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月刊メディカルサロン「診断」

健康保険制度と医療社会・・・保険適応でない医療は成長する掲載日2017年10月1日
月刊メディカルサロン11月号

先日、ある男の先輩医師と会って食事しました。大学医学部の教授を務める立派な先輩です。久しぶりにお顔を拝見した瞬間、「若い!!若々しく見える」と私は驚きました。最近、同年代の友人と会うと、「老け込んだなあ」と思うのが当たり前だっただけに、その日の驚きは格別でした。

「先生!! 妙に若々しくなっていませんか?」

「ふ、ふ、ふ。実はねえ、同期のドクターが美容外科で開業したから通っているのだよ。しみをとってもらった」

肌ツヤそのものが若々しいのです。こっそりいろいろなことに取り組んでいるに違いありませんが、シミがなくなっているというのがかなりの有効打です。
今は、美容系医療が大繁栄しています。美容外科、皮膚科の医師が取り組んでいます。大成長したのは、その分野に人々の本能的欲求があるからですが、同時に、健康保険の適応外である、というのも大きな理由を占めています。美容系医療に健康保険が適応されないのは当然ですが、重要なのは、美容系医療を健康保険制度の枠内にしてしまえば、このような隆盛を築くことはできなかったであろう、ということです。

健康保険の適応外にした方が、事業としては成長するというのは理解困難かもしれません。それを説明いたしましょう。
今の診療現場には、説明不足などの不満が渦巻いています。健康保険制度が、憲法による「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に基づく最低限度の設定であるから、やむを得ないのです。
一方では、憲法で保証している最低限度の範囲の枠外であるはずの予防医療や末期医療などでは、最高限度を実施しようとします(そのために現役世代の生活を圧迫しているのです)。
予防医療を健康保険の枠から外すと、健康産業が一大事業として成長します。具体的には、コレステロールが高い、血圧が高い、尿酸値が高い、血糖値がやや高い、などを健康保険の適応外にすると、健康教育事業が成長するのです。しかし、それらを健康保険の枠内に収めていることによって、その産業の芽生えを奪っています。医療機関と製薬会社が潤い、保険の掛け金を負担することになっている現役世代が苦しむのです。
末期医療は、「人生最終劇の演出」「生活の質」という健康保険の枠外に大事業が潜んでいますので、健康保険から外すと大成長します。
予防医療と末期医療の両者は、現時点では、健康保険制度の適応下にしてしまうから、実施する現場の医師に甘えが生まれて、健康教育や最終劇の最高の演出づくりが進歩しません。美容外科が健康保険制度下であるなら、成長しなかったであろう、というのと同じです。

予防医療と末期医療を健康保険の枠外にすれば、その分野が民間で大きく成長します。病気にならないための健康教育系の事業は盛んになります。民間で「末期医療保険」などが生まれるのは確実で、末期医療から葬儀にかけて「人生の最後の演出」の効果を加えた一大産業が誕生します。また、民間保険に加入するかしないかで、自分の末期医療に対する意思表示ができます。
美容系医療を健康保険適応にしなかったから、産業として大成長したのと同じで、予防医療系や末期医療系は健康保険の枠から外すと、新しい産業が大成長するのです。
美容医療と、予防医療や末期医療を一緒にするな、という声も聞こえてきそうです。美容系医療が、憲法が保障する「最低限度」の枠内でないのは明らかですが、突き詰めて考えていくと、予防医療、末期医療もその枠内ではないのです。「病気になって苦しんでいる人を治療する」ことだけが、憲法で示す「最低限度」の枠内です。
国家事業として取り組まなければいけない生存権の問題に関して、絶対的必要性がないという点で、この3つは同じです。

いろいろ考えていると、健康保険制度の「そもそも論」へと行きついてしまいます。
工業法、鉱業法に基づいて、職域の健康保険制度が誕生したのが1922年。紆余曲折を経て、国民皆保険が成立したのが1961年です。健康保険制度は、憲法25条で保障される「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に基づいて定められている、と言えるのですが、医療組織の構築と健康保険制度の成立の順序が逆転していたという歴史があります。
明治維新以後の自由開業制の中で日本中に医療機関が何の統合性もなく、林立しました。
当時の日本は、殖産興業、国民皆兵(軍事力強化)の時代でしたから、国民の健康問題にまで気が回らなかった中での自由開業制です。
戦前、戦後にまたがって健康保険制度が整備されるに従い、国民の健康を守るのは国家の事業であるという様相が明瞭化して、健康保険制度が完成し、医療機関は国家運営の枠組みの中に納まるべきものとなりました。
当然、国家運営の枠組みに収まることを望まない医師会は反発し、混乱状態となります。それらをリセットして、国家が本格的な威を示して、健康保険制度を通じて、医療社会を統合し、医療社会の効率性を高めなければいけない時代になっています。
現状では、健康保険を実施している医療機関は、政府の事業の外注請負機関に過ぎないと認識しなければいけません。政府は健康保険適応の規制を厳しくして、医療機関を完全従属下に配するべきです。混合診療や、「こっそり保険で検査してあげる。こっそり保険で薬を出してあげる」などは論外です。不満を述べる医師会の構成員がいるのなら、「保険医療の実施を辞めますか、続けますか」の選択を迫る路線で割り切らなければいけないのです。

そんなことを考えていると、日本の医療社会の在り方に関して一つの姿が見えてきます。
「国民の健康を守る最低限度のこと」に責任を持つのは政府であり、その政府が、国民皆保険型の制度を作成し、病気を治療するための医療行為実行の外注先として、医療機関を指定し、請け負わせているにすぎない。となると、健康保険で医療を実施する機関は政府の指示、方針には絶対に従わなければいけない。指示、方針に従えないなら、健康保険の看板を下ろさなければいけない。
そして、政府は、現役世代の負担を軽減するために、健康保険制度がカバーする範囲を最低限度にとどめ、国民側は「最低限度の保障である」ことをよく認識して、診療現場に不満不平を漏らしてはいけない。
最低限度を超える部分(予防医療、末期医療、教育的説明)は国民皆保険の枠から外してしまえば、その該当分野で新しい医療事業が芽生え、その新しい事業が、国民皆保険制度下の医療に対する不平、不満を吸収すると同時に、医療社会は民間の力でさらに発展することになる。

私のただの妄想かもしれませんが・・・。

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