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風本流医療構造改革・論議編

その18「医療産業大国日本の構想」

前回の「国民医療費の考え方」の最後に、「医師の手を使う技術(内視鏡やカテーテルでの治療、手術など)や難病への点数配分を飛躍的に増やせば、大病院への所得配分率が高まり、より優れた流れを作り出すことができると思っています」と書きました。この話は、「大病院での収益性が向上し、労務システムが改善される」「大病院での設備投資が進みやすくなる」や「手に技術をつけるために医師がさらに努力するようになる」「手に技術をつける医師が増える」というような単純な話ではなく、もう少し深遠な意味を含めてお話したつもりでした。今回はかなり粗っぽい話になりますが、今後の議論のきっかけにしていただきたく思い、それを語ってみます。

国民皆保険制度が抱える問題

医療は非営利でなければいけないと言われています。病気にかかった人の立場が弱いからです。また、国民が健康で文化的な生活を営むために、国家はあらゆる努力をしなければいけないからです。したがって、医療組織を日本国内に万全の形式で作り上げるのは重要な国家的課題なのです。

日本は、国民皆保険という優れた医療制度を完成させ運営させています。しかし、運営の実情としては、公費負担が大きくなっているのも確かです。公費負担というのは、国民の医療費のうち、健康保険の掛け金だけでは不足する分のことです。大半の医療費は、健康保険の掛け金と窓口での自己負担金だけでなく、公費、つまり税収などからの援助で成り立っています。

一方、医療機関が適切に経営を成し遂げるためには、一定以上の売上が必要なのは言うまでもありません。その売上を保険点数というシステムで国家は提供しています。医療サービスの対価を安くしすぎると医療機関が存在できなくなり、国家は国民に「健康な生活」を提供することができなくなります。対価を高くしすぎると公費負担や健康保険の掛け金、自己負担の絶対金額が大きくなり、国民の負担が高まります。負担に耐えられなくなると、これまた国家は義務を果たしていることになりません。

収入確保への道

長期的な視野で公費負担を減らすためには、医療機関が健康保険の掛け金や公費以外からの収入を確保する道を築かなければいけません。その収入が大きくなれば、めぐりめぐって公費負担を減らす道を検討することもできるようになります。
そこで今後考えてほしいのが、海外から患者を招き、その患者に対して健康保険の適応外、つまり自由診療で医療サービスを提供することです。

日本国憲法が保障する「健康で文化的な生活」は、日本国民に対するものですので、海外からの患者に対しては、非営利でなければいけないという原則は存在しません。つまり国際相場と提供サービスの重厚さ、需要の大きさ、患者の期待度を検討して価格を定めることができます。

海外からの患者に提供しやすいサービスは、人間ドックなどの予防医学分野と「医師の手を使う技術」に集約されていきます。この中で、国際的な貢献性も考慮すると「医師の手を使う技術」を世界の患者たちに提供する道を開くことが重要課題になるように思うのです。

アジアにおける医療の桃源郷として

患者の立場では、開頭、開胸、開腹などの手術や内視鏡下の手術を受けるときは、医師の技術を絶対的に信用するしかありません。それは言うまでもないことですが、同時に術前のチェック体制と術後の管理体制にも信用がおけなければいけません。その3つが万全であって、患者は安心して治療を受けることができるのです。技術とチェック体制と管理体制において、日本の医療はアジア一帯で群を抜いていると思って差し支えありません。

国民皆保険の医療制度の中で、医師達は過剰診療とも誤解される頻度で(失礼?)、技術提供を経験しています。経験量が豊富な上に、患者からのクレームやマスコミからの批判に耐える中で、技術だけでなく術前術後の体制はきわめて優れたものになっています。それらを国際的にアピールすれば、アジア地域においては「自分の病気の治療を安心して任せられる桃源郷」としてのイメージ作りが可能になってきます。それを作り上げるのは、まさに国家の仕事です。「日本に行って治療すれば安心だ」の風潮を作っていくのです。

アジアの健康に対する意識レベルがどの程度かというと、たとえばバングラデシュでは「高血圧は危険である」と知っている人がほとんどいません。かつて、バングラデシュを訪れた時、そのことを知ってびっくりしたものです。健康に関する啓蒙が行き届かず、まだ若くても病気になって死ぬのは当たり前だと思っています。アジア地域の発展途上国においては、一般の人たちは、その程度の認識で生活しています。

極端なこの例を認識すれば、日本国内で培われた医療サービスを国際舞台でいかに利用していくかを考えることができます。国が豊かになれば、日本がそうであったように健康への志向性は必ず高まり、富裕層の人たちは健康に対する不安を強く持つことになります。まずは、治療を受けるときの安心、安全を求め、次は予防医学へと期待を高めるのです。

財源問題解決のために

さて、そうなると次に考えなければいけないのは、海外から治療を求めて訪れる患者に対して、どのような対価で医療サービスを提供するか、つまり治療に対する金額設定が検討材料になります。この価格を世界に向かって公表することが、世界から患者を受けいれる体制そのものになるのです。

現状の国民皆保険制度下の非営利事業としての医療は、治療費が安すぎるのが現状です。たとえば、胃がんの手術を行う場合、術者の医師、補佐の医師、補佐の看護師、麻酔担当医らが、衛生設備の整った手術室で大掛かりに手術を執り行いますが、その費用は大量生産している50インチクラスの薄型テレビ1台分程度にしか過ぎません。そのボランティア的な価格設定は、日本国民向けにはそれでいいのですが、海外からの患者に対してまでそのように安くする必要はありません。先進国における国際相場を基準にするのがいいです。とはいえ、健康保険点数による価格との間にあまりに多くの価格差があると、好ましくないイメージがつきまといます。したがって、医師の手による医療技術の提供は健康保険点数を上げておく必要が生じるのです。

東南アジアの発展途上国といっても、一定割合の富裕層が存在します。この富裕層というのは、桁外れの富裕層です。その人たちが病気になったときは、納得できるお金を準備して日本に赴くという風習をアジア一帯で作り上げていきたいものです。
そこで、海外からの患者を迎える場合の治療費として、保険点数以外に「定価」という概念を新たに設けなければいけません。つまり、医師の手を使う治療に対して、保険点数と定価という二本立て設定にするのです。
そして、日本での治療を希望する場合の定価を公表し、世界に向かってアピールしていくのです。そんな医療大国としての日本を築いていくための第一歩が、「医師の手を使う技術への保険点数配分の増加」なのです。医療費を70兆円にするうちの何%かが、海外からの患者への治療費でまかなえればしめたものです。羽田に国際線が発着するのも追い風です。

もちろん、予防医学の啓蒙・教育活動を行っていけば、アジア一帯において日本の予防医療の分野も巨大な産業になりますが、それは現時点では民間の活動にゆだねて、国家的課題とするのは、次のステップに持ち越すのがよろしいと思います。

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