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風本流医療構造改革・論議編

その5「ガン治療をめぐって

ガンは治るのか?治らないのか?

「ガンと闘う」のは美学でしょうか?あなたは、診察室で「ガンです」と言われたら、どうしますか?とりあえず、頭の中は真っ白になり、「すべてお任せします」と答えることになってしまいませんか?

医師は、病気を見つけたら治療するのが仕事です。そして、治療方法を研究するのが使命です。発見したガンに対しては、何とかして治療する方向に持ち込もうとする本能をもっています。手遅れであるとわかったガンでも、どれくらい延命できるだろうか、ということに興味を持ちます。それに対して、あなたはどのような心構えで対応しますか?
ガンはあと10年で克服される、と言われ続けてすでに40年がたちました。しかし、相変わらず死因の第一位はガン(悪性新生物)です。「ガンと闘う」というのは本当に価値があることなのでしょうか?

手術でとりきれるくらいのガンで見つかることがあります。この場合は、大至急手術するのが妥当です。ここ30年で、手術などによる切除範囲をどこまで小さくできるかという取り組みがなされ、それは成果を挙げてきました。そして手術で取りきるということに、放射線療法などを併用するという治療も成果を挙げてきたように思えます。また、内視鏡下の手術が進歩し、開腹や開胸の必要性が減りました。また、手術の代わりにできる治療として、薬剤の局所注入による壊死療法なども進歩しました。つまり外科的に取り除くということを中心とする治療で、根治(根本的に治せること)を期待できるなら、すぐにその治療に取り組むのは正しい選択です。

手術でとりきれないタイプのガン、つまり根治手術ができないガンに対して、いろいろな治療方法が研究されました。代表的なのは抗ガン剤療法や放射線療法です。他に、免疫強化療法などもあります。

「ガンと闘おう」と決心して抗ガン剤を利用したその日から、ぼろぼろの身体になっていく人が大勢います。「治療しなければ、まだまだ長年、元気でいられたのに」というケースはよくあることです。「抗ガン剤療法のおかげで、私は死の淵から蘇りました」という人は、血液系のガンを除いて、結局、見たことがありません。

しかし結局は、ガンで助かるのは、早期に発見されて大元の病巣を手術などでとりきることを目指せる治療計画を立てられたときだけ、というのが実状になりました。(ただし、白血病やリンパ腫などの血液系のガンは、化学療法が有効ですので、今回の題材から外します)医療機関側も「ガンと闘う」ということに対して、ある種のむなしさとともに、悟りを開いてきた気配があります。緩和ケアという治療体系が誕生しつつあることがそれを物語っています。

人生、どこかで命が尽きるときが来ます。尽きる直前まで身体的な苦しみ、精神的な苦しみがないようにしたいものです。

ガン治療の真実

ところで、医療界に存在するガン治療というのが、また千差万別です。そんな中で、医師が選択して、患者にすすめるガン治療は、その患者にとってのベストチョイスでしょうか?実は、病院側にとってのベストチョイスであり、患者にとってのベストチョイスであるかは定かでないのです。
たとえば、前立腺ガンの小線源療法の技術がない病院は、その治療をすすめることはありません。その病院でできる治療方法をすすめることになります。その患者にとっての治療のベストチョイスは小線源療法であるかもしれません。しかし、その病院はその治療をすすめることはないのです。
つまり、当該病院でできない治療をすすめることはまずないということです。それぞれの病院には、患者にとってのベストチョイスの治療をすすめる以前に優先する問題があるのです。

ここに、ガン治療の選択に関するセカンドオピニオンの価値が生まれます。ただし、どの治療も一長一短です。確実な治療があれば、日本中の病院がその治療一色になりますから、治療手法に種類があって当然です。どの治療を行うべきかというのが、結局は自分の決断と覚悟、自分の責任で選ぶことが大切になってきます。

