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月刊メディカルサロン「診断」

事前情報あれこれ掲載日2016年10月7日
月刊メディカルサロン11月号

今年の夏は、東北、北海道、九州中心に大雨による大被害がありました。いつもながら自然の脅威を痛感するばかりです。ここ5~6年は、そんな日々が多いような気がします。予報があっても、大被害になるのは変わりませんから、困ったものです。
大地震、火山噴火、大雨洪水・・・。自然災害のバリエーションには驚くばかりですが、事前予知に焦点を当てて考えてみますと、大地震に関しては、予知能力はほぼゼロ。火山噴火は直前になると多少予知できる。大雨洪水は事前予測できている、ということになるのでしょうか。

忘れがたい出来事1

私が中学生のころ、ボクシングの世界チャンピオンにガッツ石松という選手がいました。親戚の家に遊びに行くと、ガッツ石松が世界タイトル防衛線がテレビ番組が放映されるところでした。私と高校生の従兄(いとこ)の二人でその番組を見ようとしたところ、そこに社会人の従兄が駆けつけてきました。そして、この従兄弟二人で、どちらが勝つか賭けをしようということになりました。
このテレビ放映、実は録画だったのです。直前に、私と高校生の従兄は、叔母が「ガッツ石松が負けた」と語っているのを聞いていました。高校生の従兄は、「絶対にしゃべるなよ」と小さい声で私に念押し、その上で「ガッツ石松が負ける方に賭ける」と宣言しました。それに応じて、社会人の従兄は「じゃあ、俺はガッツ石松が勝つ方に賭ける」と答えていました。「いくら賭ける?」という話になり、覚えていませんが、当時としては恐るべき高額だったように思います。

試合が始まり、ガッツ石松がかなり押され気味という展開になりました。今にも、ガッツ石松は倒れそうです。社会人の従兄は大声でガッツ石松を応援しながらも、顔面蒼白になっていました。そこに、親戚の叔母が通りかかりました。そして、語りました。
「ああ、この試合。ガッツ石松が負けた試合でしょ。さっき話したじゃない」
社会人の従兄は、怒って、高校生の従弟を怒鳴りつけました。「知っているのだったら、賭けようなどと言うな!!」「知らなかったそちらが悪いのだろう」「こんな賭けは、なかったことになる」「汚いぞ。賭けは賭けだ」

忘れがたい出来事2

修羅場が展開されましたが、その結果がどうなったのか、私は覚えていません。心に残ったのは、悪びれず、心の引け目も感じずに、「賭けよう」と仕掛けた高校生の従兄の堂々たる態度と、潔くない社会人の従兄の態度でした。

実は、「お前も賭けろ」と高校生の従兄にすすめられましたが、私は辞退したのです。「結果を知っているのだから、卑怯なことはできない」との思いから辞退したのですが、心底には叔母の情報を信じ切っていなかったということもありました。私は、「ガッツ石松が負けた」という叔母の話が間違いだったら、あるいは嘘だったら、高校生の従兄は大変なことになると秘かに心配していました。
叔母の話をそのまま信じて、賭けに挑んだ従兄と、叔母の話を鵜呑みにできなかった私。事前に知っていたのだったら賭けは成立しないと主張する社会人の従兄のふるまい。「いったん賭けたのだから、いまさらそんなこと言うな」と強く主張する従兄と、事前情報があっても、心の引け目と猜疑心のために賭けに踏み切れなかった私。
この現象をどう解釈するべきかについては、結論が出ないまま、今に至るまで私の心に残っています(だから、今ここで文章にできています)。

情報を見極め、行動することの難しさ

自然災害があるごとに、私は思います。
「人はみな、不確かな情報の中で生きているのだなあ」
不確かだと思う中で、油断と隙(すき)が生じて、結局、実効的な対策がとれません。情報が確かであっても、行動を起こすことに疑念と躊躇が生じるのに、不確かだと思えば、なおのこと行動を起こせません。

では、
「次の台風で、確実に、この崖は崩れて、この家は埋まります」
「迫っている大雨で、確実に、この一帯は、水浸しになります」
と言われたら、どうしますか?
一応、避難しようと思うことでしょう。「確実に」という音場の重々しさも重要ですが、別の場所に移る、という簡単な行動だからその情報を採用するのです。
しかし、移動するのに一億円かかると言われたらどうしますか?「命には代えられない」と言って、一億円を投じて、あるいは、急きょ借金して移動しますか?それとも「その情報は嘘である。間違っている」と思い込むことにしますか?
経営者をやっていると、そのような決断を強いられることなど、しばしばあることです。面白いことに、そんな矢先に目の前に貸金業者が準備していたら、確実な情報であっても、「嵌められている」と思うことでしょう。

「事前情報」私の信念

確かな事前情報が周知されると社会的に困ることもあります。子育てに費用が掛かりすぎるという情報が周知された結果、少子化が進みました。「子供が働き手になる」「子供が家族をさせえてくれる」という情報が先行していた時代は、子供がたくさん生まれたものです。
我々はいつも確かな情報と不確かな情報に取り囲まれて生きています。情報に触れて右往左往している毎日かもしれません。地震予知など不確かな情報の極みです。
20年以上も前の普賢岳の噴火の際に、私が仕えていた教授が呟いていました。

「噴火の予知など全然できていない。あの分野の科学は、後出しの言い訳ばかりだ。医学の予知分野ははるかに進んでいるが、その予知分野をもっと進歩させなければいけない」

その言葉を思い出しながら、健康リスクに関する事前情報の精度を高めるべく、私は日々、研究の努力をしています。健康管理指導の分野だけは、確かな情報の集積体であるべきだ、という信念を持っているのです。

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