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月刊メディカルサロン「診断」

タバコとビールとメイタガレイ月刊メディカルサロン1998年10月号

少年のころに、親から教わったり叱られたりしたことで、その内容がその後、自分の血となり肉となり骨となって、本能の中に浸み込んでいるというものがいくつかあるでしょう。私の思い出として残るタバコとビールとメイタガレイのお話をいたします。

私が小学校の低学年の頃、ヘビースモーカーである両親からよく「マイルドセブンを買ってきて」といわれました。いわゆる「おつかい」です。当時私が住んでいたマンションの1階にタバコの自動販売機がありました。そこでいつもは買ってくるのですが、ある日たまたま「売り切れ」でした。そこで、なにも買わずに部屋に戻り「売り切れだった」と母にいいました。すると、「おまえはアホか。タバコを買いに行けと言われたのだから一階の自動販売機が売り切れだったら、近所のタバコ屋へ行って来い」と一喝されました。そこで近所のタバコ屋へ行きました。するとあろうことか、そのタバコ屋が偶然休みだったのです。また手ぶらで帰りました。母から張り手が飛んできました。「近所のタバコ屋が休みだったら隣り町のタバコ屋へ行って来い」ほうほうの体で隣り町のタバコ屋へ行きました。

すると困ったことにマイルドセブンが売り切れだったのです。少年の私は困りました。「さらに隣り町までいかなきゃいけないのだろうか。しかし、これ以上は遠すぎる。といって、手ぶらで帰れば今度はゲンコツが飛んでくる。よし、やむを得ない。ここは、違うタバコだけれどセブンスターを買って帰ろう。それで叱られたそのときはそのときだ」

家に戻って、「マイルドセブンが売り切れだったから、セブンスターを買ってきたよ」と言上しました。母は満足そうでした。

タバコを買ってくると言う単純なお使いの中で、私は学びました。「一つの使命が与えられたなら何がなんでもその使命を果たす」ということを。「できなかった」などといういいわけはいっさい通用しないのだと。そのような本能が私の中に宿りこみ、以後は「目的を遂行するためには、知恵を絞りきり、肉体を使いきる。目標を達成できないというのは死を意味する。あらゆるいいわけは存在しない」というごくあたりまえのことが本能的習性として行動できるようになりました。

小学校の高学年の頃、母に「ビールちょうだい」と頼まれました。私は冷蔵庫から一本のビールを取り出し、母の前に持っていきました。果たして、叱責がうなりました。「ビールを持ってこいと言われたら、栓をあけてこんか」あわてて私は栓抜きを持っていきました。今度は正拳が飛んできました。「ばかっ、コップがなければ飲めないだろう」コップをとりに行こうとして私はふと気がつき、尋ねました。「おつまみはいらないの」母は満足そうに、「冷蔵庫のサラミハムを持ってきて」といいました。

1つの行動を起こすときには関連事象のすべてを念頭に置かなければならないということを学んだ瞬間でした。以後、私はどんな単純な行動を起こすときにでも、その単純行動に関連する事項のすべてを想定し、あらかじめ準備を進めておくという習性が身についていきました。

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