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風本流医療構造改革・論議編

その2「健康のセーフティネット」

私は医療費削減論者ではない

医療改革の必要性が諸方面で叫ばれています。政府側にもその動きはあわただしいようです。医療改革を叫ぶほとんどの人が、医療改革の目的を医療費削減においているようです。その背景には、医療費亡国論が存在しています。つまり医療費が高騰し、その結果、国が滅びるという極論です。
私のこれまでの文章を読んでみると、私自身も医療費削減論者であるかのように見えてきます。しかし、私は決して医療費削減論者ではありません。公費としての医療費の適正使用を強く視野に入れていますが、一方的な削減論は持っていません。あくまで、国家にとって必要な医療のあり方を論じる医療構造改革論者です。

私は、最近になって医療制度上の改革を論じるようになりましたが、もともとは医師を含む医療従事者と患者とが接する医療現場の改革に取り組んできた者です。つまり、従来の「診察室内のみでの、その場限りの接点の繰り返しを排除して、24時間365日体制で全医療従事者が患者とのコミュニケーションを深めていく」「患者側の教育活動こそが診察現場の中心的活動」という医療現場の改良に取り組みました。その医療現場の構造改革を強力なリーダーシップを持って推し進め、全国のメディカルサロン作りとなったのはご存知のとおりです。政府側の誤解により、全国のメディカルサロンは消失しましたが、医療現場の改革に突き進んできた私の頭の中には多くの経験がそのまま生きています。

今後は、それらの経験に立脚したうえで、「病気で悩む人を救うためのセーフティーネットとしての医療システムをパーフェクトに充実させる」「医療を受けることによって、より豊かな人生作りを目指す人のための新しい医療体系を拡充させる」「高齢化するという宿命を背負う人体のために医師が活躍する場、役に立つ場をもっと広げていく」そして、「それらの遂行が、他業界のねたみを伴わないようにする」という医療構造改革をすすめることが私の使命になっています。
その結果、医療費は削減できるのか、より増加してしまうのかはわかりません。大切なのは、その費用の存在、その費用の使い方に全国民の納得を得られるかどうかです。繰り返しますが、私は一方通行的な医療費削減論者ではありません。

現行の国民皆保険制度では、診療現場における医療費の在り方に行政サイドの不満が潜んでいるので、医師会と厚生労働省がギクシャクした関係になりがちなのです。ですから、国民皆保険制度の抜本的見直しも私が主張する医療構造改革の中身の一つとなっています。

セーフティーネットのあり方

国家は、「国民を守るためのセーフティーネットを充実させなければいけない」という宿命を背負っています。セーフティーネットというと、「怠け者を救う場所」「無能なものを救うシステム」などと曲解している人が多いようです。日本の現首相もそのように曲解しているように思えてなりません。

我々は「少年よ大志を抱け」などと幾度となく聞いて生きてきました。まさに若者たちには、自己の人生を成功させることを夢見て、頭脳を鍛え、身体を鍛え、親孝行を原点とし、信用を大切にして能力の限りチャレンジングな人生を歩んでほしいと思います。もちろん、能力には個人差と限界がありますので、チャレンジし続けた結果、落ち着くところに落ち着くことになります。その1人1人の積み重ねが日本国家を成長させていく原動力となり、その結果として全国民が国家の成長に貢献したことになるのです。そして、その誇りを持って次代の子供たちにこの国をバトンタッチしていけるのです。
有能でチャレンジングな人生を目指した人でも失敗することはあります。安定した人生を築こうとした人でも不慮の事態は起こります。そんな人たちの再生を図るためにもセーフティーネットが必要なのです。

このセーフティーネットがあるから、失敗を恐れることなく大いに夢を実現するためにチャレンジする若者がたくさん現れる、という国にしなければいけません。それが本来のセーフティーネットの役割です。人生に失敗して、職を失い、食いはぐれた悲惨な姿を恐れさせるのではなく、失敗したらいったんは貧困にはなるけれど、再出発のための土台となる場所がある、という安心感を与えるのがセーフティーネットというものです。それを強く意識した国づくりを行いたいものです。

そのセーフティーネットを築くために、全国民が費用を分かち合うというのは当然のことです。国民はそれを理解していますが、セーフティーネットの構造に特定の人たちの私利私欲が入っていると、合意を得にくいのです。今の日本社会の問題は、国家の構造作りにおいて、官僚、関連団体、その他の私利私欲が入っていると思い込まれているので何かと難航するのです。この「思い込まれ」には、誤解も大きいのですが、「李下に冠を正さず」「瓜田に靴を納れず」の警戒心も不足しているため、一層誤解を招いているのです。

健康セーフティーネット

健康に対するセーフティーネットも同様に考えていただきたいと思っています。この日本にいる限り、全国民が健康に関しては何の不安も持つ必要はない、という国にしたいものです。健康トラブルを恐れることなく、思い切ってチャレンジングな人生にしていける国。宿命的な病気を背負っても、必要以上の不安を感じずポジティブな気持ちを持たせてくれる国。老いていくという不安と現実を実力行動で受け入れてくれる国。私はそれを目指して、医療構造改革・論議編を書きすすめています。

厚生労働省も医師会も私利私欲なく、天下国家のために医療組織の整備に取り組んでもらいたいものです。

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