HOME > エッセイ集 > プライベートドクターシステムの始動(前編)

月刊メディカルサロン「診断」

プライベートドクターシステムの始動(前編)月刊メディカルサロン1997年2月号

「世界中から集めた文献で学んだ知識の総て投入して、目の前の人の長生き確率を高めていこう。頭脳明晰で、溌剌とした活力あふれる生活を営んでもらおう」

そのような理想を抱いて、新宿区左門町のマンションの一室を診療所と定め、平成4年にプライベートドクターシステムを誕生させました。

理想を掲げ、場所を構え、目指していく方向がぼんやりとみえているのはいいけれど、実際に何をするべきなのか、多いになやみました。今でこそ健康管理学という概念をまとめ、それを土台にした医療を展開していますが、その当時は「長生き確率を高める」をテーマとするような医療はなかったのです。病院で行う「病気になった人を治療する」と人間ドックで行う「病気を探し出す」以外の医療があるとは思われていませんでした。ということは、私の理想を理解してくれる人がいなかったのです。色々な場所でひたすら理想を叫び続けたのですが、聞く人は一時的に頷くだけで、結局は私のことを本気で相手にしている気配はありませんでした。95%のむなしい想いと5%の希望の中で、くじけず理想を叫び続けたものでした。

理想を叫ぶのはいいですが、何はともあれ「その時点で、皆が理解できることでは何ができるのか」を早く明らかにしなければなりませんでした。それが明確に浮かんでこないというのは実に苦しいことでした。出来ることの第一歩目を踏み出さなければどうしようもありません。

「会員になった人に何が提供できるのだろうか・・・いや、もっと根本的なことで、《会員制》という枠は必要なのだろうか・・・何をどういう風に考えていけばいいのかさっぱり分からない・・・どうしたらいいのか・・・まずは・・・まずは今の医療の問題点をまとめてみよう・・・そして、それらを解決できる仕組みを考えてみよう」

ちょうどその平成4年の頃は、マスコミが医療への不信をあげはじめたころでした。検査漬け、薬漬け、説明不足、ガン告知、末期医療・・・などが、騒がれています。ところが私自身が、医療現場の最前線にいましたので、マスコミがとらえる次元とはやや違うところで問題意識を感じていました。

ある人が突然急病で倒れて病院に搬送されたとき、なぜその病院に電話の一本でもかけてくれる懇意の医師が一人もいないのか。

救急病院で突然担当になった医師の立場では、患者の主義・信条がわからず治療の展開が定型パターンに従うことになります。誰か懇意の医師が一人でも電話をかけてきて、「その人の場合はこういう治療の方針を中心に考えてください」とでも言ってもらえれば、数段違う治療を現場医師が意欲的に展開できるのになあというケースはたびたびありました。

診療室では十分に説明できない

治療というのは苦しいところを取り除くために行うのです。つまり、患者にとっては本来は希望を持てる行為なのです。現医療ではその治療を患者に楽しんでもらうことが出来ていない。この原因は、やはり説明不足にある。楽しく上手に説明しながら、お互いに分かり合いながら治療を展開してあげられれば、患者側の医療への取り組みはかわり、医療スタイルそのもの・・・と思うことはしばしばありました。

→次号へ続く

エッセイ一覧に戻る