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月刊メディカルサロン「診断」

過去・現在・未来へと続く道月刊メディカルサロン1999年3月号

1月15日から23日まで、私はバングラデシュに行って来ました。民間最大手のナショナル銀行頭取との会談、同シャトキラ支店長との会談、日本大使館への押しかけ訪問、養殖場視察、冷凍加工工場視察、追加設備の検討などの仕事を精力的にこなしました。

冷凍加工工場はインドとの国境近くのパルリエ村というところにあります。そこに行くにはダッカ空港から国内線に乗り換えて、ジョショア空港でおり、車で1時間半ほど走ります。冷凍加工工場はバングラデシュへの経済援助と発展を願ってメディカルサロンの会員からの資金援助でできた工場です。その工場からジョショア空港へ向かう道に、素晴らしい思い出ができましたので、小説風にご紹介いたします。

・・・出発の時間だ。1階に下りていくと、工場のスタッフ全員が整列している。セキュリティが片足を高く上げて振り下ろし、「カッ」と靴音を高く鳴らす。メリハリがきいていて心地よい。運転手が車のドアを開ける。乗り込む。工場の門が重々しく開く。門の両脇には直立不動のセキュリティがいる。

まずはシャトキラに向かった。街中でラルとモントをピックアップする。ダッカ、シャトキラで多くのバングラデシュ人をみてきたが、この二人の容姿は実に堂々としている。その姿だけで一世を風靡できそうだ。

この二人の教育レベルも高い。日本のこともよくわかっている。この地域で彼ら二人が徹底的に活躍する舞台を与えておけば、いい働きをするだろう。この地を見ていると収益効率のよさそうなプロジェクトがいくつもイメージできる。ラルとモントの二人を最前線に押し出して、プロジェクトを進めていけば、いつの日か大きく花咲かせることができるだろう。彼らを押し出した後ろがわに、また新しいプロジェクトが生まれてくるだろう。ひとつのモデルとなる成功でいい。一つの成功モデルが完成すればあとは続々と人はついてきてくれる。その最初の成功のために、工場運営は今が一番大切で、そして苦しいときであろう。

ナマルン村までの道はよく整備されている。クラクションは相変わらずだが、快適に走っていく。多くの人がいる。ナマルン村で三叉路にぶつかる。右へ折れた。悪路になる。大きなタバコ工場がある。このタバコ工場のおかげで、この村は発展したようだ。工場を作った人はかなり崇められていることだろう。ガタガタと車がゆれる。ゆれる車につらいと思うと疲れてしまう。ジャグジー道路、ジャグジー道路と念ずると疲れがとれる。それがプラス思考というものだ。

道路はまっすぐに続き、進行方向のかなたはモヤに薄れる。道路脇に、牛がいる。山羊がいる。羊がいる。鶏がかけている。犬までいる。人も合わせて、すべてが一色になって生活している。脇の木々は1列に整列している。だんだん大きくなってくる。樹齢は想像できない。木々の向うは、大半が水田だ。時にはレンガを作っている工場が見られる。このレンガは土から作られる。池がある。学校がある。家は土と萱で作られた粗末な家だ。きっと千年、2千年前から同じ姿だったのだろう。それほど時代の進歩が感じられない景色が続く。

「あの池はお風呂代わりに使われています」不意にモントが声をかける。大地そのものを寸地として無駄にしていない。田んぼを作れれば稲を育てる。土があればレンガを作る。池があれば風呂にする。雑草が生えれば牛を育てる。大地が恵みを与えてくれるとは、まさにこのことだ。この国の田舎の人たちは大地の恵みを享受して、なにひとつ生活の危機感を感じていない。危機管理なんて単語は存在しないだろう。危機管理という単語がもてはやされる国は、はたして幸福な国といえるのだろうか。開発、発展を義務化するのは、先進国のマネーゲームの一端ではなかろうか。

川を横切る。粗末な橋がかけられている。この川がどこから始まり、どこに流れていくか。この地の人たちは知らないであろう。そこに川がある。その川は大切な川である。それ以上のことに興味はもつまい。

社会のおきてに自然回帰か…。この道路を走っているといろんなことを考えてしまう。不思議な道路だ。そういえば、この道路はなぜこんなにガタガタ道なのだろう。舗装が悪いというより、実は古いのだ。ということはずいぶんむかしに舗装された道路ということだ。愕然とある思いが胸をよぎった。モントに語りかけた。

「さっき、ナマルン村を右に曲がったけど、あれを左に曲がったらどこに行くの」「インドに通じてます。3、4kmで国境線にでます」「この道路、名前はついてないか」「昔は、シルクロードと言われていたそうです。シルクロードを補修してこの道路ができました」やはり、我々はシルクロードを走っていたのだ。

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