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月刊メディカルサロン「診断」

経済発展と福祉。相反する二つの路線と新たな財源づくり。掲載日2026年3月31日
月刊メディカルサロン4月号

経済と福祉は相反するのか

経済を繁栄させるか、福祉・環境を充実させるか、というのは相反する事象であるように思います。福祉・環境を重視すれば、経済に対しては足かせになり、経済繁栄を第一とすれば、福祉・環境にはある程度の犠牲を強いることになります。
福祉とは何か、といえば、「人々が安心して暮らし、幸福を追求できる社会を構築するための取り組み」と定義され、「物理的な支援だけでなく、精神的な安定や人間関係の強化も含まれる」とされていますが、要するにお金という観点で考えれば、「お金が不足している人に、お金あるいはそれに相当するものを配る」と割り切って考えるのがよさそうです。
福祉のお金を誰に配るのかと言えば、受け取る対象者は、高齢者、障碍者、児童、母子、父子、寡婦、要生活保護者ということになります。
また、医療サービスや介護サービスも福祉の範疇に入ることになります。
国家は、国民に福祉を提供するために、国民からお金を集めなければいけません。福祉のために、国民から多くのお金を集められる国は福祉の充実した国となり、微小なお金しか集められない国は、福祉の乏しい国、ということになります。
さて、福祉のためのお金は、国民からどうやって集めればいいのでしょうか?
お金を集めるといっても、お金があるところからしかお金は集められません。お金の所有者は、各企業か、国民の一人一人です。犬や猫、建物、器械、家具、工具はお金を所有していません(笑)。企業、国民がお金を持つためには、経済が繁栄していなければいけません。経済繁栄なしで、お金を集めることはできないのです。福祉を充実させるためには、何が何でも経済を成長させ、繫栄させなければいけないのです。

日本の経済史と現状

日本は恐るべき速度で戦後復興を成し遂げました。莫大な貿易黒字を積み重ねて国民に富を行き渡らせ、一方で、大半を国内で消化できる国債を発行し続け、国内に投資を続けた成果です。貿易黒字を積み重ねられたのは、アメリカ様のおかげである、というのは否めません。
経済復興を高速で成し遂げるには、福祉と環境に犠牲を強いることになります。高度経済成長期には環境問題が、昭和末期の頃からは福祉問題が勃発しました。
環境と福祉を充実させるためには、経済に犠牲を強いることになります。平成バブル崩壊後は、経済人の覇気の低下も関与して、環境、福祉に国民の意識は向けられました。その結果、失われた30年と揶揄される経済停滞を招いたのです。その隙をついてお隣の国である中国が台頭しました。日本が環境、福祉に目を向けている間に、その環境、福祉を犠牲にした中国が多いに経済成長を遂げたのです。
アメリカ様は、不法移民に寛容であるというのも福祉の一環でしたが、そんな福祉や環境を重視していると中国にしてやられる、という焦りの元で、経済第一主義に舵を切りました。
日本では、貿易収支は赤字化しましたが、長年の世界への投資の成果としての資本収支の黒字化を迎えました。長年の貿易収支の黒字と国債発行による国家の借金の分は、高齢者と企業の資産に置き換えられています。日本国民の実態は、「資産豊かな高齢者」と「国家の借金を背負わされる現役世代」、そして「一部の資産なき高齢者」に三分割されています。「資産なき高齢者」になってしまったのには、「怠慢だった」「勤勉でなかった」「投資に失敗した」「事業に失敗した」「浪費した」「運が悪かった」など、いろいろ理由があるのでしょうが、ここでは語りません。

