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月刊メディカルサロン「診断」

小渕総理に映し出された医療社会の問題月刊メディカルサロン2000年5月号

小渕首相が脳梗塞で倒れました。62歳でした。

日本人の男性の平均寿命は76歳を超えていますが、若いときから過激に働きつづけてきた人の平均寿命は67歳に過ぎません。また、営業ノルマや人事問題などで精神的負担も大きい生命保険会社社長の平均寿命が63歳であることを考えると小渕首相が62歳で倒れたのは決して不思議なことではありません。激務をこなしてきた人としてはあたりまえ的な年齢といえるでしょう。

この脳梗塞について、マスコミは多面的に語っていますが、付き合っている人に「重大な健康トラブルを起こさせないぞ」と考えながら、そのための勉強を深め、その分野の学問化を目指す私は、少し違う観点で見つめることになります。

小渕首相は、月に1回、主治医の診察を受けていました。つまり、「かかりつけ医」がいたのです。しかも、半年前には、1週間の入院でからだのすみからすみまで入念にチェックしています。にもかかわらず、脳梗塞を起こしています。

私は、健康管理をテーマとして、いろいろな人と話します。「私にはかかりつけの医師がいますから」と話す人も多くいます。その人達にとって、「かかりつけ医とは何なのか」を考えるいい機会ではないでしょうか。

1ヶ月に1回の診察で医師は何をしていたのでしょう。小渕首相は幹事長時代に、狭心症の症状があったそうです。おそらく、その治療のために診察を受けていたのでしょう。

医学は、診断学と治療学で成り立っています。治療学というのは「治療の方法を考え、その治療を施し、その治療の成果を確認する」という学問です。小渕首相は、狭心症の治療の効果を確認してもらうために、毎月診察を受けていたのに過ぎないのです。主治医は、予防医療的眼力を持ち合わせていません。一般に言われる「かかりつけ医」というのも同じ仕組みと考えていいでしょう。

結局、「かかりつけ医がいる」というのは、「何かの治療を受けていて、その治療経過の確認のために通院させられている病院がある」というのに過ぎないのです。

すべての医師の保険医療制度下で育てられています。保険医療の原則は「病気になった人の治療」です。起こり得る健康トラブルを予想し、予防としてその事前対策を施すことは保険医療の範囲で認められていないのです。診察のときに「この人が脳梗塞を起こさないように」と医師が考えることは許されていません。

「たとえ保険医療機関に属していても、予防医療的な考え方をしたらいいのに」と単純に思いつきます。しかし困ったことに、保険医療と自由診療を併設してはいけないという決まりがあります。

保険医療制度の抜本的改正はきわめて困難でしょう。なぜなら、保険医療制度は医師にとってあまりにも麻薬的だからです。医師がいかに横柄で非進歩的であっても裕福な暮らしを保証してくれます。一度その世界に浸ってしまったら、医師にとってはあまりにもおいしく都合のいい制度なので、二度と脱出できないのです。

医者側は、治療の成果を確認するために、患者を通院させ、「かかりつけ医」になりますが、その診察の際には予防医療的眼力は入り込みません。

脳梗塞などの「病気になったら対処する」という程度の考え方でしょう。医者がそのようになってしまった背景には保険医療制度が関与しているのです。

その保険医療制度の改革については、昨秋から国会で論じられている問題でした。自民党は改革に乗り気でなく、茶番劇に終わったのは周知のとおりでしょう。乗り気にならなかった背景に日本医師会が関与しているのは想像の範囲内でしょう。小渕首相は自分の在位中に意欲不足で改革しなかった保険医療制度の悪弊のために、政治生命を絶たれたといっても過言ではないのです。

会員の人と会うごとに「この人に脳梗塞は起こらないだろうか。起こるとしたらどのようなパターンだろうか」「この人は心筋梗塞にかかり得るからだになっていないだろうか」「この人の肺ガンの予防対策は万全だろうか」というようなことをあたりまえに思い巡らせながら、診察・カウンセリングを繰り返し、一人一人の身体の改善計画に取り組んでいる私にとっては、「あいかわらず、日本の現場医療は進歩していないな」と感じざるを得なくなります。

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