HOME > エッセイ集 > 医療社会の進歩

月刊メディカルサロン「診断」

医療社会の進歩月刊メディカルサロン2000年1月号

臓器移植法案の成立後、医療現場での移植実施がずいぶん増えてきたように思います。もはや、どこの病院で臓器移植を行ってもマスコミは興味を持たないことでしょう。ところが、この一連の過程には興味あるストーリーが内在されています。
臓器移植法案がなくても、医学会は臓器移植を推進させていった、ということです。法律の有無に関係なく、もう30年以上前から、臓器移植を行っていたのです。
そして、今になって現実に行われている臓器移植を追いかけて、ようやく法律ができあがりました。一般の経済界と違って、純粋に進歩した医学、医療現場での患者側のニーズのあとを追いかけて、法が整備されていくというのが医学に関する現状であります。

通信技術が著しく進歩しています。この進歩した通信技術を医療に応用していくことは必然の流れといえます。進歩中の医学と進歩中の情報テクノロジーが合体し、より大きな価値を生み出すことでしょう。
ここでは、どのような新規サービスを提供できるかが重要課題になります。「医療は患者が中心だ」をメインテーマとして、患者サイドのニーズにこたえる仕組みに再編制していかねばなりません。

一部の地域でテレビ画面による診療が始まりました。利便性を追求し、患者の立場や生活現況を優先するならば、かなり前に誕生していなければいけません。その実施がこんなにも遅れたのは、現行の医療法が誕生したときは通信技術が現在のように進歩することを想定していなかったからでしょう。
問題となるのは、保険医療のあり方です。たとえば、治療に関する相談を電話やインターネットで受けて答えたとします。それは立派な診療行為でしょう。しかし、だからといって、保険医療で実施するのは、やはり難しいでしょう。そして次には「保険医療ができないから、やってはいけない」と大半の人が勘違いを始めます。その結果、この分野が進歩し難い状態になります。私がいつも指摘する保険医療制度が足かせになっている、という部分です。
「ひたすら一生懸命仕事をしなさい。もし健康トラブルで行き倒れになっても保険医療でなんとかしてあげる」という仕組みで、高度経済成長の時代を支えた保険医療制度は、抜本的な改革を余儀なくされているのに、行政サイドの脳内には、本人負担率の引き上げ、保険料率の引き上げ、定額か定率か、という程度のことしか思い浮かばないようです。

ひとりの人が生まれてから、いや、精子と卵子が合体してから、その人が死亡するまで、医師が果たさねばならない役割はたくさんあります。「病気の治療」はあたりまえで、健康管理学の領域、介護の領域にも多くの役割があります。また、「若々しさ」や「元気ハツラツ」を求める分野にも医師の役割があります。

保険医療というのは、医師の役割のひとつである「病気の治療学」の、そのまた一部をカバーするきわめて限られた分野に過ぎないのに、保険医療がすべてだと勘違いしている人が日本人の大半です。医者も保険医療のなかでのみ育てられ、その枠外に飛び出してはいけないと思っています。
医学は本来、自然科学であり、現実に存在するものを追及する学問です。そして、実践分野、つまり医療の提供に関しては、人々の要求に応えることが優先することになります。そのような「本来の在るべき姿」を考えていくと、法規制のなかで医療を閉じ込めようとする官僚と国家権力の姿勢も問わねばならなくなるでしょう。

メディカルサロンは自由診療を営んでおり、私自身は「人の誕生から死亡までに存する医師の役割をすべて睨んでいこう」という気概を持っています。そういう意味では、医療社会の最先端を開拓していける立場にあります。また、「医療社会の本来在るべき姿」を追求していくことができる立場でもあります。

会員の皆さんとの対話をどんどん深めていくことにより、より進歩した医療社会の形成に大いに寄与していきたいと思っています。

エッセイ一覧に戻る