月刊メディカルサロン「診断」
健康保険制度(前編)掲載日2025年4月29日
月刊メディカルサロン5月号
トランプ大統領が思い切った関税政策を実行しました。一つの仕組みが長くなると、その仕組みを食い物にする者たちが現れます。今の貿易上の仕組みにより、世界中からアメリカが食い物にされているという認識がこの決断を導き、この決断により、世界のそれぞれの国がアメリカに対する与党であるか野党であるかがはっきりとしてきました。この政策が、未来的に吉と出るか凶と出るかが見ものです。
日本はその前に円安による大きな恩恵を受けていましたので、特に悲観することもなく、そして楽観することもなく、じっと見守るしかありません。
医療費亡国論
1980年代だったでしょうか?「医療費亡国論」という書籍が発刊されました。国民皆保険が施行されて20年余り経過したころのことです。一つの制度、仕組みは定められたら、それを悪用するものが現れ、それが蔓延するのが社会法則です。
本来は、「不要なことはやらない、必要なことはやる」が保険医療の本質です。この社会法則があるために、そういうわけにいかなくなるのが世の常というものです。
「不要なことでもやる」というのが、「患者喜ぶ」「医療経営側も喜ぶ」「医師は楽になる」「医療周辺業者も喜ぶ」の中でまかり通り、四方大得となって過剰診療となるのです。
そもそも病気やけがを背負った患者への医療サービスは、「絶対的必要」「相対的必要」「相対的不要」「絶対的不要」の提供に分かれます。
医師は、能力を研ぎ澄まし、相対的必要さえも自己の知能によりより少ないコストで解決できる医師になれるように努力しなければいけないのですが、そんな努力に関心を持つのは、できるだけ楽をしたいという本能に反してしまうのです。
そんなわけで、医療費は増大する一方となり、その医療費のために国が滅んでしまうというのが「医療費亡国論」です。
医療費は高いもの
私はクリニックを開業すると同時に、健康保険を捨てました。当直やパートで他の病院に行ってみると、過剰診療の凄まじい実態をみることになり、「本来あるべき姿ではない」と判断し、「未来に、健康保険の改革を語れる立場にならなければいけない」という思いが芽生えたことも関与しています。私が最初に執筆した書籍「一億人の新健康管理バイブル」(講談社、平成7年刊)にその辺のことは述べられています。
膨張する医療費の削減案として、高額療養制度の改定が打ち上げられましたが、これは政府の威信を低下させるだけの結果になってしまいました。唐突すぎたのが原因です。マスコミは「取りやすいところから取ろうとした」と評価しています。確かに健康保険制度は改造したくてもできないくらいに、この制度にはいろんな利権が渦巻いているのです。しかし、この唐突な「打ち上げ」により、もはや後に引けない国民医療費の実情は伝わったかもしれません。
一昔前までは、有効な治療の手立てがないために「死ぬことになる病気」「苦しみから救えない病気」の状態であったものに対し、研究成果の積み重ねにより、命を救える可能性が出てきました。それらが高額医療になりますが、本来は、高額医療費の因となる疾患の治療には、医学の進歩や成長がまともに関与しています。この医療費が増えることはまさに、医学の成長そのものなのです。
しかし、高額医療費は、国民には受け入れられませんでした。その背景には、医療費は安いものであるという誤った国民的認識があります。
高額療養制度の改定案が、「医療費は安いものではなく、高いものである」という印象を国民に植え付けることができ、国民の認識が改まったのなら、この「打ち上げ」は成功を収めたと言えます。
医療費適正化に必要な努力とは
国民皆保険下での医療費を削減しようとする国家の取り組みは当然のことですが、そこで一つ振り返ってほしいのです。
今の日本の国民皆保険制度下の医療社会の中で、大儲けしている人はいるのでしょうか?診療現場の苦労に対して、儲けすぎだ、と非難することはできるのでしょうか?
医師は、ほとんど皆が自分たちの生活状態に対して不満を持っています。収入が飛びぬけて多いのかというとそういうわけでもありません。その一方で、看護師の低報酬は驚愕に値します。徹夜することになる夜勤を含め、患者と接して動き回って莫大な苦労をしていながら、デスクワークのOLとそう変わらない報酬で仕事しています。日本の医療は、看護師の恐るべき低報酬に支えられていると言っても、過言ではありません。
昔、ある高名な医師がぼやいていました。
「医療機関を受診して、1万円の支払いになったら「高い」と言って不満を述べている人が、たかがエステで毎回5万円以上を支払っている。たかがキャバクラで毎回5万円以上を支払っている」
と。最近は10万円を超える化粧品が多々売り出されています。
何が本当に高く、何が安いのかをもう一度考え直さなければいけないのです。もっとも「必要な物は安く、不要なものは高い」の社会法則があるから困りものです。
国民皆保険の下で、医療費は安いものだという誤解を国民に故意的に抱かせたのは、日本の医療システムに対して国民に誇りを持たせ、国威を発揚させるのに役立ち、絶対的必要でない身体状況でも医療機関を受診させて、薄利多売改良を形成するのに役立ったかもしれないのですが、改めなければいけない時期になっています。
医療費を適正化させなければいけないのですが、そのためには、医師にも努力が必要です。患者にも努力が必要です。医療周辺業者にはあきらめが必要です。そして、制度作りにも努力が必要です。
医師の努力とは、薬漬け、検査漬けの診療を健康教育型の診療に置き換えていくという努力です。患者の努力というのは、健康、人体、医療を学んで、自己判断の領域を増やすという努力です。制度の努力というのは、医療社会に存在する利権団体、特に医師会を恐れないとい努力です。
例えば、ある分野を健康保険の適用外にするべきだと判断したとします。
「発熱を伴わないただの風邪くらいは健康保険の適応から外して薬局の市販薬でまかなえるようにしよう」
「太り過ぎて高脂血症になっている人は健康保険の適応から外そう」
などを実現したいのなら、その分野に関して1~2年かけた教育活動を行い、その上で、公費としての医療費負担から除外するという順序が必要です。
高額医療費の削減に取り組むなら、「医学は進歩した。かつては諦めるしかなかったような死に向かう患者を救えるようになった。しかし、その治療には莫大な医療費がかかる。3割の自己負担でも巨額になる。そのために、自己負担分を補ってくれる民間保険に入っておこう」などの啓蒙活動をじっくりと行わなければいけないのです。
私は平成7年に著した書籍に健康保険制度に対する「制度疲労」「健康保険制度のひずみ」を述べていました。あれ以来30年も健康保険制度が続いたのですから、ある意味すごいことだと思います。
その30年で、医師の育成制度、患者の各医療機関への振り分け制度が大きく変化しました。初期臨床医の研修制度と、初診の大病院集中を避ける新制度がそれです。制度を土台として、進歩、成長するのです。
さて、制度的に瀕死の状態にあえぐ健康保険制度は、それを維持させるために大改革が必要です。それこそトランプ大統領並みの「やってみてどうなるか」の大改革が必要です。ここでは、イチかバチかではない、健康保険制度の改革論を述べてみましょう。
その改革の基本は、
「医療サービスの実態を分析し、その内容を大きく分割し、分割されたそれぞれのサービスごとに健康保険制度を設ける」です。
次回はその改革案を語ってみようと思います。