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月刊メディカルサロン「診断」

「ほしい、ほしい」病と教養月刊メディカルサロン2000年7月号

先日、ある会員さんのご紹介で「古賀守先生を囲むドイツワインの旅」に参加させてただきました。古賀守先生は第2次大戦中ドイツに滞在しており、戦後は日本とドイツを行き来する中で、ドイツワインを日本に広め、その功績を認められて、ドイツ国家から日本でいう「勲一等○○賞」に相当するものを授与されています。日本輸入ワイン協会名誉会長、日本ソムリエ協会・名誉ソムリエ、全国ドイツワイン協会連合会会長など、さまざまな要職を精力的に勤められておられ、84歳の高齢をまったく感じさせないエネルギッシュさです。

「ドイツはライン川を境に土壌が変わる。下流に向かって左岸にあたるフランケン地方は・・・」「酸味は酸味で、モーゼル地方の湿った酸味と違い、この地方の乾いた酸味というものを感じ取ってもらいだい」古賀先生の興味あふれる解説に聞きほれながら、各地の名醸造所を巡り、試飲を繰り返す、まさに満喫度120%の旅が続きます。

さて、旅の最後に寄ったところ、それがエゴンミューラー氏の私邸でした。エゴンミューラー氏は、世界の2大貴腐ワインの1つ「シャルツホッフベルガー」を産しています。(もう一つは、フランスのシャトーディケム)そのエゴンミューラー氏が、大喜びして語っていることがありました。

「息子の嫁になってくれたのが伯爵令嬢なんですよ。これで我々もようやく名家の端に加えてもらうことができます。エゴンミューラー4代目にしてようやく成し遂げることができたんです」

我々の感覚では、「今さらなぜ?」という気がします。すくなくともエゴンミューラー氏の方が世界的にはるかに有名です。
かたわらの通訳の女性に尋ねてみました。

「ドイツでは、人をまず『教養のある人』と『教養のない人』に分けています。貴族の家の出の女性には教養があるのです。いかに有名になってもエゴン氏は所詮、粉引き商人の出だったのです」激しい断定口調で、通訳の女性は語りました。たしかに、伯爵令嬢には表現に窮する人品と豊かな教養をそのすがたから発散していました。ここにおいて、私は教養という問題をもう一度考え直す機会に恵まれました。

ドイツではクラクションを鳴らす車が皆無でした。聞けば、「むやみにクラクションを鳴らすのは教養のない人です」という返事が返ってきました。

昨今の日本では、「ほしいほしい病」が蔓延しています。「無遠慮にあれがほしい、これがほしい」と絶叫しています。それを手に入れる貯金がありません。そこで「ローンを組もう」「分割払いにしよう」と発想します。

「今、10万円のお金をもっていない。でも、どうしても目の前にある10万円の商品がほしい。クレジットで分割払いにして買おう」
というタイプのものです。この考え方に教養はあるのでしょうか。

それを買うための現金がないのなら、今は買わない、頑張って貯金する。それが本来当然の考え方なのです。しかし、売ろうとする人が、クレジットで買わせるために一生懸命に大義名分を並べている滑稽な姿が目に付きます。

私が中学3年生のときに、入江塾を主催していた入江先生のお言葉が耳に残っています。入江塾は中学生を鍛えて、ほとんどの生徒を灘高校へ入学させています。

「君たちはね、これからの青春時代、ひたすらタイの心と戦いつづけなければいけないんだよ」という話です。「タイの心」ってなんだろうと、私はふと思ったものです。

先生の意図することをまとめると以下のようなものになります。

「人にはどうしても『ああしたい、こうしたい、あれがほしい、これがほしい』というものがたくさんある。それを『タイの心』というんだよ。そんな気持ちとは戦いつづけねばいけない。その気持ちに勝てるか、負けるかが君たちの将来を決めていくんだ。『タイの心』と戦う中で、君たちは成長していくんだよ」

熱弁を振るう入江先生の鮮烈な言葉が私の脳裏によみがえります。青少年を見事に調教(?)していく教育者としての入江先生がふと懐かしく感じられます。

必要性や自分の実力、社会的意義を深く洞察することなく、「あれがほしい。これがほしい。ああしたい。こうしたい」を連発する人が、日本社会でどんどん増えているような気がします。その姿に、「教養」を感じとることができるのでしょうか。教養豊かな日本を築いていくことも我々の使命のような気がします。

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