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月刊メディカルサロン「診断」

新型コロナウイルスをめぐって掲載日2020年2月29日
月刊メディカルサロン4月号

私が昭和時代の最晩期の医学生だった頃、「ウイルス性の肺炎は重症化しない。いつの間にか治っていく。呼吸管理が必要になることはあっても、特別な治療は必要ない」と学んできました。
しかし、医学が進歩するというより、病気の方が進歩するようで、平成時代以来、重症肺炎を引き起こすウイルスが次々と出現し、今回の新型コロナウイルスは、「SARS」「MARS」に次いで、三番目の重症肺炎起因ウイルスとして流行しています。
この問題をめぐって、日本の医療社会の構造上の問題が次々と見えてきています。

致命的だった初動対応

マスコミが、日本から脱出したゴーンの話題で持ちきりだった頃、「武漢を中心として致死性の重症肺炎が多発している。原因は、コロナウイルスが変異した新型のウイルスである」という第一報が日本に伝わりました。
感染者数や死者数の数字が出た 1月中旬には、ほとんどの医師が「これは大変だ。凄まじい感染力だ。致死率も高そうだ。世界中に蔓延するのではなかろうか」と直感したはずです。一方で心の奥底では、「致死率が高いのは、武漢の医療機関の治療技術が低いからにすぎないかもしれない」とも思っていたでしょう。感染の広がりの速さから、「ヒトからヒトへの感染もある」と直感されていました。

私はその頃、新型コロナウイルスに関する厚労省の発表をホームーページ上で見てみました。
「たいしたことはありません。人から人へと感染すると証明されたわけではありません。いつもどおりの生活を心がけてください」
という発表でした。
厚労省の上層部には、医師としてのそれなりの診療経験を持っている人はいないのだろうか、と怒ったものです。ほとんどの医師が直感しているはずの事態の重大性に気づいていないのかなとも思いましたが、いくら何でも表現が軽々しいので、事態の重大性は理解しているが、風評被害を警戒するという方針にしたのだろう、と思い直すことにしました。
しかし・・・強い懸念が残ったとおり、風評被害を恐れている間に、実被害が恐るべき勢いで広がっていきました。

行政システムの脆弱さが露呈

このような事態が発生した最初の瞬間、「たいしたことない」と発表するべきか、「大変な事態へと進展する可能性があります。人と接する機会をできる限り少なくしてください」と発表するべきか、もう一度考え直さなければいけません。
一般に医師は、患者を脅すことが日常的ですので、厚労省の上層部の過半が診療経験のある医師たちなら、まったく異なる発表をしたかもしれません。

対策方針を決断できない政府は、とりあえず水際作戦を展開しました。それしか思いつく手立てはなかったのだと思いますが、これも実行するのに時間がかかりました。政治的、経済的配慮をなさねばならず、瞬間的に決断して、行動することができないのです。
政府内の決断しなければいけない部署を構成する人たちが、「切腹覚悟で決断しよう」という意志で一致していれば問題ないのですが、保身に走り、「一つの決定に対して、自分に責任が及ばないように」を念頭に、周囲を見渡しながら意見を述べていくので、遅くなるのもやむを得ないのでしょう。日本の行政システムの弱さが、露見しました。
その頃、国会では、桜の会ばかり議論されていたことに、違和感があった人は多かったと思います。

医療システムの欠陥が露呈

そうしているうちに、ダイアモンドプリンセス号の問題が発生しました。隔離された閉鎖空間に大勢の人がいて、その中で感染力の強い致死性疾患の患者が発生した時の対応が展開されました。よりによって、決断できない国がその対応をしなければいけなかったのだから、皮肉なものです。
医師は、患者を診たときに、頭の中でフローチャートを描く癖を持っています。この場合、頭の中で、まず「確実な感染者」と「感染している可能性のある人達」に二分します。そして、それぞれの群に対して手を施していきます。確実な感染者を下船させるべきか、船に残すべきか、が決断の第一歩目になりますが、ここで日本の医療社会の脆さが露呈します。
日本の医療社会は、明治以来の自由開業制の名残で、各医療機関がばらばらに独立している存在なのです。患者を入院させる医療機関を政府が強権で指定することができません。日頃、厚労省のお役人は、自分たちをピラミッドの頂点から上3分の2において、大病院の院長クラスは、その下の「もろもろ」の存在にすぎない、とみなしていますが、ダイアモンドプリンセス号の事件においては、上意下達が全くできないのです。
中国ならあっという間に、確実な感染者を下船させて、入院する病院を命じ、「感染している可能性のある人たち」全員に、PCR検査の実施を命じ、陽性者と陰性者に分類し、陽性者は船内に残し、船室を治療室に変えて経過観察と治療を行い、陰性者は下船させ、隔離個室を与えて経過を観察する、という処置をとったかもしれません。
しかし、日本は何もできません。ついに、国内での蔓延を恐れて、重症患者以外誰も下船させず、船を放置して、船内で感染が蔓延するのを黙って見ている、という対応しかできませんでした。
日本の医療システムの大欠陥が、露わになりました。

医療社会における前線と銃後の関係問題が露呈

やがてマスコミの焦点は、「感染が疑われる患者に、PCR検査ができない」という話に移りました。マスコミは、その実情に激怒していましたが、私は「あたりまえだろう」という目で、冷ややかに見ていました。私がいつも語っている健康保険制度の弊害に過ぎない問題だからです。
日本では、保険点数を定めなければ、民間の医療機関は動けません。しかし、保険点数を定めたら、PCR検査を希望する患者が医療機関に殺到して、医師は自分の診察力で新型コロナウイルス感染の有無の識別をしようとせず、来院者すべてにPCR検査を実施しようとするでしょう。いわゆる、過剰診療問題です(ただしこれには、診察室内において「PCR検査を行うと医師が言ってくれるまで引き下がろうとしない患者が大勢いる」という問題も内在しています)。
厚労省は恒常的に、「医師どもは過剰診療を得意として、その技で国民医療費を増やそうとする(自院の売上を増やそうとする)」という目で医師を見ていますので、その思いが重なって素早く決断できないのです。医療政策部署と最前線医療機関の問題が剥き出しになりました。

私が自分に課した「6つの生涯テーマ」の一つに、「医療構造改革の実現」があります。新型コロナウイルスの問題をめぐって、私が平成初期から感じていた医療構造上の問題が、次々と表面化しています。

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