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月刊メディカルサロン「診断」

富裕層の老後生活の万全化月刊メディカルサロン2015年1月号

看護師が抱える不満と葛藤

ある男性看護師と話をしました。正義心の強い看護師で、勤めている病院で保険点数を獲得するためのとんでもない手法が行われていることを私に暴露し、勤める病院の売上至上主義を非難していました。
彼の気持ちは痛いほどよくわかります。私は医師ですから、健康保険制度で生じているひずみを見て、正義心がそれを許せなかったとき、自由診療の道を歩むという選択をできました。
しかし、看護師の彼は、医療社会の中で独立するという選択ができません。正義心から発する不満を抱きながらも、体制に身を任せるしかありません。その不満を語れる相手は、私のような医師しかいないのも確かです。

外科医と手術室看護師優秀な成績を収める外科医は、手術現場で優秀な周辺スタッフ(手術室看護師ら)に支えられています。にもかかわらず、手柄を独り占めする医師の姿にも彼は不満を抱いているようでした。確かに、手術の技術で名を挙げた医師は、「私の手は、神の手だよ」と誇らしげに語ることはあっても、「手術室の皆さんのおかげです」と語ることはありません。
手術室の術者となる医師と周辺スタッフの間には報酬面でも格段の差があります。「協力し合って一つの成果を上げているのに」という不満はあって当然です。

ときに、プロゴルファーがトーナメントで優勝すると、日本ではキャディに雀の涙ほどの手当てが与えられます。一方、欧米では優勝賞金の20%ほどを「君のおかげだ」と言ってキャディに手渡すという話を思い出しました。欧米のキャディは、自分がついたプロの心のマネージメントにまで気を使っているのでしょう。
男性看護師は、手術中の医師の心を安定させるための気遣いについて、数々の苦労話をしてくれました。
日本は「和の国」と言うそうですが、本当なのでしょうか?
その話を聞きながら、メディカルサロンを創業し、ここまでたどり着いて、今の私があるのはスタッフの皆のおかげだと改めて思い直した次第です。

総中流社会から格差社会へ

さて、この機会に、現代の世相を検討すると同時に、私は看護師という職の未来への可能性に関して、考えてみました。

今の日本社会は、貧富の差がとんでもなく拡大した社会になっています。幼児期からきちんとした教育を受けた上で、「人の3倍働く」「誰よりも一生懸命に勉強し努力した」という人が富裕層となり、幼児期から勉強不足で心構えの不良があり、「自己の不遇に対して利己的な不平不満を述べながら怠けてきた」という人が貧困層となっている世の中です。中間層はもちろんいます。

私は、「富裕層」「貧困層」という用語を使うのが嫌いでした。差別的な用語である気がしたのと、なによりも「日本国民はすべて中流階級なのだ」という教育を受けていたので、その教育的洗脳からなかなか脱却できなかったからです。
しかし、この貧富の差が拡大したという現状を否定していては、全国民を正しく導くことができない世の中になってしまいました。もはや、「富裕層」「貧困層」は、全国民が意識しなければいけない用語となっているのです。
とはいえ、票の獲得を目論む国会議員は、決して口にできない用語であり、その国会議員が国のかじ取りをするわけですから、話はややこしくなります。政治家が抱える事情はよく分かりますが、それは別問題として、貧富の差の大元である教育に焦点を当てて、幼少時から社会人になるまでの教育の機会を均等にしなければいけないのは確かです。政治家にはその実現を強く意識してほしいものです。政治の話は別の機会に譲ります。

老後の生活、どうあるべきか

ところで、富裕層は他者の力を借りなくても、自分の財力で身の回りのほとんどのことを成すことができます。「他者の力を借りるものか」という精神力、闘志があるから富裕層になれたと言っても過言ではありません(もちろん相続で富裕層になっている人もいますが)。
したがって、政府の仕事はもっぱら貧困層に対する措置ということになります。にもかかわらず、「国民皆○○制度」を謳いますから、あちこちに矛盾が生じるのです。率直に「貧困者を救済するための○○制度」に置き換えて、効率の良い制度運営を目指すべきだと思います。

富裕層の老後生活、どうあるべきかさて、貧困層、富裕層とも長生きする時代になりました。両者とも、老後の生活というものを考えなければいけません。貧困層に対する老後生活の在り方を支えるのはまさに政府の役割で、生活保護法だけでなく、介護士、ケアマネージャーなどを設定し、国民から広く徴収した金銭で介護事業に着手するのはまさに理に適っています。現役時代の蓄えと年金で生活を全うできない場合のギリギリのセーフティネットワークはまさに国の仕事です。

一方、ここで忘れてほしくないのは、「富裕層の老後生活、どうあるべきか」という問題です。富裕層の中には、貧困層のために設けられた制度を利用しながら、「満足できない、不足である」と不平不満を述べる人がいます。しかし、それは根本的な誤解というものです。むしろ、貧困層のための制度は利用しないという誇りを持ってほしいものです。

バラ色の老後生活を支える主戦力に

老後の健康問題に関しては医療的要素と介護的要素が一体化します。政府は、介護士やケアマネージャーを設定して介護的要素に対する事業とし、医療には後期高齢者制度を設けて医療的要素に対する事業として、本来は一体化している両者を切り離しています。全国民を公平に扱う上では、重要な路線であることは間違いありません。政府が医療的要素と介護的要素を切り離そうとしているのは保険制度の絡みがあるからです。
しかし、富裕層として老後生活を送る人には、その二つを切り離す必要はありません。政府の制度に頼る必要はなく、両者を一体化させたまま、民間事業に期待すればいいのです。となると、富裕層の老後生活を万全化させる上で、診療現場で長く経験を積んだ看護師たちがキーになるであろう、と私は思っています。

今の健康保険制度下においては、看護師は医師の指示の下でないと動けない最前線現場作業員にすぎません。その待遇に不満を持つ看護師は大勢いて当然です。
私は看護師を主体者とした戦力で、「富裕層に対する老後生活万全」を目指すところに、次の時代の大きな事業が潜んでいるように思います。若いころから努力を積み重ね、富裕なる老後を迎えることができた人に対して、「まさにバラ色のような老後生活」を与えて差し上げることも重要な事業です。

高齢化社会を迎えるにあたって、診療現場の経験を積んだ看護師の役割や地位が高まり、さらなる社会貢献の場を求めて、看護師の皆さんが高い志を持って、活躍してくれることを私は望んでいます。

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