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月刊メディカルサロン「診断」

セカンド・オピニオンの序章月刊メディカルサロン2000年9月号

メディカルサロンを運営し始めて、早くも9年目になりました。この9年間、いろいろな課題に取り組んできましたが、一貫して重視してきたのは、電話での健康相談(急病コール)です。

始めた当初は「おなかが痛くて、下痢しているのですが・・・」「熱がひどいのです。カラダのふしぶしが痛くて・・・」というような相談が多かったものです。つまり、自分の体の体調不良を訴える相談です。まさに、急病コールの威力発揮の相談です。ところが、ここ3~4年、相談内容の様相が変わってきました。

  • 「父が脳梗塞で急に入院しました。担当医から、治験薬を使うので、この承諾書にサインしてください、と言われましたが、サインしていいのでしょうか」
  • 「妻が、子宮ガンといわれましたが、どうもピンときません。他の病院も受診した方がいいのでしょうか。どこか他の病院を紹介してもらえませんか」
  • 「近所の病院で血圧の薬をもらいましたが、飲み始めていいのでしょうか」
  • 「今の病院の先生はぜんぜん説明してくれないし、どうも納得いきません。私が受けている治療は、本当にこれでいいのでしょうか」
  • 「いきなり、医師から手術が必要だといわれ、怖い思いをしています。そんなときに、知人がある人を紹介してくれました。その人が、そんなのに手術は必要ない。私が気孔で治してあげる。と言ってきました。また、ある人はサメの軟骨が効くよ、と言っています。私はどうしたらいいのでしょうか」

という内容が増えてきました。

これらの相談には、他の医師から指示されたことに対して、どうも信用できない、ちゃんと説明して欲しい、もう一度確認したい、最終確認したい、他にもっといい治療はないのだろうか、という心理が混じりこんでいます。
安部英のエイズ薬害事件や手術での患者取り違え事件など、多発する医療事件が、医師の信用性を低下させ、医師からの指示に対し、どうも鵜呑みに信用するわけにいかない、昔のように「すべてお任せいたします」と答えるわけにいかない、という気分が働いているようです。

また、同時に患者側の医療に対する知的レベルの向上も関与しています。知的レベルが高まったために、受ける治療に対して選択肢を望むようになったのです。

携帯電話で相談に答える私の心理もまた微妙です。相談者と医師との間の単純な見解の相違もありますし、単なる説明不足から生じているだけの問題であることもあります。そのような時は、丁寧に解き明かすだけで解決します。しかし、生易しいものばかりじゃありません。

医師のミステイクだなとすぐにわかることもあります。でも、真正面から否定して担当医の面目を壊すわけにもいきません。医療内部の実情が絡んでいるな、と直感することもあります。しかし、医療社会の発展のために必死になっている現場医師の気持ちを思いやると、これもまたあっさりと否定するわけにもいきません。結局、答えるのに窮することがしばしばあります。「窮する」というのは、純粋に「患者のため」を考えていないからです。医療の内部的実情が複雑に加味されています。そのようなときには「ああ、匿名だったら遠慮せずに答えてあげられるのに」と思ったりもするものです。
また、本人の命にかかわる重大な選択の相談に出会うことがあります。そのようなとき、私は自分の全知全能で答えますが、他の医師の意見も参考にしてくれたらいいのに、と思うこともあります。重大な選択であればあるほど、そう思うものです。

ある医療機関で実行されている医療に対して、第3者的立場の医師の意見(セカンドオピニオン)を集めるときには、次の3つの条件が必要です。

  1. 純粋な相談であること(営業的要素が加わらない)
  2. 答える医師が匿名であること
  3. 複数の医師から意見を集められること

このような問題を解決できないかと、長年考えつづけていました。それが、インターネットの普及により、一気に解決に近づいたのです。インターネット上にセカンドオピニオンシステムというものを開発しました。患者側は、登録されている多くの医師に相談を投げかけます。「答えましょう」といってくれた複数の匿名医師の中から、3~4人を選択して答えを求めることができるシステムです。システムの詳細は他に譲ります。
このシステムを普及させれば、医師からの一方通行的な治療システムから脱却し、患者側は受ける治療の選択の幅を広げることができるのです。しかも、相談者のためだけの懇切丁寧な説明はあたりまえのように存在するのです。

メディカルサロンは、医療社会の問題を解決していく糸口をまた1つつかみました。

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