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月刊メディカルサロン「診断」

罵倒、罵声が意味するものと「紳士、淑女たれ」の深意掲載日2017年7月6日
月刊メディカルサロン8月号

表面と内面

ある国会議員が、自分の秘書を罵倒している音声がテレビで流れていました。「異常な状況」という目で見た人が多かったことでしょうが、「よくあること」という目で見た人もいたことでしょう。
その国会議員は、支援者あるいは一般の有権者の前では優等生を装っていたはずです。「人の表面(おもてづら)と内面(うちづら)は異なるものだ」の典型的なケースです。

一般的に「身近な人の前で振る舞う自分」と「距離のある人の前で振る舞う自分」が全く別人であるというのはよくあることです。

  • 外では「腰が低くて、あんなに良いご主人なのに」と言われている男が、家庭内暴力の常習者であった。
  • 外では丁寧で親切できれいな言葉で応じている女性が、家庭内では、いつも夫に罵声を浴びせていた。
  • 上司の前ではペコペコしているのに、部下の前では尊大の極致である。
  • 真面目で素直ないい男だと思われていた男が、夜な夜な風俗通いをしていた。
これらのことは、日常でしばしば見かけることではないでしょうか。

ストレス発散の手段

人は、自分にとっての内の世界にいる時と、外の世界にいる時は「別人格」といえます。礼儀正しく振る舞わなければいけない外の世界でたまったストレスを、傍若無人に振る舞うことのできる内の世界で発散していると表現できるかもしれません。冒頭の女性議員はその典型かもしれません。
この国会議員に限らず、近年は女性が発する罵声・罵倒が目立っています。大声で絶叫することだけが罵声ではありません。問題点を真正面から指摘するのではなく、嫌味、皮肉を込めて、静かに詰問調に責めるのも罵声の一種です。参議院の委員会でも、この語調が目立ちました。

人はどこかでストレスを発散しています。外の世界に向かってストレスをためている人は、内の世界に向かってストレスを発散させていることが多いと思っていいでしょう。
人を相手にストレスを発散させるのは、ちょっと質(たち)が悪いかもしれません。
私は平成7年に著したある書物で、「入浴などでストレスを発散できる女性には魅力を感じてしまいます」と記載しました。あの時、文章にしなかった思いをくんでいただきたいと思います。

日本男性の紳士化

平成初期の不動産バブルの頃、金銭的自由を得た男たちは「何か」から解放され、傍若無人に振る舞い、他者に対して怒鳴りつける、罵声を浴びせるという「人も無げなる態度」が目立っていました。弱い立場のタクシーの運転手を相手に罵倒する者もたくさんいました。多くの男が猛り狂っていたのです。
バブル崩壊後、そのような猛々しさを出す者は影を潜め、以後20年以上経過する中で、男たちは別の「何か」を思い知らされることになり、ほとんどの男性は大人しくなりました。
つまり、大人になったのです。「何か」を思い知らされる中で成長したと表現してもいいと思います。このことを、「紳士化した」と表現します。
あの時代、他人を罵倒することにより、ストレス発散だけでなく、他人をコントロールできているという自己満足に浸っていたのかもしれません。本人は「俺は人をコントロールするのがうまい」と錯覚しています。しかし、その過程で人心は確実に離れていき、自己の破たんへと連動することを経験したのです。罵倒がどのような結果になるかを深く呑み込んで、紳士化の道を歩んでいきました。

「人の心の成長曲線」から見えてくるもの

ここに「人の心の成長曲線」とでも言うべきものに気付きます。

人の心の成長曲線
抑圧された時代→解き放たれた自由な何かを得る(解放点)→時間とともに、罵声、罵倒を加えて他者を否定し、猛る時期を迎える(猛叫期)→自分の思うようにできない「何か」があることを知る→大人しくなる→紳士化する(淑女化する)

このグラフは、一人一人の個人の心の成長を反映するだけでなく、各国ごとの人心の総和の成長も反映しているように思います。
欧米先進国は、フランス人権宣言以来の長い歴史の中で、すでに「紳士化、淑女化」に到達して長い期間を経ています。アジアの隣国たちは、猛る時代へ登っていく過程にあります。日本の男性は、猛る時代を乗り越えて、紳士化への道を歩んでいます。

では、日本の女はどの段階なのでしょうか?
平成になって女性の社会進出が盛んになり、自由を得て解き放たれた女性が、今は猛る時代の頂点に到達しています。だから、近年、女性が周辺を罵倒している姿が目立つのです。

待たれる日本女性の淑女化

欧米先進国では、女が国のリーダーを務めることが増えています。罵声、罵倒、皮肉、嫌みを浴びせて自己満足している女達でないことは見ていて明らかです。まさに、国家の人心が成長し、紳士、淑女化が成し遂げられた国だからこその姿です。
欧米の先進諸国では、「紳士、淑女たれ」が合言葉化しています。グラフの最終段階にまで到達した国では、そのように声を掛け合うのが当然なのです。内に秘めた強固な思いは変わりませんが、表出される姿はマイルドで、親切な紳士、淑女の姿になるのです。外柔内剛というべきでしょうか。

余談ですが、「淑女化していない女を大統領にしたらどうなるか」は隣国が教えてくれました。「党首にしたらどうなるか」は近日、我が国が教えてくれます。「人心が離れていく様子」を見届けることができるでしょう。
日本の女性の人心が次のステップへと成長を遂げ、淑女化の道に入るまで、もう少し時間がかかるかな、いや、意外と近いかもしれないという気分で、私は政治劇場を見つめています。

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