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月刊メディカルサロン「診断」

苦労と安定月刊メディカルサロン2001年2月号

「安定が欲しい」

もともと人の心には安定を求める本能が宿っていますが、時代が過酷になればなるほど、人心は「安定」を望みます。安定の土台となるのは、収入の確保でしょう。親譲りの資産を基盤として安定が備わっている人は、もともとあるのだから安定を求めるという心理が理解できません。今、安定がないから、安定を求めるのです。
安定を求める現代人の心理を分析してみました。安定を得ることができずに、「安定が欲しい」と口にする人の大半は、偶然の安定を得られる僥倖を期待しつづけています。ある集団に所属すれば安定があるとします。自分が偶然その集団に所属できないだろうかと期待している状態です。偶然所属できない自分を不幸だと認識しています。所属できないことを他人のせいにしようとしています。極端になると、「社会のせいだ!」とまで言い切っています。

「受験戦争」という言葉があります。この受験戦争を「親の見栄のあらわれ」などと表する向きもありますが、実態は異なっています。受験戦争に勝ち抜いて、高学歴を確保すれば、収入の安定する大企業に就職できるという目論見が受験戦争をつくるのです。

安定した収入を確保している人たちがいます。その人たちに凡庸な人はいません。生まれながらにして高収入を確保されている人は、それを死守するための苦労をしてきています。今、高収入を得ている人は、その高収入に見合うだけの苦労を過去にしています。なんの苦労もなく、安定を確保している人は結局いません。
安定というのは、どうやら一生懸命働きぬいて、自分が築き上げる世界があり、その世界の中でしか得られないもののようです。ところが、日本の社会がはぐくんだ甘えの構造は、安定がないのは他人のせいだ、社会のせいだ、と高言することに寛容になっています。

安定を拒否する人もいます。私などその典型人ではないでしょうか。私個人が安定を求めることが国家的損失であることを予感し、常にがむしゃらに前進することが使命であると勝手に認識しています。

リーダーとして君臨する立場はやや異なります。ついてきている人たちに、どうやって安定を与えてあげるかがテーマになります。たまたま所属できたから、すぐに安定を与えるというのでは、創業以来の苦労をともにした人たちの不満を招くことになります。集団内不和の端緒となりますので、容易に安定を与えるわけにはいきません。やはり、まず苦労させねばなりません。苦労させて業績を残させ、本人が残した業績の中で本人に満足できる範囲で安定を与えることになるのです。その人員が大きな収入下での安定を求めるときは、事前にそれだけ大きな苦労をさせなければいけません。その人員が小さな収入下での安定で満足できるのなら、苦労の程度もそれにあわせることになります。その辺を見切るのがリーダーの役割になります。どちらにしても、最初から安定を与えると組織の土台が揺らぐことになり、その以前に苦労してきた人たちをさらに苦しめることになってしまいます。

以上の考え方で、集団、組織を「会社」にしたときや「家庭、夫婦生活」にしたときとで、どのようなストーリーが生まれるかを想像してください。雇用不安、不倫問題、熟年離婚などの底流に流れる何かが理解されます。また「親譲りの資産」と「リーダーとしての立場」を組み合わせると、創業2代目と言われる人に欠けているものを理解することができます。

結局まとめると、「最初からの安定は存在しない。その人の過去の努力、苦労の結果として成し遂げた世界の中でのみ、安定を得ることができる」ということにでもなるのでしょうか。
今、安定がないのは、運が悪いのでもなく、他人が悪いのでもなく、社会が悪いのでもないのです。自分の過去に、求めている安定に相応する苦労が足りなかっただけのことなのです。

とはいえ、自分が所属した集団そのものが成長するかどうかの問題も重要です。今川義元に仕えたか、織田信長に仕えたか、徳川家康に仕えたかで努力、苦労の報われ方が異なります。成長盛りの集団にはなかなか所属させてもらえないし、かといって斜陽の集団に仕えると苦労が報われないし・・・。一方では、自分の苦労が集団の成長を支えるのも確かだし・・・。いつの時代でもそうですが、丸裸で生まれてきて、ゼロから築いていく人生・・・本当に人生の道というのは簡単ではありません。

蛇足ですが、せっかく確保したあらゆる安定も、健康トラブルでいっきに失われることは忘れてはいけません。

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