HOME > エッセイ集 > 我が師の恩

月刊メディカルサロン「診断」

我が師の恩月刊メディカルサロン1998年12月号

私は健康管理学という新しい学問を築くことと、その実践医療の場であるメディカルサロンを運営することを生涯のテーマとしています。そのテーマにのみ熱中していられれば幸せなのですが、最近ではこのテーマから派生した領域の仕事・・・介護関連、教育関連、食品関係、ソフト開発関係、貿易関係、その他もろもろ・・・がとても増えてきました。そのため、健康とは直接関係ない分野の仕事で、他人とパートナーを組む機会が少なからず生まれてきています。その結果、以前とは少し違うタイプの人とのお付き合いが増えました。
これまでの私の付き合いの範囲は、メディカルサロンのプライベートドクターシステムの会員に限られていました。入会している人達のほとんどは、自分の事業に成功した人達であり、立派に組織を率いている人達です。

最近、パートナーを組むのは独立したけれどなかなか事業が上手く展開できず、悪戦苦闘中という人達が多いです。この悪戦苦闘中の人達がやがて成功していくのか、じり貧となる人生を送ることになるのかはまだわかりませんが、私の頭の中では、すでに成功した人達といろいろな比較をしてしまいます。
自信を持って独立したのに悪戦苦闘中という人達は、どの人も確かに優れた能力を持っています。「独立してやって行くぞ」と決心し、本当に独立したぐらいですから、弁も立つし勇気もある。行動力もあるし知恵もある。駆け引きの技術ではすでに成功した人達を凌駕する程のものを持つ人もいる。とにかく能力的に申し分ないのですが、どうも何かが足りないのです。その何かが足りないために、事業をイメージ通りに展開できず苦しんでいます。その「何か」について最近私は気がつきました。

その何かとは、年齢的なものではありません。持って生まれた才能でもありません。その何かとは・・・「師事の経験」です。

成功した人達と話をしていると「あの人からはいろいろな教えを受けた」と思い出せる人が1~3人いるようです。「この教えを受けた」というのは、講演でいい話を聞いた等という程度のものではありません。師の口からでる言葉ではなく、その師に誠心誠意仕えながら、師の後ろ姿から発するもので教えを受けてきたのです。
独立してしまった人には、ありあまる野心からという人もいるでしょうし、サラリーマン生活ができないからという人もいるでしょう。独立した人がその後、地に足のついた経営で、率いる組織を着実に成長させられるかどうかは、実経営を教わる師がいたかどうかにかかっているような気がします。師に仕える中から、バランス感覚と「徳を積む」ということを学ぶのです。悪戦苦闘中の人達からは、事業の師、経営の師の話がでてくることがありません。考えてみると、「師がいる」「師がいた」というのは、善きにつけ悪しきにつけ師の人生20年、30年、40年を丸ごと頂くようなものですから、いる人、いない人ではスタート時点での土俵が違うのです。

私は、大塚健司氏(日本建設新聞社)、山田春雄氏(宝古堂美術)、佐々木静現氏(北東観光株式会社)には、私が30歳前後の頃に毎晩のように飲みに連れていただき、ときには旅行やゴルフに連れていただき、またときには仕事を手伝わせていただきながら、いろいろな教えを受けました。その教えは、記憶の中に残るのではなく、本能の中に流れています。幼少時に親から身につけられた本能に、師から教わった本能が付加していくのです。その本能が下地として、物事をいつも判断しているような気がします。その判断が正確であったと後に証明されたとき、師に対してあらためて感謝の気持ちがおこります。当時師にとっては、将来どうなるかわからない私と行動することなどつまらなかったことでしょう。それでも、一緒に多くの時を過ごして下さったことに、感謝の気持ちが自然と湧いてきます。
先日、新菱冷熱副社長濱田氏と話しをしているときに、「将来は寺子屋をつくって若い人達に何かを教えていきたいと思っている」というお話を頂きました。素晴らしいお話だなと思いました。

そういえば、中国の古い書で「人の生きる道は、親に仕えるを以て始まり、君に仕えるを以て中ほどし、身を立てるに終わる」というのを読んだことがあります。親から学んだら次は実社会における自分の師となる人をみつけ誠心誠意尽くすことが将来の大を目指す必須条項であるように思います。

エッセイ一覧に戻る