ところで、現実に取り組まれているガン治療は本当に効果のある治療なのでしょうか?最近は、EBMという用語が用いられるようになっています。E=evidenceであり、これは、「証拠に基づいた医学、医療」を意味します。医学会では、「今後の医療は、EBMを重視しなければいけない」と叫ばれています。今さら、このような言葉が叫ばれるのは、どういう意味でしょうか?もう直感できると思いますが、従来から、ガン治療に対しては、その治療を施すことが本当に有益なことなのかどうかは、医師側もよくわからない、という状況が続いていたということなのです。
「よくわからないけど、とりあえず治療していく。なぜならば、治療することが使命である」というのが、その実態です。こんな状況であった医療の現場で大半の患者は、「すべてお任せします」と頼んできたのです。ガンの治療に対しては、自分の選択権を確保し、結果に対して納得を獲得してほしいものです。

ガンの治療に対しては、治療内容の明確な線引きや、患者にとっての有益性の保証がないままに、医師側の思惑だけですすめられてきたのが現実です。そういった治療体系に対し、患者側から物申す、という仕組みをつくるのは私が主張する医療構造改革の重要ポイントになるのです。

緩和ケアの登場

緩和ケアという治療が叫ばれるようになりました。手術でとりきれないようなガンであることがわかっても、抗ガン剤投与や放射線療法などの積極的な治療は行わず、痛みをとることや生活制限のないことに全力を投入して、できる限り自然な生活ができるようにしようとする取り組みです。ガンと闘わないと決断した人にはこの治療を施すことになります。この治療体系が、今後ますます進歩することを期待します。

闘うか、闘わないかの決断

ガンと闘うという行為は、大きな労力が必要な行為であり、肉体的なロスを要求される行為でもあり、同時に莫大な出費行為でもあります。それでいて、その有益性は不明です。それなのに、国民皆保険の少ない自己負担のもと、医師側、患者側、ともに漠然とした意識の中で、「闘っていきましょう」の状態を作っています。

この「闘うか、闘わないか」に関して、医師主導で「なあなあ」の気分でスタートしてしまう現状を放置しているのは、医療機関側の「組織維持売上げの確保」「新人医師育成」、医師側の「研究テーマ」「試してみたい治療手法」、医療従事者の「おせっかい的道徳心」などの事情が背景に潜んでいるからです。それを後押しするのは国民皆保険下で自己負担が少ない、というシステムです。国民皆保険の弊害がこのようなところにも現れています。

ここにメスを入れるのは、私が推進する医療構造改革のキーになるのです。

決断への過程と、決断結果に関するコミュニケーションの問題

早期に発見されて根治手術を行えない場合は、治療の選択権を完全に患者に委譲するべきです。

「闘う」か、「闘わない=緩和ケア」の2つに一つです。それが曖昧なまま放置されてきたのは、国民皆保険制度が原因である、と断定することができます。治療行為に対して、医師側は、患者自身の費用負担は考慮しなくていいもの、と思い込んでいます。治療をすすめるという縦軸に対し、患者の費用負担があるという横軸の検討が未熟なのです。まさに、国民皆保険制度の弊害です。
患者に大きな費用負担が発生するとなれば、治療方針に漠然性はなくなります。「闘う=費用がかかる」を選択するのか、「闘わない=費用がかからない」を選択するのかを明確にしてもらうことが最初のステップになります。

早期でないガン患者を見たとき、医師側には、患者を救いたいという思いやりの気持ちと、この治療をすればどれくらい延命できるのかな、という研究的な気持ちが漠然と混在します。この漠然さがあると、患者と医師との間に、「本来、あるべき人間関係」を築くことができないのです。
ここに明確な姿勢を導入するべきなのです。患者が闘うことを希望した場合、医師側が「救える」とみたら、徹底的に救うことに全力を集中する。「救えない。わからない」とみたら、事情をよく話し、患者の選択権のもとで、患者の協力を得て、1つの治療体系の有効度の研究にも徹底的に協力してもらう、という姿勢です。姿勢を明確にすれば、医師と患者の間には適正な人間関係を芽生えさせることができます。

ところで、ガンと闘いたくない人がいたとします。その人が担当医の前で、「治療しないで放置してください。治療は不要です」ときっぱりと言い切れるでしょうか?なかなか言えないものです。医師は治療するのが使命ですから、何とか治療に持ち込もうとします。治療することを望んでいる医師の前で、「治療は不要です」とは言いがたくて当然です。医師側には治療に持ち込むための甘言もたくさん用意されています。最たる甘言は、「治療に取り組めば治る可能性がある」という一言です。心の奥では、「治らない」ということはわかっているのに・・・です。

