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月刊メディカルサロン「診断」

政治家の仕事、役人の仕事掲載日2016年11月3日
月刊メディカルサロン2017年1月号

我々国民は、選挙で政治家を選ぶことができます。選んだ政治家に国のことを託すのです。仮に、自分がその政治家を気にいらなくても、周辺の人の多数が認めて選んだ人が政治家となり、国政を託されるのです。

「残薬問題」から見えてくるもの

私は25年ほど前から、国民皆保険型の健康保険制度のひずみ、制度疲労、足かせ化などの弊害を訴えていました。「この弊害のために、現役世代が苦しむことになる」という結論へと導いて、アピールしてきたつもりです。
最近、あるテレビ番組で「残薬問題」が取り上げられました。病院内で点滴に使う薬の残薬、つまり300mgの薬剤投与が必要な患者に、500mg入りのボトルから300mgを抜き出し、残りの200mgは捨ててしまっている、という実情の問題が報道されたのです。この操作による残薬が莫大で、年間で1000億円あるということでした。
残薬といえば、何といっても家庭内残薬でしょう。飲みもしないのに繰り返してもらっている薬、多めに処方してもらった薬が、年間500億円分あります。合わせて1500億円の無駄遣い。それもたった1年で、この無駄遣いです。4年で6000億円の無駄遣い。オリンピックの会場を巡って、コストを下げる涙ぐましい努力も、この無駄遣いの前では、ちっぽけな問題であるかのように見えてしまいます。

このような状況が生まれるのは紛れもなく、健康保険制度の弊害です。医師側には「最小コストで最大の治療成果を上げよう」という意識がなく、保険者(健康保険組合)には「現場の状況をチェックしよう」という意識がなく、患者側には「この薬には莫大な費用が掛かっている」という認識がありません。
製薬会社は利益相反になるので、その状況を改善することなど眼中になく、製薬会社をスポンサーとする政治家とマスコミは、その実情に蓋をしておこうとする。それらの総合結果です。

役人の立場・役所のあるべき姿

某番組は、その実情に関して、厚生労働省に意見を求めて回答を得ていました。
その内容は、「そういう事態があるなら、改善しなければいけないと思います。…(中略)改善に向かう議論が高まることを期待しています」というものでした。その回答を見た司会者は、皮肉を込めて語りました。
「素晴らしい回答ですね。何の解決にもなっていないし、どんな対策を立てるとも語っていない。明らかに、他人事としか思っていない。当事者意識がまるで感じられない」
しかし、その揶揄を聞いたとき、私は「あれっ。ちょっと焦点が違うぞ」と思いました。

実は、その厚労省のコメントを見た時、私は心の底から「お役人の立場としての素晴らしい回答だ」と思ったのです。お役人は、勝手に自己の意思を持つべきではありません。国会で定められた法律に基づいて、大臣が下した命令を実行することが使命であり、それが役所のあるべき姿だからです。
その番組は、同時に築地の移転問題も大きく取り上げており、豊洲市場の地下空間は誰の意思で作られたのかを糾弾していました。その矛先は、「勝手な意思を持った」とされるお役人に向けられていました。「お役人は意思を持つな」の論調です。
時には役所が意思を持つことを非難し、時には役所が意思を持たないことを非難する。こんなことをしていては、「マスコミは一貫性がなく、否定根性にあふれているだけである」と揶揄されてしまいます。
このケースにおいては、「院内残薬1000億円、家庭内残薬500億円」というデータを出していることが、まさにお役所の仕事であり、立派に仕事をしていると判定されるのです。

求められる「政治家の決断」

小泉元総理は、原発廃絶を訴えるにあたって「政治が、決断すれば、できるのです」と、かつての都知事選で声高に叫んでいました。
医療制度の問題は、役所が云々という問題ではなく、まさに政治が決断しなければいけない問題なのです。
政治が「残薬を廃絶せよ」と決断して役所に命じれば、役所はその通りに動いてくれることでしょう。厚生労働省の回答は「我々は政治家から命じられないと、その件に関して動くことはできません。その政治家は国民が選んでいます。国民的議論がなされ、それが政治家を動かしてくれることを期待しています」というメッセージなのです。

院内残薬の問題解決は意外と簡単で、最初から小分けされたボトル(「アンプル」といいますが、ここではわかりやすいように「ボトル」という語を用います)を作ればいいのです。500mg入りのボトルしか作らないのではなく、100mg入りのボトルを多数作ればいいだけです。製薬会社の工場にちょっとした投資を行えば実現できてしまいます。
政治家は、製薬会社と癒着していますので、それを命じる決断ができません。それだけのことなのです。

マスコミの使命

必ず進行する制度疲労を改革するのは、お役人の仕事ではなく、まさに政治の決断であり、政治の仕事なのです。マスコミはそこに焦点を当てなければいけません。厚生労働省のコメントを非難している場合ではないのです。
小池劇場のおかげで、バラエティ、お笑い一色だったともいえるテレビ番組が、社会問題をとらえる急先鋒的な番組へと改編されてきました。それをとらえたテレビ番組の視聴率も高まっていくことでしょう。
あちこちに制度疲労を抱えた日本国家ですから、政治の役割はますます高まります。マスコミが、政治とお役所の焦点の当て方を間違えなければ、国家改革の原動力になるのは言うまでもありません。

2017年は、マスコミの力により、政治家に決断を迫る国家改革元年になりそうな予感がしています。

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