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月刊メディカルサロン「診断」

権力って何?月刊メディカルサロン2016年7月号

立場によって異なる認識

昔、ライブドア事件が発生する前のこと。堀江貴文氏が衆議院選挙に立候補した際、記者の誰かが質問を投げかけました。
「次は、権力を求めようということですか」
この質問に、堀江氏は、
「なんで衆議院議員を目指したら、権力を求めているなんて言われることになるのですか?どんな発想から、そんな話が生まれるのですか」
と半ばあきれたように答えていました。

あるテレビ番組で、森永卓郎という評論家が橋下徹氏に質問していました。
「権力の味はどうでしたか?その味は忘れられないことだろうし、次は都知事を狙いますか?」
橋下氏は答えました。
「何が権力ですか。そんな観点からの発想は論外です。何のことを権力と言っているのですか」
「皆が、言うことを聞く。自分の言うことを聞かせることができる。それが権力ですよ」
「バカな。市長になったからと言って、その肩書だけで市の職員が言うことを聞いてくれるなんてとんでもない。どれほど苦労すると思っているのですか」

この人までも・・・

実際にその地位に就いた人、実際に社会的に成功した人とそうでない人の間で、「権力」というものに関して、認識がかなり違うようです。
舛添要一都知事が、政治資金の公私混同に関して火だるまになっています。もう辞任するしかないとでも予測され始めたのでしょうか、次の都知事候補の話が盛んに出ています(平成28年5月末の時点)。都民が選んだ候補の第一は橋下徹氏、第二が東国原英夫氏、第三がジャーナリストの池上彰氏だそうです。
候補になっていることを聞かさた池上彰氏が、次のように答えていました。
「私は都知事になろうなどと思っていません。権力を求めている男だなどと思われたくない」
私は、瞬間的に池上氏らしくない失言だと思いました。あれほど、政治、経済のことをわかりやすく説いてくれる池上氏が、権力というものをそのように思っていたのでしょうか?

「その立場」である私の経験から

会社の経営者になったら、部下たちが皆言うことを来てくれるかというと、そういうわけではありません。たとえ社長であっても、正義正当が通らないことは強行できないのです。
勝手に誰かを解雇できるかといえば、決してできません。例えば、私はクリニックにおいては個人事業主、自己の経営する会社においては100%の株主ですが、全員の利益、皆を幸せにする、という観点からの判断しかできません。恣意的で勝手なことは決してできないのです。それが、その地位に就いたものの悟りです。社長に何の権力もありません。
その辺は、実際にその立場にならないと分からないことだと思います。その立場になったことがない人が、権力というものを妄想するのです。

「権力」は存在する

民主主義が確立する以前や、あるいは、民主主義を確立していない国家では、確かに「権力」が絶対的に存在します。絶対的権力者として思い浮かぶ歴史上の人物は何人かいます。
織田信長なら、部下をいいなりにすることができたのでしょうか?決してそうは思いません。言うことを聞かせるための下地を作ることにものすごく苦労したはずです。それらを乗り越えて、権力は身に付きます。肩書だけで権力は得られないのです。
生まれながらにして、権力があるとされる地位を持つ者に関しては、権力が困りものになることがしばしばあるようです。あるいは、晩年の脳機能の低下が関与して、権力が困りものになることもあるようです。
ただし、そこにおける権力とは、軍隊、治安部隊(警察など)を自己の望みのままに動かすことができる、というのを前提としているのです。

軍隊、警察を恣意的に動かすことができないだけでなく、マスコミの眼にさらされ、その監視のもとにいる首相、知事、議員に「権力を持っている」といった意識など決して存在しないと私は思います。皆の幸せを実現するための公僕の長、トラブル時の最大責任を負っている苦労人としてしか見えません。
民主主義国家において「権力の存在」を強いていうなら、マスコミを黙らせるような法律を作ろうとするところにのみ存在します。国民の立場としては、そんな法律の阻止にだけは、集中力を込めなければいけません。

先の発言の一考察

ではなぜ、ただの記者たちでなく、池上彰氏までが「権力を求める」などの発言をしたのでしょうか?
「自分は虐げられている」と錯覚している人々の歓心を引くための用語として、「権力」という言葉が用いられているにすぎないように思えてきます。
この言葉を使った瞬間、使った者には、大衆迎合的な発想を持っているというイメージがつきまとうように思えるのです。

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