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月刊メディカルサロン「診断」

天は自ら助くる者を助く掲載日2023年3月4日
月刊メディカルサロン3月号

「そんなものは不可能だ。できるはずがない」という事象が目の前にあったとします。それに直面した時、考えるのは二つに一つです。
「できるはずがないからやらない」と考えるか、「とにかくやってみよう」と考えるかです。稀に、「不可能に思えるからこそやりがいがある。徹底的にやってみよう」と思う人もいるかもしれません。
あなたはどのように考えますか?
その不可能に思えることに取り組んで、成就できた時に得られるメリットを天秤にかける人も多いかもしれません。「仮に成功できても、大したメリットがないからやらない」と思うこともあるでしょうし、「うまく成就すれば巨大なメリットがある。だから取り組んでみる」と考えることもあるでしょう。
小さな子供が、体の大きな男に苛められているシーンに出会いました。「あの男は俺より強そうだ。知らんふりをしておこう」と思う人もいますし、「あの男の強さなど関係ない。とびかかってやめさせるのが正義というものだ。何が何でも子供を救う」と思う人もいるでしょう。中には、「俺に直接関係しないことには手を出さない。知らんふりをするのが私のポリシー」という人もいるでしょう。あなたはどれですか?

医師である私の選択

私がメディカルサロン事業に取り組んだのは、次の思いからでした。

病気の人を目の前にして、その治療に取り組むのは医師として当然の任務である。そして、その手法はマニュアル化されている。しかも、多くの医師がその手法の進歩に取り組んでいる。しかし、病気でない人を前にして、医師は何をなすべきなのだろうか。せいぜい「早期発見・早期治療が大切。毎年、人間ドックを受診しなさい」と話すか、「何かあったらお越しなさい」しか話せない。それはあまりにも情けなさすぎる。なぜその程度のことしか言えないのだろうか。健康管理が学問化されていないからだ。「健康が一番大切」と言われ始めたが、健康を維持増進するための手法論が漠然としていて学問化されていない。よし、私はそれに取り組もう。

その構想を先輩や同輩の医師に話した時、「なにを不可能なことを言っているのだ」と一笑に付されたものです。
「病気でない人を相手にしたら、健康保険が使えない。内科医が健康保険を捨てて何ができる」
「病気で弱っている人を相手にして、しかも本人の費用負担がないのも同然なのだからこそ、俺たちは偉そうにできるのだ。そんなことに取り組む話をするお前の気が知れない」
の論調で、「そんなことができるはずはない」と周囲の皆に断言されました。
それを聞いて私は反論しました。「健康管理が学問化されていないのは、健康保険制度の弊害である」と。
健康ブームが成熟した今になると「言い過ぎだったかな」という気がしますが、健康ブーム未到来の平成4年の当時は、間違いなくそうだったのです。平成7年に著した私の処女作『一億人の新健康管理バイブル』(講談社)を読んでみると、「健康をすり減らしてでも働く」という時代から「健康が一番大切だ」という時代への変換期、つまり健康ブーム黎明期の様子がわかります。

人生は自分の手で拓く

さて、皆が不可能だと言った「健康管理の学問化」に取り組むために、私は健康保険の扱いを断ち切りました。背水の陣を敷いたのです。「食っていくためには健康保険を併用しながら進めるべきだ」という思いはもちろんあったのですが、なぜか断ち切ったのです。「病気でない人に対する医療を築く」に対して、不退転の決意でした。
自分自身が、自分の未来に不安を抱くようなことをしたのです。「普通に病気の人を治療する道を歩んで教授を目指していれば、こんな苦労や恐怖はなかったのに」と、ちょっとした後悔も感じる日々でした。
しかし、私が営み始めたプライベートドクターシステムに、徐々に人が集まってきてくれたのです。集まってくれた経営者の皆さんは一様に、「彼は純粋だ。彼が目指していることを成就させてあげなければ駄目だよ」と知人たちに語ってくれたのです。そんな人たちの支援を受けて、私はプライベートドクターシステムの運営を継続させることができました。この時に私の心の中に浮かんでいたのが、「天は自ら助くる者を助く」の格言でした。
支援を受ける中でファイトを燃やし、その運営の中から、まさに病気でない人への医療である「マジンドールダイエット」「加齢に伴う気力、体力、容姿の衰えを回復させる医療(プラセンタ医療、成長ホルモン医療)」「予想医学」「子供の背を伸ばす医療」などを開発することができました。

自ら挑戦し努力する者には…

私が35歳の頃、バングラデシュ人の兄弟が現れて私に語りました。
「私の故郷、バングラデシュのシャトキラ県では粗放養殖で濃厚な味の美味しい海老(ブラックタイガー)が獲れる。でも、冷凍する工場がなく、隣の県の冷凍加工工場までリヤカーで運んでいる間に鮮度が落ちて国際的二級品になってしまう。私の故郷に海老の冷凍加工工場を作りたいと思って、日本に来て港湾労働に一生懸命に取り組み、兄弟二人で500万円ずつの貯金ができた。でも全然足りない」
私は、「わかった。応援しよう」と即決して、4億円以上の資金を集めたことがあります。その兄弟の質素倹約な生活ぶりを見ての決断でした。その兄弟が貯金を作る努力もせず、「海老の冷凍加工工場の建設に投資してみませんか。かなりのリターンが得られます」などと語っていたら、そして、自分が贅沢な生活をしていたら、決して応援することはありませんでした。
スマホのゲームに熱中している学生が、「アメリカに留学させてください。英語を話せるようになりたいのです」と望んだとします。留学させてあげたら英語を話せるようになるのでしょうか?おそらくダメでしょう。留学させても日本人同士で村を作って、遊びの日々を送るだけです。一方、ラジオやテレビの英会話講座で一生懸命に勉強している学生がいたら、その学生が留学を望んだら決してダメとは言えません。
「天は自ら助くる者を助く」というのは、「必死の思いで努力していたら、支援してくれる者も現れて、不可能なことでも可能にできる」の意味なのです。

努力こそが成功への道

私は、「子供の背を伸ばす医療」を通じて多くの高校生、中学生、小学生と接しています。背の伸びがもう止まっているという10歳代中盤から後半の子供でも、骨端線を再生させる医療を開発しており、その状態から2~8㎝伸ばしてあげられることがしばしばです。サプリメントや経口の医薬品だけでそれができるのです。
その治療を施す時は、寝る前2時間は、スマホでユーチューブやゲームなどの動画を見ることを禁止します。まだ伸びるはずなのに急に伸びが止まったという子供の生活を分析してみると、寝る直前までスマホでゲームをしてそのまま寝落ちしてしまっているということが多いので、禁止しているのです。
考えてみると、スマホに浸っている子供が「何かに取り組んで成就したい」と望んでも、「よし、成就するために支援してあげよう」と思ってくれる人は周囲に現れません。
「こんなことを成し遂げたい」と夢を抱いて、それに向かって一生懸命に努力していると、それが成就不可能な途方もない夢であったとしても、どこからか支援者が現れて、その夢を実現させてくれるのです。
「夢を抱かず、努力もしない」で時間を過ごすのが、最ももったいないことなのです。

私が診療している子供たちには、「将来はこういう人になってこういうことを成し遂げたい」という明確な夢を持ってほしいと願っています。
当然、その夢を持つように指導するのも、私の診療の一環なのです。

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