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月刊メディカルサロン「診断」

日本の医療は財政的に破綻している?それとも持ちこたえている?打開策は?掲載日2025年9月30日
月刊メディカルサロン10月号

見直しに関する議論・報道があり、不安が広がった

高額医療費の補助の見直しに関する議論・報道があり、日本の健康皆保険制度の実態は、財政的に破綻しているのかもしれないと人々が危惧し始めました。医療をめぐって最も苦しんでいる人への援助を取りやめようとしたのですから、国民が不安を抱いて当然です。医療費による亡国の前兆でしょうか。
国民皆保険型の健康保険制度が施行されて、60年以上が経過しています。その医療制度に対して、
「破綻しそう」
「すでに崩壊している」
「いやまだまだ持ちこたえるだろう」と、様々な憶測が飛んでいます。

日本の医療には過剰診療という問題が潜んでいます。それに加えて、社会の高齢化に伴う必然的な国民医療費の増加があります。
過剰診療の実態を説明しましょう。ある病院で必要な検査一式を行って他院に紹介されたとき、次の病院でもまた同じ検査一式を行うなどは日常茶飯事です。医師には処方する薬を少なくしようとする意思は乏しく、多く出す方向には積極的な意思が働きます。患者が家で薬を余らせているかどうかには、医師はあえて関心を持たず、繰り返しまた大量の薬を処方します。「念には念を」の大義名分で検査と薬を増やします。「生兵法は怪我の元」と声高に叫んで、ちょっとした風邪でも受診を促すべきだと主張します。本人の生活の悪習慣が原因でも、メタボリック系の生活指導を徹底させず、まず薬を出しておこうとします。「手術は必要ないです」と説明していたのに、手術予定のキャンセルがあって手術室が空くと、急に「急遽、手術が必要です」と説明したりします。
過剰診療の結果、財政的な医療破綻を招き、結果的に国が亡ぶという医療費亡国論は、1980年代にすでに議論されていました。
医師が患者に医薬品の処方箋を交付して薬を投与する。診療現場には、医師のその行為を抑制する因子がありません。「薬を出す」という結果にすれば、生活指導の苦労が減るから診療は楽になる、経営的には望ましい、患者は薬を健康保険でもらえて喜ぶ、周辺業者(製薬会社)も喜ぶ。だから、患者に投与する薬は増える一方になります。
医師が患者に、「この検査(CT検査、内視鏡など)を行いましょう」と指示して、その検査を行います。医師は検査結果が出るまでの時間的猶予を得られます。患者は健康保険で検査してもらえて喜びます。すでに設備投資をしている病院は設備を運用することができて喜びます。周辺業者(機器会社)はメンテナンス系の売上で喜びます。
結局、医療行為の実行には「三方一両得」となり、だから、国民医療費は増える一方となり、やがて健康保険制度は医療費的に破綻する。崩壊させないように、国家が面倒を見続ければ、国民の不安、不満が高まり、やがて亡国につながる。医療費亡国論とはそのような説で、以後40年、国は滅んでいませんが、医療財政面の持続可能性に深刻な圧力がかかっています。

