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月刊メディカルサロン「診断」

医療崩壊って何?掲載日2020年4月30日
月刊メディカルサロン6月号

新型コロナウイルスが日本に上陸し、患者の治療で最前線の医療者が大忙しになると同時に、医師会やマスコミは素早く「医療崩壊」を叫びました。
病室は入院患者で埋まり、廊下にまで並べられた医療用ベッド。そのベッド上の患者は治療されているのか、放置されているのか、わからない。不眠不休の医療者たちの悲痛な姿。病院から次々と運び出される棺(ひつぎ)。世界中の大変そうな最前線医療現場がテレビで放映されていました。その姿を見せながら、「医療崩壊」がセンセーショナルに報道されていました。
しかし、現場の医療者たちが「医療崩壊」と言っていたわけではないように思えます。現場の人の感覚は、「忙しい。医療機器、資材が足りない。人手が足りない。自分に感染するかもしれない」だけのはずです。それどころか、治療にあたっている最前線は、感染症チームの医療者だけで、その他の医療者は、外来を制限しなければいけない、自分が感染して、通常の病気の入院患者に蔓延させると大変なので、感染治療の最前線に出るわけにはいかない。手術もできない。などで身動きできず、「ヒマ」だったのです。
なお、マスコミは、「機器が足りないので命の選別をしなければいけない」と「命の選別」を重大そうに報道しました。「命の選別」は、医師にとっては日常茶飯事で、無感動にやってのけることができますので、そのことを「医療崩壊」につなげるのには、誰かの思惑が絡んでいる気配を感じます。
よく分析すると、「医療崩壊」を声高に叫び、その語を主導したのは、日本医師会の会長を中心とする医師会の役員であったように思います。この「医療崩壊」の真実に迫ってみたいと思います。

「崩壊した」というのなら、元の姿がどうであったかが基本になります。日本の医療の元の姿とはどういうものだったのでしょうか?
これは一言で言うと、「健康保険制度を仲立ちとする医療」だったと断言してかまいません。最前線で仕事するすべての医師は、目の前に患者がいるときに、「その患者を救う、悩みを解決する、治療する」にあたって、健康保険制度を脳裏に浮かべています。「この治療、この検査は健康保険でできるのかどうか」です。国民皆保険制度が実施されて、60年近く経過し、医師の脳内構造は、健康保険制度中心にせざるを得ないように飼いならされました。具体的には、「この検査、治療は、この患者の場合、健康保険でできるからやろう」であり、その反対の「この患者にはこの治療が最もいいはずである。しかし、それは健康保険が通らない。だからやらない」などです。検査や治療を行うときの選択肢は、「健康保険制度で認められているもの」に限る、という脳内構造に凝り固まっていたのです。
国家も、医師に対して、健康保険制度で統御する、という方針ですすめていました。この方針は徹底されており、健康保険で治療してきた患者に対して、その病気に対して健康保険適応にならない治療を一度でも行ったら、過去にさかのぼって、その患者に対する治療のすべて健康保険がきかなかったものとして、健康保険基金から支給した治療費の返還をその医療機関に求める、という仕組みまで設けていました。平成時代の最後には、健康保険でできない医療に対して、「高度先進医療」と名づけて、それさえも許認可制を採用していました。つまり、「この検査、この治療は、保険点数が何点です」という告知がない限り、医療者たちは、まったく身動きできないほど、硬直し萎縮した医療システムになっていたのです。保険点数で仲立ちされて、厚労省支配が行き届いた医療システムと言っても過言ではありません。

日本医師会は、健康保険枠の拡大と点数の増大を求めるための圧力団体となり、厚生労働省は、医療費の膨張を避けるために健康保険枠の縮小と点数の減少を目論む団体となっていました。新型コロナ感染の際に、医師会が主張したかったのは、
「新型コロナウイルスが蔓延した今、どの医療機関もその感染を念頭に置かなければいけなくなった。マスクや防護服など、様々な資材が必要になる。また、室内の消毒、清潔エリア、不潔エリアの区分けも必要になる。従来の医療点数の設定のままでは、その対策を加味した医療を現場で遂行できない同じ医療の遂行にも出費がかさむのだから、その分を何とかしろ。」という厚労省へのメッセージだったのです。

