HOME > エッセイ集 > 「健康管理の学問化」って、どうすること?

月刊メディカルサロン「診断」

「健康管理の学問化」って、どうすること?掲載日2021年4月1日
月刊メディカルサロン4月号

私は、6つの生涯テーマを掲げて活動しています。そのうちの一つが、「健康管理の学問化とその学問に基づく実践指導」です。私が平成4年に四谷メディカルサロンを開設し、プライベートドクターシステムを創始したのは、まさに、健康管理を指導するという医療を実践しながら、健康管理を学問化しなければいけない、という思いからでした。

進む健康志向

平成3~4年の頃、「健康管理が大切だ」と言われ始めていた時代でした。それ以前は「24時間戦えますか、ビジネスマ~ン」というコマーシャルに象徴されたように、健康をすり減らしてでも働き抜く、というのが美徳とされていました。平成初期のバブル経済がはじけた後、健康への意識が急速に高まり、「健康管理が大切だ」と言われるようになったのです。
また、健康に関する知的欲求が高まりだしたのです。診療現場では、患者側は「すべてお任せします」というのが当然でしたのに、「理解できない。納得できない。ちゃんと説明してほしい」の風潮が生まれました。マスコミもそれに合わせて、「医師の説明不足が甚だしい。医師への不信が高まる。医師は説明義務を負っているはずだ」と声高に叫び始めました。診療現場は、患者の欲求に応えることができず、大混乱を起こしました。

虚実の駆け引き

平成4年の当時は、ガンを告知しないのが当然でした。つまり、患者とその担当医の間には「虚実の駆け引き」が存在し、嘘がまかり通るという、いや「嘘も方便」という特殊な人間関係が成立していたのです。いや、これは過去のことではありません。今もそうです。
医療機関にとって、診療現場というのは、患者の治療を遂行する場であると同時に、研究を推し進める現場でもあるのです。この「研究を推し進める現場である」というところに、やはり虚実の駆け引きが存在しています。診療現場における医師と患者の人間関係は複雑なものであり、一筋縄ではいかないものなのです。患者本位と言いながらも、研究第一主義の要素は秘められており、病院内のパンフレットや掲示物、配布物には、その気配が見え隠れしています。そのような実情も含めて、法律上は、「すでに来院している者に対して、院内で配布されたパンフレットなどは広告と見なさない。単なる情報提供や広報とみなす」と定義されています。

きっかけは先輩医師との会話

診療現場の特殊性はさておき、私が「健康管理の学問化」を掲げて、四谷メディカルサロンを創業した当時は、健康管理は学問として成立しておらず、「健康管理ってどうすること?」に答えることさえできない時代でした。
「毎朝、散歩すること」「お酒はほどほどほどに」「太り過ぎはダメ」「年に1回、人間ドックを受診」など、直感的な個別の事象が存在するだけで、健康管理が学問として統合される気配さえない時代でした。当時、大学院生として研究者の道を歩んでいた私は、あることをきっかけに、この健康管理の分野に強烈な関心を持つことになりました。あるきっかけとは、ゴルフ部の先輩医師が、昼食後に1錠の薬を内服した後の次の会話です。

「あれ、先生。今、薬を1錠飲みましたね。何かの病気なのですか?」
「これはアスピリンだよ。これを毎日飲んでいると、心筋梗塞の発症が40%低下する。そのことはアメリカの研究報告で確実的だ」

私はその話を聞いた瞬間に、脳内に電撃が走りました。
「病気でない人に一つの積極的な取り組みを行って、致命的な病気を発症しないようにする」
これはまさに一大事業であり、一大学問です。医師の仕事は「病気になった人を治療する」ことであり、その診療を支えるために健康保険制度が存在しています。健康保険制度が行き渡っている日本では、すべての医師が「病気にかかった人の治療」にしか関心を持たなかったので、病気でない人への医療は、まさに盲点だったのです。

その際の私の気づきは、
「そうか。今現在健康な人に、ある医療行為を施して、病気にかからないようにする。まさに積極的予防医療の概念だ。そういえば、健康管理を重宝する風潮が社会全体で高まっているが、健康管理がどうすることかさえはっきりしていない。それは、健康管理が学問として成立していないからだ」
でした。当時、私は28歳で、肝臓病学を研究する大学院生であり、慶応病院の内科外来(火曜日の内科外来14番)を担当している身でした。

健康管理を学問にする

「健康管理を学問にする」とは、どうすることでしょうか?例えば、肝臓を例に挙げて、肝臓病学を考えてみましょう。
肝臓という臓器が、どんな形状をしていて身体のどこにあって、周りの臓器とどのように関連しあっているか(解剖学)、肝臓を顕微鏡で見るとどのような姿をしているか(組織学)、肝臓が人体においてどのような役割を演じているか(生理学)、肝臓の正常や異常はどこで見分けるか、肝臓病にはどんな病気の種類があり、どんな症状を出すか(診断学)、その病気においては、肝臓の細胞を顕微鏡で見るとどのような姿に変化しているか(病理学)、どんな治療を行えば、どのような成果が得られるか(治療学)など、肝臓に関する全体像はほぼ完全に解明されています。肝臓病研究者は、その全体像の中の珍しい病気のごく局所を深めていくことを研究テーマとします。
病気になった人を診断して治療する医学に関しては、肝臓、脳、心臓、大腸、肺など、ほぼ全領域に関して全体像、全体の姿かたちが完成しているのです。研究者はそのごく一部を研究し、改良を加えることを生涯の業とします。
しかし、健康管理に関しては、全体の姿かたちがまったく存在していません。だから、「健康管理とはどうすることですか」にさえ答えることさえできないのです。当時の医師は、「早期発見、早期治療が大事だよ」などと言っていましたが、そのようなものは健康管理の答えになっていません。

私の前に道はない、私の後に道はできる

そこで私は、健康管理を学問にしたい、と強く思ったのです。
「その学問を追求したい。健康管理学は、総論的なことさえ、ぼんやりとしたイメージがあるだけで、明確化されていない、まったくのホワイトキャンパスだ。私は生涯をかけて、健康管理を学問化する。現状は健康管理学の姿かたちさえ存在しない。そこに私は道を作る」

そう思ったら、いてもたってもいられなくなりました。しかし、平成4年当時、大学医学部の中に、そのような研究部署はありませんでした。医療機関全体でも、病気でない人に対しては人間ドックしかありませんでした。
そこで私は独自の道として、慶応病院の近所に自分の研究室の代わりに、「四谷メディカルサロン」という診療所を開設し、プライベートドクターシステムという会員制の健康管理指導システムを始め、訪れてくれる人に健康管理指導を行うと同時に、その人たちを研究対象にさせていただいて、健康管理の学問化に動き出したのです。

ということは・・・。現実の世界では、「健康管理の学問化とその学問に基づく実践指導」というのは、「健康管理の実践指導を行いながら、健康管理を学問化していく」ということなのです。私の前に道はなく、私の後ろに道ができる、という学問研究の人生を志しました。私が作った道の各局所を後進の医師たちが深めて固めてくれれば、この学問は完成していく、という思いだったのです。

エッセイ一覧に戻る