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月刊メディカルサロン「診断」

年金問題と投票率掲載日2019年9月3日
月刊メディカルサロン10月号

「衣食足りて礼節を知る」
といわれます。
物質的に不自由がなくなって、初めて、礼儀に心を向ける余裕が出てくるという意味で、貧困で食っていけるかどうかさえわからない人に、礼節の大切さを浸透させることはできない、ということです。国民が裕福であってこそ、礼儀を説く意味があるということでしょうか。
私は健康管理を学問化するために人生を送っていますので、
「衣食足りて、健康の大切さを知る」
ということになります。必然的に、国民が裕福であることを願っています。

止まらない年金不安

政治の現場では、またしても年金問題が議論されています。今の制度のままでは年金財源が枯渇すると予想されるから、議論が必要になるのです。

  • 徴収額を増やすために、パート・アルバイト労働者も加入できるようにする
  • 支給開始年齢を70歳以後に遅らせる

などが議論の対象となるようですが、毎度毎度のことで辟易とします。
そういえば、「100年安心」という掛け声がありました。国民の皆が安心と思っているなら、そんな掛け声は不要です。皆が心の奥底で不安に思っているから、「100年安心」という掛け声をあげるしかなかったのです。「100年安心」など、国民に目くらましをかけるためのセールストークにすぎません。すでに破綻しているものを永遠に持ちこたえさせなければいけないのですから、国も大変です。いっそのこと、「ベーシックインカムを本気で議論してみたら?」という気分にもなります。

世界中で注目「ベーシックインカム」とは

ベーシックインカムというのは、国民全員に所得保障として一定の現金を支給するシステムです。日本語では、「最低所得保障」とも呼ばれます。年齢・性別・所得の有無を問いません。0歳の赤ちゃんにも支給しますし、介護が必要になった寝たきりの老人にも支給します。
例えば国民一人当たり毎月10万円を支給する、と定めます。すると、国家に対しては、税か掛け金などで、「毎月10万円支払って、毎月10万円返ってくる人」「10万円以下しか支払わないで、10万円返ってくる人」「10万円以上支払って10万円返ってくる人」の3つに分かれます。損する人、得する人が現れますが、とにかく、一人当たり毎月10万円の生活費は確保されます。なお、損する人、得する人が現れるのは今と同じです。
夫婦2人なら、毎月20万円が支給されます。シングルマザーでも、子供が二人いれば、自分の分を入れて、毎月30万円が支給されます。1億人の人口があれば、毎月10兆円の支給になりますが、毎月10兆円を国内のどこかから徴収すればいいだけですから、システムとしては簡単で、制度を作ってしまえば、それこそ永遠に安心です。子供を産めば産むほど、支給してもらえる額が増えますので、少子化問題の解決の糸口になります。掛け金の下は0円ですが、上はかなりの金額まで定められますので、高額所得者にはつらい制度かもしれません。
私はただの医師ですから、この制度の詳細は分かりませんが、議論くらいはしてみればいいのにとは思います。しかし、現状では、議論の対象にさえなっていません。制度、計算が簡単すぎて、社会保険庁などのお役所が不要になってしまうからでしょうか。自己勢力の縮小を嫌うお役人に忖度(そんたく)しているのかな、という穿(うが)った見え方もしてきます。

選挙に行っていますか?

一介の医師に過ぎない私が、なぜ「ベーシックインカム」のことなどを知っているのかというと、昔、何かのテレビ番組で、大阪前市長の橋下徹氏が、「ベーシックインカムは、議論する価値がある」と語っていたからです。橋下氏は記憶に残ることをよく語ってくれます。そういえば、その橋下氏が、先日、また記憶に残る納得のいくことを語っていました。選挙の投票の話です。
「投票は、白紙でも構わない。とにかく投票すること、投票率が大切なのだ」 と。

先日の参院選で、18、19歳の投票率が25%しかなかったことを議論している際に、発された言葉です。投票率の低さの原因として、
「誰に投票したらいいのかわからない」
「誰に投票しても、国は変わらないと思われている」
などと、物知り顔に語るコメンテーター達に対して、橋本氏が一撃反論したのが、「誰に投票するかなど関係ない。とにかく、白紙でもいいから投票すること」の内容です。
「白紙でも構わない、だと。何をいい加減なことを言っているのだ」と思ったのはほんの一瞬です。その次の彼の言葉を聞いた瞬間、背筋が寒くなる衝撃を受けると同時に、目からうろこが落ちました。

「政治家は、投票率の高い年代層のための政治を行う」
40歳以下の人の投票率が0%で、70歳以上の人の投票率が100%なら、政治家は間違いなく、70歳以上の人のための政治を行います。
逆に、40歳以下の人の投票率が100%で、70歳以上の人の投票率が0%なら、政治家は間違いなく、40歳以下の人のための政治を行います。
上記2つのどちらの傾向があるか、それだけで政治は激変します。具体例の一つとして、年金制度が変わってしまいます。
誰に投票したかなど関係ありません。世代別の投票率そのものが大切だったのです。

その一票には意味がある

なぜ、そんなシンプルなことに気づかなかったのでしょうか?あるいは、なぜ、そんなシンプルなことが、今まで国民へのメッセージとして誰も語らなかったのでしょうか?意識的に秘匿されてきたのでしょうか?

ふと、ピロリ菌のことを国民に秘匿してきた医学界を思い出します。ピロリ菌を胃カメラで蔓延させたことを知られると困るので、積極的にピロリ菌を世に周知させるのを医学界は避けたのです。
「投票率こそが大切だ」ということを、政治家は、国民に秘匿したいのでしょうか?
私自身、「私一人が誰に投票しても結果は変わらない」という冷めた思いで選挙を見つめていたので、過去には、数回しか投票に行ったことがありません。これは大反省です。私の世代の投票率を高めるための一員として選挙に参加しなければいけなかったのです。
労働者たちに仕事させないようにする法律を次々と作る政治家たちが、「投票日は平日として、その日に投票に行く人は会社を休んでいいことにする」という法律を作らないのも不思議です。極端な話、義務投票制の法制度化を論じないのは、腹に一物があるからでしょう。

今回の「診断」で私が何を語ろうとしているのか・・・。皆さん、それぞれに推測してください。私自身が結論まで語らない方がよさそうです。

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