この医師・患者間の問題はどうすれば解決されるのでしょうか。

ガンを「診断する医療機関」と「治療する医療機関」を分ける

ガンの治療方針をめぐって医師・患者間のコミュニケーション上の問題が生じる原因としては、ガンと診断した医療機関がそのまま当該患者のガン治療にも取り組むという流れのあることが大きいのです。
ガンを診断するまでの医療機関とそのガンを治療する医療機関との間に、別の医療機関を入れて、患者が自己のガンに対してどう対処していくべきかを深く考える機会を与えなければいけません。そのワンステップの役割を果たすのは、まさに自由診療で営まれるメディカルサロン型クリニックになります。

メディカルサロン型クリニックは、患者の信条、人生観などをよく聞き、「闘うか、闘わないか」の決断に対してアドバイザー的役割を果たさなければいけません。そして、「闘う」と決断したなら、患者と一体になって治療のベストチョイスを選び、改めて治療にあたる医療機関を選別していく役割を担います。
ガンを診断する病院と治療する病院を分けることができれば、ガンの治療に特化集中した設備を持つ医療機関が誕生することも期待されます。また、患者の心の問題をケアするクリニックが、治療実施病院以外の医療機関に存在することになります。これもまさにメディカルサロン型クリニックの役割です。私はそのような思いをもって、メディカルサロンを築いてきました。

このように話していくと、私がもともと主張している「今の日本の医療組織は、非統制的乱立で、機能別に分かれていない」という意味がわかってきていただけると思います。

生活困窮者に対する国営病院の場合

治療費無料(会計不要)の国営病院の場合、患者に与える選択権には限界が生まれ、医師側が主導する治療を実施していきます。もちろん人体実験ではありませんが、研究や新人医師の育成、新しい治療手法の模索を推進することになります。しかし、この治療がひどい治療になるかというとそうではなく、今の国民皆保険下の日本の医療システムと同じに過ぎないのです。逆に言えば、ガン治療に関して今の日本の医療システムは、生活困窮者用の会計不要な国営病院の医療システムと同じということになるのです。

ガンの治療費負担はどうあるべきか

さて、ガンの治療費の自己負担、公費負担に関してどうあるべきかを考えなえればいけません。患者にとってのベストチョイスを実施しているかどうかが不明であり、医師側が望む治療を施しているという背景のもとでは、その治療費に自己負担を強いることがそもそも矛盾行為です。患者の「すべてお任せします」という言葉を大義名分として、実際は医師側が望む治療を施しているのに、患者本人が一定割合の自己負担金を支払っています。
手術で根治を目指せるガンの場合は、従来の国民皆保険の枠組みでいいですが、そうでない場合は深く再検討しなければいけません。ガンと「闘う」と決めた人と「闘わない」と決めた人が、同じ起源の公費を利用するというのもおかしな話です。
ここでは、民間保険を大いに導入するべきです。早期ガンの根治を目指す手術以外は、国民皆保険の枠組みから外し、治療費は民間保険で補償するようにします。保険とはもともと互助システムですから、互助の目的を望む人たちの間で掛け金を出し合っていくのが正しい考え方です。「ガンと闘いたい」と願う人どうしでシステムをつくるのが妥当であると私は思います。
医療機関は、あらかじめガンの治療法とその治療費を独自に定め公表し、ガンが発覚したときに「闘う」という意志を持っている人は、その治療費を補填する民間保険に加入しておきます。掛け金の多寡に応じてカバーできる治療内容に階層を作る必要が生じますが、それは保険会社に任せます。もちろん完全に自費で治療するという人は加入する必要はありません。
一方、ガンと「闘わない」と決断した人には緩和ケアの治療が必要になりますが、この場合は治療費無料(会計不要)の国営病院に通院できるようにします。国営病院では、緩和ケアの技量が飛躍的に高まることでしょう。

