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月刊メディカルサロン「診断」

痛恨の思い出とセカンドドクター月刊メディカルサロン1999年12月号

ある80歳近い会員がいました。2~3か月に一回の割合で診療を行うですのが、ある診療日に突然、その人が言い出しました。

「知人の先生(医師)に心臓血管造影を行いましょう、と言われたんですけど」

心臓血管造影とは、太ももの付け根の動脈に針を刺し、細い管を大動脈に逆行させて、心臓までたどり着き、そこで造影剤を噴出させ、心臓の動き具合や心臓を取り巻く血管の状態を観察する検査です。

私はしばらく考えた後、答えました。

「必要ないですよ。確かに、心房細動がありますので、心臓血管造影を行うとある程度興味ある情報を得られるかもしれません。でも、今の年齢を考慮すると危険性が大きいです。しかも胸痛や狭心症の症状があるわけでもないですから、危険性の割に検査から得られる情報も知れています。やめておきましょうよ。あなたぐらいの年齢でその検査を行ってとんでもない事故が起こったのを実際に何度か見ていますから」

しかし、その会員は答えました。

「でも、その先生はライオンズクラブで長い付き合いの先生なんです。私のために薦めてくれているのですから、いまさら断るわけにはいきません。検査の日も決まっていますし」

長い付き合いなのに、なんでいまさらその検査をすすめたのかな、と疑問に思いながらも本人がそこまで言うのを止めるわけにはいきません。

その数日後、悲報に接しました。その会員が心臓血管造影の検査直後に死んでしまったのです。

「ライオンズクラブの知り合いだから」の云々もなく、とにかく中止させるべきでした。悔やんでも元に戻すことはできません。メディカルサロン開設以来、あしかけ8年のなかで最大の痛恨事です。

ちなみに、その検査を行った医師は患者の死亡直後は、「患者の死は検査とは関係ない」と言い張っていたそうですが、遺族が私の存在を話したところ、医師側の態度が急に変わり、あっけなく示談でまとまったそうです。

患者が病院で受けている治療内容や担当医から話された話を解説したり補足説明したり、あるいは「その医師はこのようなつもりでそう話したのですよ」と担当医の腹の内を教えてあげたり、「それはこういう事情で担当医はそう言ったのですよ」と担当医の立場を解説してあげたり、場合によっては担当医の理不尽を修正したりする…そのような第三者的立場の医師の存在は重要だと思いませんか。

総合的補足解説や総合的検閲を行う第三者的立場の医師をセカンドドクターといいます。患者側の知的欲求の高進、増加する医療事故を背景に高まった「基本的に自分の身は自分で守る」の危機管理意識に応じて、セカンドドクターを設置した医療概念の必要性が迫っています。

この概念はメディカルサロンを開設した8年前に、私がその必要性をセミナーや著作「一億人の新健康管理バイブル」などで語っていましたが、最近アメリカ中心に急速に育ってきたようです。

私が大学病院にいたときには、研究室の上司から「○○という薬を多く出すように」とか「○○の検査データを集めて」という指令をよく受けました。また、クリニックにパートで出かけたときは、そのクリニックの経営者らしき人から、「抗生物質の○○が余っているのよ。風邪の患者がきたら気管支炎ということにしてその抗生物質をだすようにして」とお願いされたりしたこともありました。

現場の担当医と患者の間だけでは、純粋な医療以外の何かの因子が関与することがあります。その因子は「研究の都合」「収益上の都合」「担当医のかたくなな信条」などでしょう。その因子のために、もし被害をこうむるとしたらそれは、患者です。「自分の身は自分で守る」の発想に基づき、やはりセカンドドクターの概念は重要であるように思います。

また、セカンドドクターは、患者にとって気軽に話せる存在でなければなりません。医療社会の進歩のためには、メディカルサロンがそのようなセカンドドクターとしての役割をより強く演じていくことも大切です。

私がメディカルサロンを開設したときには、時代に対して、四歩、五歩先にあったセカンドドクターの概念も、つい一歩、二歩先にまで近づいてきたような気がします。

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