なぜ、そのような過剰診療が生じるかというと、たくさん薬を出してたくさん検査を行えば、医療機関の売上が増えて、最前線の診療現場の医療者たちが自分たちの給与報酬が維持、あるいは増額されると思い込んでいるからです。それに加えて、製薬会社、検査会社がプッシュしているからです。さらに、診療している医師が病院経営陣に忖度しているからです。
過剰診療により売上は増えていますが、最前線現場の医療者の収入は増えていません。今の日本の医療は、看護師の驚くべき低報酬に支えられていると言っても過言ではないのです。ここに医療社会崩壊の大きなリスクが潜んでいます。
そのような現状に対して政府は、医薬接待の禁止などの制度を設けて対抗しています。しかし、過剰診療の本質的な原因を考えると、改革の方針はそのような制度上のルールでは限界があり、医療者の本能が自動的に過剰診療を避けようとする路線を作らなければいけないのです。
それは簡単で、投薬、検査を減らせば減らすほど、最前線医療者の給与報酬が増えるようなシステム改革を行えばいいのです。つまり、投薬、検査を必要最小限にすれば医療者の収入が最も増えるようにするのです。それは、たくさんの投薬、検査を行えば行うほど、現場医療者の収入が少なくなるシステムに切り替えることを意味します。
具体的には、医療社会の出費を医療者の人件費に相当する「医療本体費」、それと「医薬品医療費」、「検査医療費」、「その他医療費」に4分割し、医薬品医療費、検査医療費の総額が減れば減るほど、医療本体費が増えるような制度設計を行えばいいのです。
しかし、そのような制度を設けて改善させようという気配はまったくみられません。なぜでしょうか?
製薬会社からの研究費名目の資金供与などの経済的利害が意思決定に影響しうる構造的リスクを有する医療社会の上層部は、そのような改革を発想するはずがないからです。だから、国民医療費は膨らむけれども、最前線医療者の収入は増えない 現象に見舞われています。
こういった背景を考えると、現行の医療制度は重大な問題が顕在化し、持続可能性に疑義が生じている、と言っても過言ではないのですが、この部分をもう少し詳しくお話ししましょう。

医療社会を取り仕切るのは厚労省です。その厚労省は、学会やその他の団体(病院協議会、医師会など)から上層部の医師を招いて、各種の審議の場を設け、関係者と議論を重ね、それに基づいて行政を執り行い、政策立案をしています。
上層部とは何でしょうか?現行の健康保険制度の中で出世して、今の地位と収入を得ている人たちです。現行制度のおかげで今の地位になった人たちが、自己の出世理由を否定するような抜本的な改革案を提言することがあるのでしょうか。構造上、定義されにくい面もあります。
まとめると、健康保険制度の恩恵を受けて今の自分が存在する、という人が、健康保険制度の改革を発想し、提言することはできないのです。にもかかわらず、厚労省はそういう立場の人たちの意見に医療社会の未来を委ねています。だから、合意形成に時間を要し、現場の工夫が生かされにくくなります。

ではどうしたらいいのでしょうか?それを考えると、私は江戸幕府末期を連想するのです。
江戸時代末期を思い起こしてみてください。産業革命を成し遂げた欧米列強が、インドネシア、フィリピン、カンボジアなどのアジア一帯の植民地化を進め、さらにアヘン戦争で清国は破れ、中華への浸食も始まりました。そんな時に、黒船の来航です。日本を守るためにどうしたらいいのかが、国家的課題となりました。
しかし、日本が欧米列強の植民地にされるかどうかの危機的事態を前にして、幕藩体制下における日本の上層部たちは、国家としての正着となる統一行動をとることはできませんでした。
幕藩体制下で出世し、そのおかげで自分の身分、地位、収入を維持している上層部たちは、欧米列強と戦い独立を守り抜く国づくりに関して、幕藩体制そのものを改革することはできないのですから、当然のことです。自己の出世理由の否定などできるはずがありません。
今の医療体制は、幕末における国家体制と似ています。江戸時代末期は欧米の植民地化を前にした国家体制改革の必要性が迫られ、今は、医療費による亡国を前にした医療体制改革に迫られています。
幕末はどのようにして改革がなされましたでしょうか?幕藩体制における利権に染まる上層部たちでは改革できない混乱の中で、最下層の多くの人たちが意見を述べられるようになり、その結果、下級武士が立ち上がり、そして、いくつかの藩でその下級武士が登用され、幕末の志士を構成し、野に潜む志ある人々を吸収し、一気に討幕へと進み、天皇を中心とする中央集権体制を成し遂げ、欧米と張り合う国家体制を築き上げたのです。野に潜む志ある人々の登用、決起が明治維新をなさしめたのです。吉田松陰がすでに説いていた草莽崛起(そうもうくっき)が具現化され、日本の改革を成し遂げたのです。現代用語的には、縦割りを超えたボトムアップの参画拡大が改革の上で必要なのです。
医療改革は、医療社会の上層部の合議制では成し遂げることはできません。自己の医療法人の傘下に処方箋薬局を持っている医療法人理事長が、自己を苦しめることになる改革案を発想することはできません。製薬会社や検査機器メーカーが自社の売上を減らすことになる改革を提言することはありません。検査設備の投資をすでに行った医療機関経営者も、発想することはできません。その体制の中で教授の地位を獲得した人、それらによる今の医療体制から利益を得て、今の自分の地位がある、という人も発想することはできません。
つまり、医療社会の上層部では、医療崩壊を前にして、医療改革は決して発想し実行することはできないのです。私がまだ29歳のときに健康保険を捨てて、健康保険制度の恩恵を受けない身になろうと決断したように、医療社会の底辺から志の高い人が立ち上がらなければいけないのです。
では、底辺から立ち上がった医療者はどこに結集すればいいのでしょうか?幕末は天皇でした。日本国全体の問題ですから、天皇のもとに結集して当然です。また、天皇を中心とするべきという朱子学(しゅしがく)という思想的背景もありました。
医療社会は日本の業界の一つですから、結集するのは天皇ではなく厚労省そのものになります。厚労省は、医療の財政的破綻、医療崩壊を前にして、医療社会の上層部だけでなく、多様な世代の知見を取り込む仕組みの強化が有効です。
志の高い若者を登用して、健康保険制度はじめ、諸改革をなさなければいけないのです。まさに、医療社会の草莽崛起が必要で、私は今、草莽崛起を火付けし、推し進めなければいけないと思っています。