早期でないガンが見つかったときに、「闘う」のか「闘わない」のかを事前に決断し、闘う人は民間保険に加入しておくことになるのですが、その過程においてガンに対する心構えを深めてもらうことが大切です。命というものへの思いが深まると同時に、「親孝行しなくては・・・」「残された人のことを考えておかなければ・・・」「予防医学をもっと大切にしなければ・・・」などの気持ちを高めるという副産物を生み出すことにもなります。

予防医療の先鋭化と民間保険の利用手法

ガンの早期発見や予防と聞くと、ほとんどの人は人間ドックの受診をイメージしますが、予防医療が進歩していることや健康を守っていくメディカルサロン型顧問医師システムがあることを周知させます。人間ドックや集団検診は一つの選択に過ぎないことを知ってもらい、メディカルサロン型クリニックで日ごろの予防医療、早期発見に取り組んでいただきます。

ガンが芽生えてしまったとき、治療選択のアドバイザーになるのは、自ら治療手法を施さないメディカルサロン型クリニックに限ります。患者と一体になって、加入している民間保険の内容に合った治療のベストチョイスを選び、あらためて治療にあたる医療機関を選別していくのもメディカルサロン型クリニックの役割です。

「間に合ったガン」に対する根治手術

ところで、ある病院では「根治手術できる」と判定されたのに、別の病院では「できない」と判定されることがあります。手術の技術的問題だけではなく、判定する根拠の問題が関与するからです。「助からないかもしれない」と思っているのに「根治手術しよう」と判定する病院がある一方、「助けられるかもしれない」という患者に対して、「微妙だから根治手術できないと判定しよう」という病院も現れます。その背景には、「当病院の完治率を高めたい」などの思惑が関与します。

この判定基準を日本の全病院で統一する必要はあるのでしょうか?実は、その必要はありません。どの病院を選ぶかは患者に選択権がありますから、「根治を目指せる状態であることの判定」と「根治を目指して治療する」という病院側の意志だけが大切なのです。また、「手術に放射線療法や抗ガン剤療法を併用する場合、根治を目指せる状態と判定してはいけない」という基準が必要になります。併用する場合は、手術に対して国民皆保険ではなく、民間保険を利用しての治療になるからです。
さらに、治療方法を選択する患者への情報提供として、根治を目指して手術したときの治療成績を病院ごとに発表してもらいます。
A病院は、「完治率80%」、B病院では「完治率65%」と発表されていたとします。これは、A病院の手術の腕が優れ、B病院の手術の腕が劣っているということではありません。A病院は「助かるという見込みのある患者しか手術しません」という意味であり、B病院は「助からないかもしれない患者でも積極的に手術する」という意味なのです。
ある患者が、「A病院で手術しましょう」と言われたときは、80%の確率で助かることを意味します。「A病院では手術できません」と言われ「B病院では手術をしましょう」と言われたら、その患者が助かる確率は、65%以上80%以下ということになります。

根治を目指しているのなら、病院ごとに根治不術を行う手術前診断のレベルを変えていいと思うのです。その情報を開示して、患者の選択に役立てます。

ガンの治療に対する考え方

結局、私が目指す医療構造改革の行く先では、

  • 治療費無料、会計不要の国営病院に通っている人(生活困窮者等)には、すべての治療方針を担当医に任せる従来型の医療システムを実施する
  • 手術だけで根治を目指せる早期ガンの場合は手術を行い、治療費は従来の国民皆保険で補う
  • 手術だけで根治治療が不可能な場合でガンと闘いたくない人は、治療費無料、会計不要の国営病院で緩和ケアを中心とする治療に取り組んでいただく
  • 手術だけで根治治療が不可能な場合でガンと闘いたい人は、メディカルサロンをアドバイザーとしたうえで、自分が主体者となって治療する病院を選択し、民間保険を利用しながら思う存分闘っていただく(民間保険に非加入でも、全額自費負担により治療は可能)

となります。

国営病院利用者→担当医に任せる(もともと無料)

民間病院利用者

  • 手術のみで根治を目指す場合→国民皆保険で手術
  • 手術のみで根治を目指せない場合
    ガンと闘いたい人→あらかじめ加入していた民間保険で治療
    ガンと闘いたくない人→会計不要の国営病院に移って緩和ケア療法(無料)

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