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月刊メディカルサロン「診断」

「何を欲するか」と「後継者」月刊メディカルサロン1999年7月号

会員さんの採血結果を見ると「ああ、ストレスフルな毎日を送っているんだな」とわかることがあります。そんなときは、ストレスについて話し合うことがあります。

景気の状況がストレスの原因になっていることが多いのですが、中には、その会員の会社の後継者問題がストレスになっている人もいます。当然、その事業に関して父のほうがはるかに巨大なノウハウを持っているのですから、先の見え具合が父と子では格段に違っています。たいていの場合、その段差がストレス原因になるのです。言ってみれば、自滅型のストレスといえるでしょう。ところが、「息子の望む方向が違う」という致命的なストレスに悩んでいる人もいます。

「息子が、ほんとに私の後を継いで社長業をやりたがっているのかよくわからない」という話が出たときに、私はその息子さんと飲みに行き、語り合うことがしばしばです。息子は「後を継ごうと思ってますよ」と答えますが、やはり、親が不安になり、ストレスに感じているように、息子は強い「欲」を持っていないことが多いのです。

先日、あるきっかけで「アントニオ猪木の名勝負10番」というビデオを見ました。私も高校生の頃は大のプロレスファンで、当時の思い出も蘇り、なかなか楽しいものでした。ビデオの中で猪木さんは含蓄深い話を語っていましたが、その中に次のようなのがありました。

「猪木さんは、後継者として藤波選手を育てなければならない立場でした。いろいろと伝えていかねばならないと思っていたことでしょうが、彼は猪木さんが満足するように育ったといえるのでしょうか」というアナウンサーの質問に

「私が藤波君をどう育てたというよりも、藤波君が何を欲したかという問題が重要だと思うんですよね」と、猪木さんは答えたのです。

それを聞いたときに、多くの謎が解けたような気がしました。本人が望む延長線上にしか人は育たないということなのです。

猪木さん自身は、ファイターとして、またショービジネスの演出者として、一世を風靡していたのですが、同時に一つの道を追求した人が持つ、しっかりとした教育思想を持つ人であるということも知りました。

織田信長は、尾張半国の領主である織田信秀の息子でした。つまり、後継者です。しかし、彼は父が残した遺産のすべてを放棄し、独自の軍勢を育て、遺産の中で自分についてきたがるものだけを集め、新勢力を作り上げ、天下取りへ乗り出しました。

甲斐一国の後継者であった若き日の武田晴信(信玄)は、粗暴の振る舞いが目立つ国主である父を追放し、甲斐国主の座に立ちました。粗暴の振る舞いを目立たせ、家臣の心を父から離れさせ、自分にひきつけたのは、晴信の水面下の行動によるものでしょう。

「後継医師を育てて要所に配置し、メディカルサロンをもっと大きく組織化することを考えてみたらどうですか」というアドバイスをいただくことがあります。

ところが私の思想の中に、「後継者を育てる」という概念がしっくりこないのです。若い医師が一人いたとします。その医師を私がどう育てるかというよりも、その医師が何を欲しているかという問題が最優先です。仮に、その欲するものが、私と同じであるという医師がいたとしましょう。それなら、その医師がみずから求めて、みずから吸収して、みずから同様の組織を別に作ればいいのです。

メディカルサロンの理想は文章で残されています。私が追求する健康管理学も一冊の書物として残される日がやってきます。後継者を自分の手で育てようという気持ちは不要です。後世、私が追求したのと同様の医療を欲する医師が現れたときに、指導書となる学問を残すことができればいいのです。だからこそ、その学問を築くことに、私は全神経を集中しているのです。

そういえば、中国の春秋戦国時代の兵法家として名高い孫子が後継者を育てたという話を聞きません。

しかし彼が残した兵法書は2000年以上経た現在でも多大な影響を与えています。後世になってそれを欲した人達に影響を与えているのです。

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