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月刊メディカルサロン「診断」

少子化対策が必要なのは破綻国家だからかも・・・掲載日2023年5月31日
月刊メディカルサロン6月号

少子高齢化の問題に必死になり、子供を産んでもらうためにあれこれと論じる政治家の姿を見ていると、「世の中のどこを見ているのだ」と怒りがこみ上げてきます。
過激な論調になりますが、今回はそれを語らずにはいられません。

「子供を産んで育ててください」

一つの事象は、様々な角度から見つめなければいけません。
ある一つの部屋の中に毎日一定量のえさを与えることにして、雄雌のネズミを数匹入れて思う存分に繁殖させます。最初はどんどん交配し数が増えていきますが、途中でぴたりと繁殖をやめてしまいます。一定量のエサで自分たちが生きていくための選択として繁殖をやめてしまうのです。ネズミでさえその程度の本能は持っています。
湖に飛び込んで自殺していく羊の群れや砂浜に打ち上げられて死んでいこうとするイルカの群れなども、同じ本能原理のように思えます。
「少子化が進むと、高齢者を支えられなくなります。だから、国民の皆さん、子供を産んで育ててください。子育てを支えるシステムを整えますから」
と政府は盛んに叫んでいますが、物事の本質がわかっていません。政府のそのかけ声は、聞いている現役世代の立場では言い換えると、
「高齢者の生活を支えなければいけません。国民の皆さん、高齢者への生け贄(いけにえ)が必要ですので子供を産んで育ててください」
と言われているようなものです。見知らぬ高齢者のために、我が子を生け贄に差し出して苦労させたいと思っている親などどこにもいません。そんな当たり前なことにさえ気づいていないのは、選挙で高齢者の票集めのために政治家が盲目になっているからです。高齢者の機嫌さえとっておけばなんとかなると思っているのでしょう。

耐乏生活、成れの果て

高齢者の生活を支えるといえば、公的年金制度です。毎月4万円や11万円などをもらって生活しています。しかし、それだけの金額で生活できるわけがありません。貯蓄の切り崩しも行っていることでしょう。
「それだけの金額で生活できるわけがない」といえば、大卒初任給がまさにそれです。20万円余りの給料で、夢のある満足できる生活ができるはずがありません。社会人になるや否や、すべてを切り詰めた必死の耐乏生活が始まるのです。貴重な資金源が残業でしたが、働き方改革がどうのこうので残業さえ奪っています。そのような中での必死の生活から、さらに高齢者を支えるための資金を拠出せよと要求するなど無茶苦茶です(蛇足ですが、その無茶苦茶な国家で犯罪が増えるのは必然の成り行きです)。今の日本の貨幣価値なら、大卒初任給は30万円以上あって然るべきです。
つまり20歳代は、今の生活から月額10万円の生活費アップを望んでいます。まじめに仕事に取り組んでも通常の給与でそれを得られないから、「パパ活」などという用語がまかり通っています。「ホストもどき」をほめそやかす時代になっています。これらは、突き詰めると60歳以上の高齢者(?)から若者への資金循環であり、それが必要不可欠になっているのです。

夢のない国、日本

そんな国へと落ち込んだのですから、日本はすでに崩壊国家と言えるかもしれません。
崩壊国家へと導いた原因の一つは、民間からスーパーリーダーが現れるのを否定したことです。官僚がマウント気分を味わいたいために、民間でカリスマ性を備えたリーダーが出現しそうになれば、その芽を摘み取ってしまうアクションを繰り返しています。「出る杭は早く打て」の戦略です。アメリカでは年替わり的にスーパーリーダーが民間から現れるのに、日本では現れそうになっては何かの理由を擦り付けて、その人物を潰してしまいます。民間にスーパーリーダーが現れると、官僚は困るのです。官僚は民間のすべての有能人材をどんぐりの背比べに置くことを望んでいます。
日本は、夢のない国、夢を持ってはいけない国へと仕上がりました。苦労に耐えられるのは、未来に夢があるからです。その夢を奪い取っているのですから、様々な先進国比較データが示すように、若者のモチベーションは世界最低レベルと言っても過言ではありません。
20歳から40歳の若者たちを夢を感じられない最低レベルのモチベーションに追い落とした上に、高齢者の生け贄が必要だから子供を産んで育ててくださいと要求するなど、滑稽の極みです。政治家は、高齢者の集票にこだわっているうちに、若者の心がどんな方向に向いていしまっているかにまったく気づいていないのです。早く悟らなければいけません。

原始的システムへの回帰が道をひらく

そもそも年金の国家システムそのものがすでに破綻しています。積立方式で、「あなたから徴収した掛け金を運用して増やし、あなたの将来にお返しします」としていたはずのものが、今の現役世代が参政していなかった時代の「グリーンピア計画などの無駄遣いや、油断と隙だらけの運用」の結果、集めた資金を失ってしまい、いつの間にか「今の現役世代から集めて今のリタイア世代に配ります」という賦課方式に変えて、高齢世代の国会議員選びのミスを現役世代に押し付けているのです。
「自分が積み立てたお金を運用して増やしてもらって将来の自分に与えてもらう」というのなら、本能の流れに沿っています。喜んで積み立てたくもなります。しかし、過去の失敗を作り出した時代の政治家を選んできた見知らぬ高齢者の生活を支えるためにお金を出しなさいということには、何の喜びも感じません。望んでいないことを押し付けている後ろめたさが、「自分が受給するときがくるのだよ」を仄めかす「100年安心」という用語に現れているのです。
しかし、上記の思考過程に一つ忘れていることがあります。
子供が自分の親を支えるという原始的なシステムです。余計な資金の徴収がなくなれば、自分を育ててくれた親に仕送りする資金が生まれるのです。
親孝行ができない者は社会で出世できないという思想や信条を国民に植え付け、子供にとっての人生の未来課題は、「親を支えること」という教育を施すのです。原始的なシステムへの先祖帰りです。「高齢になったときの自分を我が子が支えてくれる」の風習ができると、こぞって子供を産みたくなります。それが当然の本能というものです。現状の「見知らぬ高齢者のための生け贄になる」よりはるかに進歩しています。

「少子化」は本能の叫びである

「少子化」というのは、年金、医療、公立施設などの公的制度のすべてが行き詰まり、このままでは日本国家がもたないと感じ取っている国民の本能の叫びです。すべての公的制度をぶっ潰してゼロからの再構築を行うことが、本当の異次元の少子化対策というものです。「見直し」程度ではすみません。
今の年金制度を廃止して、これまで支払った掛け金全額、あるいはそこから受給した金銭を差し引いた残額を返金してしまう。そして、高齢者には貯蓄で生活してもらう。貯蓄が尽きて生活できなくなった人の生活保護ために、15年間限定の「高齢者生活保護消費税」を設ける。または、収容施設を作って(空き家対策にもなる)、少額の金銭と米、肉、野菜を現物支給する(≒国産農業が繁栄する)などの工夫を設ける。そして、親子の絆に立脚する形式の積立方式の年金制度を新たに設ける。
子供を産んでもらいたければ、それくらいの大胆な改革が必要に思います。
外圧がない限り変革できない日本、自浄作用がない日本。
現役世代、特に若者が強烈に立ち上がらない限り、じり貧的に衰退していくのは間違いありません。

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