日本医師会は、それを医療崩壊と名づけ、マスコミはそれに乗せられて、医療崩壊を吹聴してくれたのです。
日本医師会は、一族支配病院、個人支配クリニックの経営者の団体であり、その人たちが治療最前線に立っているわけではありません。コロナ治療の最前線に立っている医師は医師会に加入していません。医師会の主張は、健康保険制度の50年以上の歴史の中で培われてきた「自分たちに最大の恩恵を与えてきた健康保険制度がこのままでは不利になる」と言っているのにすぎなかったのです。
その観点から「医療崩壊」という語が生まれたのですが、マスコミは別のものを妄想し広めました。しかし、そのシンボル用語は、感染拡大の防止に役立ったので結果的にはよかったのかもしれません。もっとも、都知事はその辺を悟って、「感染爆発」という語に置き換えましたので、立派なものです。
なお、健康保険点数をめぐる医師会と厚労省の対立・確執は、コロナ対策においては、民間病院の協力を得るのに苦慮する、という不協和音となって現れました。だから、コロナ対策を、保健所や、厚労省所管の国立研究開発法人の病院(新宿区)など、限られた範囲ですすめるしかなく、作戦計画の立案にも健康保険制度が中心にあるために、何かにつけて後手に回ってしまうのです。私が昔から指摘している健康保険制度の弊害の一環です。

それにしても、新型コロナ肺炎の治療は、身体がウイルスを排除するまで、呼吸管理をすることがメインとなります。だから、極論すれば、点滴と酸素投与ができるベッドがあり、機器として人工呼吸器、人工心肺があればいいのです。重症者には人工呼吸器と人工心肺、中等症者には酸素投与、軽症者には全身状態の観察です。軽症者に対しては、収容できる建物と隔離できる部屋があれば観察遂行可能です。そこで、政治家は、自宅で経過観察、あるいはホテルを借り上げて、そこで経過観察の判断をしました。この判断には私は不思議な気持ちが拭えません。
つい先年、厚労省は、病院の統廃合案を出して、その病院リストまで公表し、統廃合をすすめると宣言していたのです。廃止予定の病院の入院患者を、別の病院に移動させて、その病院を臨時の新型コロナ感染症専門病院にすればいいのです。また、民間の病院でも経営上の問題で、手放したがっていた病院がたくさんあるはずです。それらを買い取ってしまえば、日本中に、コロナ患者治療の専門病院ができ、重症患者の集中治療がすすみます。また、中等症、軽症の患者を入院させて管理することもできます。
その専門病院群が存在するだけで、自粛生活の短縮化にも役立ち、経済再興を早められるはずであり、日本全体としては、コロナ問題の抜本的解決方法になります。そこに着手しようとしない理由がよくわかりません。コロナ禍が過ぎ去れば、まさに予定通り廃院してもいいし、未来の万が一に備えて残しておいてもいいのです。南海プラフ大地震を想定して、その対策に莫大な予算を組むより、はるかに安価で現実的です。
「今後の防災のため」「復興のため」と言って、建設関連のすさまじい予算を組む政治家たちも、医療社会にはその程度の国費さえ流したくないのでしょうか。

アベノマスクで400億円以上を費消したと聞きます。400億円あまりといえば、戦闘機は2~3機しか買えませんが、慶応病院新棟級の大病院を1つや2つは、建設できてしまいます。また、廃止予定の病院なら数十件以上、購入できてしまいます。流通業界や建設業界に国費を流せば、大きな見返りがあると思っている政治家たちは、医療社会に国費を配っても見返りメリットは乏しい、という潜在心理が影響しているのでしょうか。

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