子が一人前になるまでの母子のセットの生活保障だけが重要な義務になります。子の母と入籍しているかどうかなどは二の次です。母子の生活さえ保障できれば、男性は女性から詰問口調を浴びせられることはなくなります。
人類の継続は女性に任せて、男性は一代限りのエイリアンのようなものとなり、母子セットの生活を確実に保証することができれば、家族を後顧の憂いとすることなく、天下に思いをはせて、切腹覚悟で思い切ってチャレンジングな人生を歩み続けることができるようになります。晩年は妻の介護をあてにすることなく切腹で人生を終了させます。そんな男の人生も考えようによっては、爽快です。

遠からず現実に!?

以上は、仮定話、空想話ですが、どんなに妙な話でも、筋が通っていれば、「その通りだよ。もっと早くそのことに気づけばよかった」と同調してくれる人が現れますから、世の中は面白いものです。
こうやって突き詰めていくと、最後に残る問題は、男が残した資産の配分システムだけになりそうです。その部分の法整備を成してしまえば、空想話や仮定話ではなくなる日は近いかもしれません。「資産の配分システムをきちんとしてくれるなら、夫はすでに邪魔者にすぎない」と心底で思っている女がいるならの話ですが・・・。
もちろん、私自身は「労わりあうことが一つの幸せ」という境地に皆がたどり着いてくれることを願っています。

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