余談

「歴史は繰り返す」と申します。だから「歴史から学べ」とも言われます。私が、医療社会を救うためにどうしたらいいのだろうかを一生懸命に考えたときに導き出した結果が、実は歴史的事実だと、驚くほどの同一性があることに気づきました。本文では、歴史から学んで改革案を導き出した態にしましたが、実際は結論を出した後の一致性に驚いたのです。
日本国という限られた面積の土地に住む人々を統治するための歴史的変化は実に良い勉強になります。
日本の黎明期においては、まさに地方豪族の地域的割拠であったのは間違いありません。間もなく大和王権を盟主とするに至りましたが、乙巳の変、大化の改新で、公地公民制となり、日本のすべての土地、人民は天皇のものという概念、思想が構築されました。その背景には、中国、朝鮮半島からの武力的外圧が関与していたと私は推測しています。外国からの侵略に対抗するために、個々に地方割拠している場合ではないという精神的圧力があったのだろうと思っています。
やがて、平安時代の平和が訪れると、また地方地主の武装化が始まり、天皇は日本の統治を鎌倉幕府に貸し与え、委任統治がはじまります。やがて、戦国時代を迎えて地方分権が進みますが、それを統一したのは豊臣秀吉で、その際に、本人はやはり「天皇の元への結集」を謳いました。関ヶ原の戦いを経て完成した徳川幕藩体制は、天皇からの統治権の完全委任体制でしたが、結局はまた幕末に、「天皇の元への結集」が呼びかけられ、容易に討幕が成し遂げられました。その組織体制における上層部は、当該組織体制の改革ができないから、改革が必要になった際に新興勢力の活躍で改革がなされるのです。新興勢力の大義名分が「天皇の元への結集」です。
歴史が示すこの法則はすべての業界であてはまります。日本の労働生産性の低さは大問題で先進国の中で最低レベルと言える位置づけですが、その改善にあたらなければいけない経済界の経営陣、つまり上層部が、その労働生産性の低さの中で出世できた人たちなので、労働生産性の改善に取り組むことができません。

経済二流に落ち込んだ日本を再建するのは、今の組織体制の上層部では不可能です。だから政府は、新興勢力を大切にしなければいけないのですが、今の政府が現体制上層部と近すぎる関係になり、新興勢力の出現を難しくしている動きがあるのは非常に残念です。こんな話は、別の機会に譲ります。

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