衆院選と税制論議

さて、福祉のためのお金は、三分割されたそんな国民や、経済停滞にあえぐ企業からどうやって集めればいいのでしょうか?
2026年2月の衆院選は、「お金を集めるもなにも、経済成長させなければ話にならない」と論じた高市自民党の圧勝になったのですが、その側面では、福祉のためのお金の集め方がかなり論じられた選挙であったように思います。その選挙に焦点を当てて、論じてみたいと思います。
集めたお金(税収、社会保障費など)は、多くが福祉に用いられますが、国防、治安維持、社会資本充実、環境維持にも用いられて、企業、国民は、その恩恵にあずかっていますので、企業や国民に負担ゼロは許されません。
企業は、その気になれば収益を海外に移転させることができてしまいます。だから、国際的なバランス問題が大きく関与して、企業から集める法人税の増減は国内での議論を超越したところに存在します。また、企業が繫栄することが福祉を成立させる前提条件になりますので、日本国民はよく見ていて、今回の衆院選では「企業からお金を分捕れ」と主張する政党はほぼ退場させられました。
国民からお金を集めるとなると、考え方は3つしかありません。収入から集める(所得税など)、支出(出費)から集める(消費税など)、持っているもの(不動産、株、投資信託、預貯金などの資産)から集める、のどれかです。
「消費税を廃止せよ」と主張する政党がありました。「お金をとられるのはとにかくいやだ。とにかく反対。私からとらないで他からとれ」という感情論に乗ろうとしたのでしょうが、精彩を欠きました。日本国民は、この分野に関して感情論を放棄して、冷静になっているのです。
出費に対して課税する消費税は、高齢者、外国人を含む、すべての人から徴収されています。それを廃止するのは、現役世代の収入からより多く分捕れ、を意味しますので、現役世代中心に冷静になったのです。
この分野では、一定期間の消費減税を訴える政党が多かったのですが、消費税の維持を訴えた「チーム未来」が異論というか正統論を放っていました。
消費税廃止を叫ぶ人は「若者(現役世代)から集めて高齢者に配布する」という社会づくりに賛成する人であり、消費税を維持しなければいけないと訴える人は「現役世代から必要以上にむしり取るな」と主張する人たちということになります。それに気づいた若者は、チーム未来に投票したのでしょう。高齢者ばかりが投票していた時代から、若者の政治参加をばかにできない時代の幕開けかもしれません。
「消費税は現役世代の負担を軽減するものである」が国民に周知されていないのは、現実に徴収されている消費税に関して、高齢者の票の行方を気遣ってのことです。現役世代には、それをもっと周知させる必要があるのかもしれません。単に「お金をとられることには何でも反対」と言っている場合ではないのです。

高度経済成長の記憶と「働く」ことへの回帰

私は昭和38年の生まれです。昭和30年ごろから始まった高度経済成長の前半の真っただ中で大阪に生まれました。家の前は砂利道で、川に面していましたが、その川に柵はありませんでした(私はそこで溺れて死にかけたことがあるそうです)。生まれた前年に国民皆保険制度は施行されていますので、福祉に目を向けることができたばかりの頃でしょうか。どろんこ道を歩いて幼稚園に通った思い出があります。どの家にもエアコンはなく、電話機もありませんでした。私の母は新しいもの好きで、いち早く電話機を設置したようで、近所の人が、我が家の電話を利用するためによく集まってきました。美空ひばりの「真っ赤に燃えた~太陽だから」の歌が耳に残っています。ラーメンの屋台が近づいたときのチャルメラの音楽も耳に残っています。
あの時代は皆、経済復興、経済繁栄しか眼中になかったように思います。つまり、「働いて、働いて、働いて、働いてまいります」の時代です。あの時代から、今の時代、つまり、福祉のための税の在り方を議論できる時代へとすすみ、日本はよく大復興を遂げたものだと感慨深い思いに時々浸ります。福祉重視の中で、「働くな」を主眼とする働き方改革にまで至り、「働くな」こそが正義なのだと言わんばかりの過剰な福祉思想がはびころうとする中で、懐かしい「働いて、働いて、働いて、働いてまいります」の高市自民党が圧勝したことは、全国民が何を求めているかを象徴的に示唆しているように思います。

