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月刊メディカルサロン「診断」

教育者、指導者って・・・?掲載日2018年6月2日
月刊メディカルサロン7月号

「人に何かを教える」「人から何かを教わる」を行う関係で成り立っている業を教育産業と言うようです。学校を舞台に展開されるのが標準的ですが、野球、サッカーなどの競技場、柔道、空手などの格闘技道場、スポーツクラブ、フィットネスのスタジオを含め、巷には、多くの教育産業の現場が存在しています。
通信教育も盛んで、近年では、インターネットを通じての教育産業も盛んになっているようです。学ぼうと思えば、読書するだけで十分かもしれませんが、人と人とのふれあい、など、何かのプラスαを求めて、どこかに通って学ぶのです。
教育の現場では必ず、指導者、教育者が存在します。何かの知恵や技術を教えるのが指導者、「教える」ということを通じて、教わる人の人格的成長を促す人を教育者というのでしょう。
教育者に伴わなければいけないのは、正義心が強いということであるのはいうまでもありません。勧善懲悪を促すことが教育の基本です。

教育産業の現場では、技量、知力、体力の向上に励みますが、「人生に通じる」何かを体得することも、一つの目的となります。
私は、高校2年生の秋に、極真空手に入門しました。本部直轄大阪道場というところに通ったのです。
「万が一の際には、自分の身を守る技術が男には必要である。だから空手の技量を身につけよう」
と思って入門したのは間違いないですが、真の目的は他にありました。梶原一騎氏原作の「空手バカ一代」の随所にみられる教育的エピソードに強く惹かれていたのです。
特に私が惹かれていたのは

「極真空手に入門したからと言って、強くなる秘訣がゴロゴロあるわけではない。ひたすら流す汗の中から、自分で身につけていくのだ」

の一言でした。空手バカ一代に記述される様々な教訓に惹かれていたから、極真空手に入門したのです。空手を通じて、人生を生き抜く上での教訓を身につけたかったのです。
入門したら、まさに猛稽古でした。
「左斜め向いてー。拳立てヨーイ(用意)」
と大声で号令がかかると、左斜めを向いて、しゃがみこみ、拳を道場の床につけて、腕立て伏せの体制をとります。そして、最前列の左にいる人から順に、1人10回ずつの号令をかけていきます。30~40人は参加していますから、合計300回から400回の腕立て伏せになります。
その場にいると、なんとその回数の腕立て伏せができてしまうのです。途中で崩れ落ちる人もいますが、そんな人は容赦なく、指導員が持っている竹刀で打ち叩かれます。今の時代にそんなことをすれば大問題ですが、当時は、わざわざ月謝を払ってそんな現場に出向いていたのです。当時、稽古に励みながら、「自分は将来、空手の世界チャンピオンを目指す」という気分になっていましたから、今、思い起こせば笑えます。その辺は私の性格というものでしょう。そんな日々を通じて

「ひたすら流す汗の中から自らつかみ取るのだ」

の意味を悟りました。

学業で好成績を残すようになった後には、いろんな人から「どうしたら、勉強ができるようになるのですか」と尋ねられたものです。そんなときに、「勉強にコツなんてものはない。ひたすら勉強して、自分でつかみ取るのだ」と多くの人にアドバイスしましたが、その影響です。スポーツの中から得る人生教訓もたくさんあるものです。

教育産業に関連して、世間を騒がせているのは、森友、加計、日大アメフトでしょうか。森友・加計問題は、教育現場の問題というより、政治・行政の問題ですが、日大アメフトはまさに教育現場の問題です。
それらの展開は、皆さま、よくご存じでしょうから、私からあまり語るつもりはありません。私から一言だけ言わせていただければ、政治家、官僚、教育者に、「嘘で固めれば、自分は免れることができる」の風潮が蔓延しているのだなあ、ということを残念に思っているだけです。

一連の中で、ひとつだけ、強く心に残っている事象があります。 それは、籠池氏の保釈に伴う出所会見の堂々とした姿と、その場における妻とのやり取りでした。
夫に連座する形式で妻も300日ほど拘留されました。妻が夫を恨むか、そうでないかも一つのテーマでした。「この人のせいで、私がこんな目にあいました」のような発言があれば、マスコミは喜びます。
しかし、インタビューの途中で、「お父さんと結婚してよかった」と妻は見事に言ってのけ、涙を流しました。その言葉は、嘘偽りの気配はなく、心の底からの真実の思いの吐露である、とほぼすべての人は感じ取ったようです。
その二人の姿に対して、日ごろ、偉そうに語るコメンテーターたちは、誰一人としてコメントすることができませんでした。自分の身を顧みて、恥ずかしくてコメントできなかったのでしょう。
世間一般の夫婦では、「あなたと一緒になったために、私の人生が・・・」と思っている妻が多いのか、家庭内では、夫に対する不平不満が渦巻いていることが多いようです。コメンテーターたちもその状況にさらされているのでしょう。
女の自由放言が許容される世の中になって、夫への罵詈雑言が年々増え、あちこちで双方の恨み節があふれています。その結果、リタイアしてしまうと、「家では粗大ごみの扱いをされている」と、自ら揶揄して吹聴する男が増えているのです。

教育者というのは、まず自分の姿を示して、「自分の後姿を見て学びなさい」と言えなければいけません。そういう意味では、籠池氏は、いろいろ取りざたされてはいますが、「夫婦どうあるべきか」に関して、世間に対して強烈な教育を施してくれました。学園開設への一連の手続きをめぐって、捜査陣、マスコミの批判を受けていますが、ちょっとは見直されたのではないでしょうか。
私がちょっと学んだ極真空手の場合は、創始者である大山倍達、その人の人生そのものが教育的価値の大きい何かを発信しています。教育の現場では、教える内容の理論、理屈よりも、教える人の一人一人の資質、人間性が最も重要であるのは言うまでもありません。

森友、加計、日大アメフト部・・・教育事業に関与する様々な問題が、どのような顛末になるかは知りませんが、少なくとも籠池夫妻は、夫婦の在り方に関して、多くの人に教育的な価値あるものを与えてくれたように思います。

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