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月刊メディカルサロン「診断」

距離感月刊メディカルサロン2001年8月号

「今日は距離感がいいね。ビタピン続きじゃないか」とゴルフの最中に会話することがあります。距離感は「距離勘」と書くのかもしれませんが、今回は、距離感で統一します。「人間どうしの距離感」について考えてみましょう。

距離感
  • 「あいつとは仲がいい。あいつに裏切られるぐらいだったら死んでもかまわない」
  • 「あいつとは仲がいいけど、どうも信用できない」
  • 「信用はするが信任はしない」
  • 「取引上は仲良くするがプライベートで一緒になりたいとは思わない」
  • 「夫のことは信用しているが、他に好きな人ができてしまった(ひと頃の失楽園?)」
  • 「妻のことは愛している。でもなぜか、他にも彼女が欲しくなる」

それらをすべて人間関係的距離という枠組みで考えてみてください。

人間関係的距離が、近すぎるとわがままや過剰な要求が増えてしまいます。遠すぎると、不信感や逆に恋焦がれる気持ちが生まれます。

人間同志でもっとも接近している関係は、夫婦の関係でしょう。

  • 「あんなに愛していた筈なのに、入籍した瞬間、なぜこんな風になってしまったのだろう」
  • 「入籍した瞬間、あいつは人が変わってしまった」

これらはすべて、人間関係的距離の問題がかかわっています。距離の変化は人間本能の中に影響をもたらします。

医師と患者の距離感が問題になりがちです。平成3~4年ごろから沸騰した医師への不信は、この距離感の難しさが遠因になっています。

「説明不足」が問題の一つとして挙げられますが、ある患者に詳しく説明すると担当医とその患者の距離が近くなり、その患者は必ず過剰な要求をしてきます。そして、全患者が「私にも」と要求することを警戒しなければいけなくなります。過剰な要求であることが明白であっても、本人はその要求ぐらいは、あたりまえ、かまわないと錯覚します。

一人の入院患者と丁寧に接するとその患者は、毎晩のように当直医や当番看護婦に「あの先生を呼んでください。なぜすぐ来てくれないのですか」と要求し始めます。

外来で一人の患者に丁寧に説明して一度距離を近づけてしまったとします。同じその患者への次回の説明が簡略的だと、その患者は、前回をありがたく思うのではなく、今回の簡略性に対して、かえって不満を抱きます。要するに、医師患者間が近くなりすぎると、患者のわがまま度が増大し、過剰要求してくると同時に、次々と不満を高めるようになってきます。医師はその点に関して経験豊富ですから、決して患者との人間関係を最初から必要以上に近づけようとしません。

私が医師になりたての頃は、先輩医師から患者と仲良くなったらロクなことはないよ、と諭されてきました。それに反駁して、メディカルサロンを作った経緯がありますが、ここ2~3年は、先輩の意見の正しさに感心するような実体験の機会が増えています(滅入るものではありません!)。

医師患者間の距離のとりかたは難しく、近すぎると不満を呼び、遠すぎると不信を呼ぶということなのです。距離感の混乱が誤解や医療過誤、医療不信につながっているといっても過言ではありません。診療現場における医師と患者の距離感の適正化を目論んで、「マイ・カルテ」という書籍を上梓したのは、周知のとおりです。

ところで、よく考えてみると、距離感の難しさは医師患者間の問題だけではなく、人間社会全体の問題にあてはまります。

入籍したその日からなぜか不仲になる。取引先にいるときは尊重して応じた相手を、自社の社員になった瞬間に無遠慮な扱いにする。可愛がった社員ほど「給料上げてくれ」や「もう辞める」と言い出す。すべて、人間関係的距離感の過ちから生まれています。

社長と社員の距離感、上司と部下の距離感、学生時代からの友人間の距離感、社会人になってからの友人間の距離感、恋人どうしの距離感、夫婦間の距離感。それらの距離感を上手に下支えする心構えとして、私は「追及しない」「要求しない」「拒まない」の3つを大切にしています。泰然自若と電光石火の組み合わせも大切にしています。

日本史上、この人間的距離感を設けることに関する最大の天才は、源頼朝と豊臣秀吉でしょう。人間距離の天才的コントロールは奇跡を生み出すほどのものへと成長します。逆にいえば、それほど人間関係の適正距離を維持することはとても難しいことなのです。

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