不労所得への課税という提言

さて、この大復興を遂げた日本、そして働くことの意義を再認識した日本ならではの「お金の集め方」システムに、一つの提案があります。
年齢層にかかわらず貧しい者の収入から、多くのお金を集めようとするのは正義に反します。しかし、よりたくさん働いて必死の努力をして、リスクとも戦って、苦心の末に高額所得になった人からよりたくさんの割合(累進課税)で分捕ろうとするのも正義に反する気がします。
そこで、ピケティ理論を表面的に応用するのです。ピケティの理論は、資本に対する収益率や経済成長率などのデータ解析に基づいていますが、その言わんとするところは「経済が成長すると、額に汗をかいて仕事して得る収入、つまり労力を払って仕事して得る所得に対して、株や投資信託の配当、家賃収入などの不労所得が増えてくる。不労所得が増えだすと、貧富の差が拡大する」という理論にすればいい、と私は理解しています。
貧富の差の異常な拡大は、大問題ですが、それより怖いのは貧しい者を救えなくなることです。だから、福祉のための資金はとにかく国民から集めなければいけません。そして、お金は奪い取るのではなく、喜んで差し出してもらわなければいけません。
若者は不労所得を得ていません。現役世代であっても成功者でなければ不労所得は微々たるものです。しかし、現役世代の成功者や富裕層的高齢者は、多額の不労所得を得ています。株の配当、投資信託の配当、家賃収入などです。この不労所得からの税収を増額するのです。
富裕層は反対するかもしれませんが、「所有資産に対する課税の新設定、増額のどちらがよい?」と迫るのです。すでに所有している預貯金、株、投資信託、不動産の総額に課税されるより、それらが生み出す新たなお金に対する課税ならまだ許容できる」と納得してもらいます。ただし、配当に対してはもともと20%の分離課税が設定されていますが、それより増額する分の名称に一工夫が必要です。
冒頭で、経済の繁栄、成長と、環境・福祉の充実は相反するものである、と述べましたが、福祉の中で、経済成長と並行するものがあります。それが医療です。医療の中でも実は「高額医療」なのです。高額医療は医療の進歩そのものの部分であり、それは科学技術の進歩を意味します。高額医療の分野を充実させる活動は科学技術を進歩させる活動であり、経済発展に連動するのです。
高額医療の自己負担分の埋め合わせ(高額療養費制度)を撤廃しようという議論がありありましたが、それは政府の考え方としてはまったく間違えており、高額療養の患者ほど、科学技術の振興を兼ねて、国が守らなければいけないのです。むしろ、町のクリニックで行われている風邪や生活習慣病の治療を健康保険から排除するのが、政府の取るべき道です。不労所得から頂く税の名称を「高額医療研究振興協力金」にします。
もう一つ、資源の乏しい日本は科学技術立国でなければいけません。バブル崩壊後に、研究費を削り続けた結果、日本国内でなされていた研究は、研究費の削除とともに、海外に無償同然で譲渡されました。そのひとつにNビデアのメイン技術があったと聞いています。
科学技術振興のための助成に充てる税収は、不労所得から頂くのです。科学技術振興協力金とでも名付けます。
富裕層は自分が病気になってしまうことを恐れています。未来の自分の治療のためにも、医療技術は何が何でも進歩してほしい、と願いながら指し出すことができます。
科学技術の進歩は、受け取っている配当の一部を、その配当を未来に増やすための投資の気分になれます。差し出す気分に不快はありません。「科学技術、進歩してくれ」と願いながら差し出すことができます。
政府の皆さまには、高額医療研究振興協力金、科学技術振興協力金の二つの名称で、不労所得からの税収を確保する路線を検討してほしいものです。
以上は構想を述べただけで、実際にどんな数字にすれば、どれくらいの税収になるかは不明です。海外への投資のリターン配当も増えており、また、ホールディングしている企業も多く、配当は巨額かもしれませんし、案外少額かもしれません。しかし、「喜んで差し出す」という気分になれる税収システムづくりを念頭においてほしい、と思います。

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